聖書と共に

榎本保郎先生の渡米

榎本保郎(1925~1977年)先生は、同志社大学
を卒業後、京都、今治で牧師をされた方です。
祈りの運動(アシュラム)で海外でも奉仕されま
した。今日は、そのアメリカでのお話です。

 私は先日、米国のバークレーという所にある
中国人教会に招かれて二日間のご用をしてきた
。この教会は北京語を話す中国人の教会で、
いわゆる戦時中、日本人や日本の軍隊の残虐な
行為を見聞きした人達の多い教会であった。

ここの牧師は、是非、私を招いて集会を持ちた
いと考え、役員会に計った所、「日本人の話
など聞きたくない」と言う人が多かったそうで
ある。

サンフランシスコの空港から教会へ向かう途中
牧師は、この事情を私に説明しながら、
「しかし、ほとんどの人はクリスチャン・ラブ
を持って自分達の感情をこえて出席すると思い
ます」と話してくれた。この話を聞きながら
私は今さらのごとく日本人の犯した罪悪の恐ろ
しさに胸が痛んだ。

 やがて第一日目の集会が始まった。集まる者
は40名、みな固い表情であった。こんな中で
み言葉を語る事の苦しさを覚えながら、なんと
か、そのつとめを果たした。終わった時、今ま
でに感じた事のない程の疲れを覚えた。

 そして次の日、7時半の時刻が来ても、ほと
んどの人が集まって来なかった。私の心は騒い
だ。しかし八時前、やっと、昨日よりも多い
くらいの人達が集まり、ほっとした。

そして集会の最後の時、私達はみんなで手を
繋いで祈りをした。その時には、日本人も中国
人もなく、みんなキリストにあって一つとなっ
ていた。

集会が終わった時、みんな頭を深々と下げて
「謝謝」と挨拶にきてくれた。「再見、再見」
と肩を叩き、抱き合って別れを惜しむ事ができ
た。一人の姉妹は目に涙をいっぱいためて
「日本語が話したい」と残念そうにいって帰っ
た。

二日後、彼らから家内に美しい帽子が、私に
ワイシャツが贈り届けられた。全くキリストに
あって、すべてが応えられたのである。

憎しみは人間が生きている限り存在する。否
むしろ、それは深まることが多い。しかし
キリストにあるとき、憎しみは、まったく乗り
越えられるのである。
げに、キリストこそ、すべての律法を完全に結
ぶ帯である。



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