石ころ

クリスマスから始まる主の日

 

メリー・クリスマス

イエスは天地を創造された神であられるのに、無力な赤子となって地に来てくださった。すべての人の罪を負って十字架に死に、御救いを受け入れたすべての人を、永遠の滅びから救い出すためである。

 

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)

 

全地にただ一人聖く罪の無い人間イエスが、全人類の過去、現在、未来の罪を負って十字架に死に罪をあがなってくださったのは、父なる神が愛する御子をくださった愛に拠ることである。

 

わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。(イザヤ43:25)

 

イエスの十字架のあがないを信じる者は、もう、罪を責められることの無い神との平和を持っており、永遠のいのちを頂いて生きる者となる。

 

 イエスは死んで墓に葬られ、三日目によみがえり500人以上の信仰者に現れて、天に昇られ神の右の座に着かれた。
また、キリストの霊は、今信仰者の中にいて導きを与えていてくださる。

 

イエス・キリストと何の関係も無いという人は、過去にも現在も未来にも一人もいない。なぜなら、天地も人類もすべてはこの方によって造られたからである。

 

初めにことば(イエス)があった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。(ヨハネ1:1~3)

 

すべてのいのちはイエス・キリストに拠るのである。それも、この世だけではなく、永遠のいのちの祝福と、永遠の滅びまでこの方に拠るのである。

 

苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。(Ⅱテサロニケ1:7)

 

 イエスは再び来られる。その時は正しい裁きを行うために来られるのである。すべての死者にも、生きている者にも永遠のための裁きを行われる。

 

主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。
そのような者たちは、永遠の滅びという刑罰を受け、主の御前から、そして、その御力の栄光から退けられることになります。(Ⅱテサロニケ1:8~9)

 

このことは天地の造り主が、罪人として父なる神に見捨てられ、罵られる屈辱の十字架を通って勝ち取ってくださったほどの命が、不信仰によって滅ぶものとなるのである。

 

その日に主イエスは来て、ご自分の聖徒たちの間であがめられ、信じたすべての者たちの間で感嘆の的となられます。そうです、あなたがたに対する私たちの証しを、あなたがたは信じたのです。(Ⅱテサロニケ1:10)

 

しかし、迫害に苦しんでいた人々には喜びの時となり、すべての労苦が永遠に報われる日となるのだ。

イエス・キリストは再び来られる。この日こそすべての人類に永遠の裁きが行われる日である。
クリスマスは、この主の日を救いの喜びとするために備えられた日である。

 

それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、私たちの主イエスの名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(Ⅱテサロニケ1:12)


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