石ころ

火事を知らせるのは犬でもよい


今日は友人の家へ行って、共に聖書を開く、ルカ4章14節から30節を読んで、私の知っていることをお伝えする。後は楽しくおしゃべりや、お茶やケーキを頂く。もちろんケーキは大好きだけど、何より嬉しいのは、イエス様のお話を好きなだけできること。クリスチャンであれば、イエス様のことを話すのは本当に嬉しい。

もう・・何年になるだろう・・それも、無理なく自由の中で私たちは楽しんでいる。暮らしの中に、いろいろなことが起こって、長期に、短期に中断することは度々だけど、再びお電話を下さって再会することになる。

でも、互いに悩みが全くなかったわけでない。私は、そのころはまだ人様に聖書を伝えるには、それ相当の資格や知識が必要なのではないかという、圧迫のような思いもあって、自分のしていることに不安を持ってもいた。

その不安をsaltさんにメールで相談した時のお答えで、悩みは一気に解決した。
「火事を知らせるのは、人でも犬でも良いのです。知らせることが大切です。」
そう、私は最も近くにいて、何時でも自由に話せる関係にいるのだから、当たり前のことなのだとすっきり納得ができた。

彼女は時々「本当に、何時までもこうしていて良いのかしら・・」と言われる。私にも分からないけれど、今日は確かにイエス様の赦しの中で、私たちは楽しくイエス様のことを話している。


「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
主の恵みの年を告げ知らせるために。」

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