石ころ

聖書2017を買って




 10年ほど前買った新改訳聖書第3版はページが外れてしまって、主人が召されて残された2版を使っていた。天国では直接御声を聴くのだから聖書はいらないし、主人のものを使うのがなんとなく嬉しく、カバーも私が作ったもので愛着もあったが、ただ、それは字が小さくて読みづらく眼鏡を新調して凌いでいた。

しかし私の悪癖で線や印、書き込みなど・・食み跡みたいなのが邪魔になって来て、ついに2017を注文した。本当は言葉の調子に馴染んでいる、慣れた訳から離れたくなかったけれど・・。

 でも、注文した後はワクワクとして、届いたとき両手で小さなダンボールを受け取った。
まず、字が大きくなっていて読みやすいことが嬉しかった。新しい聖書に警戒したことの一つ、ページの繰り難さにもそれほど問題なさそうだった。

ただ、読み進める内にやはり訳の変わっていることに戸惑ってしまったり、受け入れるのに考え込んでしまったりしたが、その時、とてもポジティブな思いが来た!
それは今、とても注意深く読んでおり、今まで思い込んで理解していた事なども、間違いの気づきがあったりしたことだった。これはお導きだったのだ。

 アダムは造られた始めから、とても豊かな言葉を持っていたことに気づかされた。神さまは彼に言葉でコミュニケーションをとっておられ、すべての生きものに名前を付けるほど豊富な言葉を使いこなし、「女イシャ」を名付けたときも「男イシュ」語呂合わせのユーモアまで持っていた。
アダムの体は土地のちりで造られたが、その言葉は息を吹き込まれたときに与えられたのだろう。そう、主が宇宙を創造されたその言葉。

 しかし、バベルの塔を建てて神さまの怒りを買って以来、完全な言葉を失ったのではないかと、自分の学の無い事もあり悲しく思った時、だから助け主なる聖霊がいてくださるのだと気づかされた。
主に信頼して、今与えられた聖書を楽しんで読んで行くことにしよう。

私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え
頭に香油を注いでくださいます。
私の杯は あふれています。(詩編23:5)


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