石ころ

ノアに倣って(Ⅱペテロ3章)

 

そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。(12~13)


神の用意してくださった新しい天と新しい地は、神の聖さに渇き、祈りの中でその日を待ち望む者に来る。罪の影のない地で、世の悩みの涙を拭いさられて、永遠を愛する主の御許で楽しむのである。
ただ、キリスト者は地に起こる裁きのために、備えなければならない事がある。


ノアの日のために、ノアが全人生を費やす一大事業として箱舟を造ったように、キリスト者にも火による滅びに備えるために、すべてを差し出す一大事業がある。
ノアが神の命令を聴いた時、カンカン照りが永遠に続くと見える環境で、箱舟を造り続けたのと同じ備えである。
それをする責任は、神の御計画を聴いたことにあるのだ。


そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。(14)


ノアは御計画の成就を喜んでその事に励んだのである。それは恐れ惑ったりせず、着実に今日成すべき事に思いを集中して、神にたまわった事業計画書を朝毎に確認しただろう。繰り返し確かめつつ、脇目もふらず日々の作業に励んだだろう。
事業計画書から目を反らして今日の天気を見ていたら、彼の心は惑わされ仕事は手に着かず、箱舟は出来上がらないのだ。


しみも傷もない者の平安は、みことばの従順の中に在る。今、私たちの事業計画書は聖書である。聖霊は一人ひとりに相応しく、日々の祈りの中で成すべきことを示される。
キリストの体には多くの器官があり、私たちはその一部としてそれぞれの賜物を働かせるのである。


「どうしても必要なことは一つ、」あれもこれもではない。自分の成すべき事業がみことばに聴くことから始まるなら、聖霊は助けて導きを与えられる。なぜなら、主はそれを待っておられるからである。良きものを与えようと・・。


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