石ころ

今日の歌(2024.08.25)

俳句

窓開けて虫の音一つ風過ぎぬ

 

短歌

すり減った肩の痛みは十字架を
負いしイエスを思い出すもの


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コメント一覧

ムベ
デ某さんコメント感謝します。
あはは・・大笑いさせて頂きました。
今年はセミには縁がなく、微かな虫の音が嬉しかったのです。

今夕はエアコンを止めて、家中の窓を開けて風を通して楽しみました。
やはり自然の風の方が好きです。
まあ、電気代がかからないという気楽さもありますが・・。
日が暮れるのも少し早くなりましたね。朝も秋を感じます。

すり減ったのは肩の軟骨らしいです。もう、歳なので治ることは
ないそうです。
四十肩だと言い張っていたのですが・・。レントゲンは誤魔化せません。

クリスチャンになって間もなく、十字架で私の罪を負ってくださったイエスさまに、
「十字架の痛みを私は知りません。」と申し訳なくて言いました。すると、
「知らなくても良い」即座に心に聞えたのです。

だから、あっけらかんと生きて来ました。でも、最近気づいたのです。
イエスさまの痛みをちょっぴり分けてもらえるようになったのかな・・って。
デ某
> 窓開けて虫の音一つ風過ぎぬ

なんだか微かにじりじりする音…虫の音かなぁ? と妻に問うと
「なに言ってるんですか! 食洗器のまわる音ですよ」と。
なんとも風情のない感想になってしまいました(笑)
そして …「風過ぎぬ」に 堀辰雄「風立ちぬ」を思いました。

今年の夏は いつになく いっぺんに!たくさんの蝉が息絶えました。
葬っても葬っても… 追いつきませんでした。
そんな蝉さんたちに較べれば 虫さんたちは恵まれていますね。
また妻に「なに言ってるんですか!」と言われそうですが…。

> すり減った肩の痛みは十字架を負いしイエスを思い出すもの

肩の痛み。
十字架を重ねられるのは 進行篤いキリスト者ならではの思いでしょうか。
私は 四十肩にも五十肩にもなりましたが
「重いものを背負ったわけでもないのに耐えがたい痛み」と。
そんな理不尽さを肩痛に感じていましたから "十字架" はとても新鮮な驚きでした。
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