あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。
あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。(1~3)
地にみこころがなる日まで、そう、千年王国の訪れる日まで、天に成就しているものを見ることを求め続け、天にある望みに思いを巡らせるキリスト者である。
地にキリストの現れるまでは、この世の王の支配のもとに身を置いていても、魂に支配を受けるべきでは無く、思いを占領されるべきではない。
キリストに在る者は、コロコロと変わる世にいのちや思いを消費する者ではなく、天に完成されている日を待ち望む者であり、時が良くても、悪くても、今日静まって主の導かれることを遂行する者である。
神のご計画は、世がどのようであってもすべて成就する。いや、すでに完成しており、世の混乱の中にあっても、その日を思い描いて喜びと平安のうちに、キリストの訪れを待っているのだ。
あなたがたのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現れます。(4)
キリスト者の勝利はキリストの現れる日であって、それ以外の世の事柄には拠らないのだ。
互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、
新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。(9~10)
移り行くこの世のすべてを知っても、それが何になるだろう。求めるものも、思うものも、天にある永遠のものであり、それを知っていることこそキリスト者の勝利である。
私たちの喜びは、すべてのことを通して日々新しく主を知り、真の知識に至らせてくださることにある。まったくこのことに心を震わせる者である。この世のことではない。
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。(15)