聖書と共に

血により頼む

明治時代に、英国から日本に来た宣教師に有名
なB・F・バックストンと言う人がいました。
この人は、島根県松江市に住んで、日本の多く
の牧師に影響を与えて、聖霊に満たされた見本
の様な人でした。この人が書いた本に
「レビ記講義」があります。今日は、そこから
抜粋し、ご紹介します。

 人は血により頼まないで、ただ自分を洗い潔
めて、自分の力で悔い改めた有り様にて、神に
面会する事は恐るべき事です。その為に、愛に
もれて、神の前に礼拝したき精神がありません
その為に喜びをもって神に感謝する事はあり
ません。かえって神の恐ろしき有り様を見て、
遠く離れとうございます。

 けれども、レビ記9章を見ますならば、血の
力がわかります。神の栄光を見ましても、聖血
の力によって、少しも恐れがありません。
かえって、喜びと愛とが起こります。

 聖血の為に、はばからずして、神の前に立つ
事を得ます。民らは、この血を見て神の恩が
分かりました。
神は聖血によって、ご自身の豊かなる恩の貯蔵
を顕し給いました。
それ故に、罪人は、その恩に感じて、恐れを捨
てて平安と喜びに満たされました。

 ある人は、聖血に感ずる事なく、深く悔い改
めて自分を潔くすれば、神の前に立つ事が出来
ると思います。その真心をもって、悪を捨てる
ならば、喜んで神に面会する事が出来ると思い
ます。
けれども、これは大いなる間違いです。

全体として9章を見ます時に、これは主イエス
が、この地上における働きと、再臨の雛型です
。全世界の人間の眼前に神の完き贖いが顕れま
した。

   ***********
「あなた方は、皆、この酒杯より飲みなさい
 これは契約の、私の血です。多くの人の為に 罪の赦しを得さるために、流す所のものです」
            (マタイ26-27、28)
「わたしの血は真の飲み物です。わが肉を食べ
わたしの血を飲む者は、私におり、私も彼におる」          (ヨハネ6-55、56)

「あなた方が贖なわれたのは、…キリストの
尊い血によったのです」(第1ペテロ1-18、19)

「その子イエスの血、すべての罪より我らを
潔む」 (第1ヨハネ1-7)


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