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石ころ

遺言はひとつ


イエス様が十字架を前にして、裏切り者のユダに「友よ。」と呼びかけられた。私たちは偽りの言葉を平気で使うが、イエス様の言葉は常に真実そのものだから、その「友よ」には愛や赦しがいっぱいだったろう。

日曜に、息子とマタイ26章のこの言葉を中心に聖書を繰った。
息子とこのように聖書を開く時は、イエス様が準備して下さったかけがいのない時間。彼は転勤していたかも知れなかったのに守られたから。

「ユダは死ななくても良かったんだ。イエス様の十字架はユダを赦すためでもあったから」息子の気づきが私には嬉しかった。そうだよ。その事が伝えたかった。

私が、遺言のように伝えたいと思っていた言葉は、「悔い改めるに遅すぎることはない」と言うこと。私たちはユダのような者。偽り、あざむき、裏切る。軽い気持ちでそれをしてしまうこともある。一時の感情で、弱さで、どん欲で裏切る。

でも、気が付いたら、イエス様の御声を聞いたら、御前にすぐに崩折れるのだよ、とそのことを伝えたい。イエス様は必ず「友よ、何のために来たのですか。」と言って下さるから、その時「私はあなたに罪を犯しました」と申し上げなさい。すると必ず「友よ。あなたの罪は赦されました」と言って下さる。そしたら、即座にイエス様の光の中に戻ることが出来るから。

息子達に伝えたいことはひとつだけ。言い残すことはひとつだけ。失敗したら、間違えたら、何時でも即座にイエス様に帰りなさい。誰にでも「友よ」と言って下さるから。ご自身を売ったユダにさえも、その様に呼びかけたお方だから。

この世の知恵など何も教えられない。私はよく知らないから。でも、そんなものは余り役に立たないよ。エジプトで尊敬を集めたモーセでも、エジプトでは奴隷に過ぎなのだから。イエス様にはどんなことでも出来る、より頼んで歩けば何も恐くはない。いつもイエス様を選んで行けば、君は本当に自由だから。彼は決して裏切らない唯一のお方だよ。

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