聖書と共に

キリストと一つに

今日も、昨日に続き「レビ記講義」(バックストン)
より、ご紹介します。

神は何故に身代わりの上に、私どもの罪を置き
給う事ができますか。キリストが罪人と一つに
なり給もうためです。私共は種々なる関係を以
てキリストと一つになります。

 兄弟として、新郎と新婦、体とその肢体、
木の幹とその枝、このような比喩を以て、私共
とキリストと一つになれる事を悟らせ給います
。けれども、この比喩の意味よりなお、親しい
関係があります。

 キリストは全く私共と一つになり給いました
。これは基礎です。これは奥義です。
キリストは私共と一つとなり、罪となり給いま
した。罪人として罪の形を受け給いました。

 私共はキリストと一つになりましたから、
神と一つになって栄光の世嗣ぎとなりました。
そうですから、私共は常に神の前にキリストに
よってキリストと同じような者になります。

 神はキリストの様に私共を取り扱い給います
。キリストに与える栄光を私共にも与え給いま
す。その為にキリストが神に全き献物を献げ
給いますならば、即ち、キリストが燔祭、素祭
、罪祭を献げ給いますならば、私共はキリスト
によって私共が献物を献げるのと同じ事です。

自分の精神の力、心の力で神に全き献身をする
事は出来ません。
けれども、十字架の為に、全く己れに死に、新
しき生命を得て、神の属となる事ができます。

自ら、もがき苦しんで己れを神の属とする事は
出来ません。
ただ、キリストを信じ、十字架の上に死んだ者
と思うて、新しき生命を得て、神の前に歩む事
ができます。

 キリストは人間として、贖(あがな)いを成し
給いました。人間(私共)が罪を犯しました。
又、人間(キリストが人間となって)が贖いをい
たしました。これは、私共の和の源です。

神はその正義をもって、罪を赦し給う事が出来
ます。神の前に人間(キリストが人となって)は
凡ての罪の償いをいたしました。
そうですから、神は義をもって、その罪を消し
給う事が出来ます。
それを深く思いますならば、主の十字架の価を
感ずる事が出来ます。

 けれども、ただそればかりではありません。
犠牲の中に「香ばしき香」の犠牲があります。
これは神を全く喜ばせる犠牲です。
主イエスも、この様な犠牲を成し給いました。

即ち、人間(キリストが人となりて)が、この世
において神を喜ばせ、神の聖旨を実行いたしま
した。これは神の前に香ばしき香の献物です。

キリストが私共の内に住み給いますならば、
私共の生涯も神の前に香ばしき香の献物です。
深く福音の奥義を考えますれば、私共はキリス
トと共になり、キリストは私共と一つになり
給います。
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