石ころ

旧約の預言者と新約の預言者②(申命記13章)

 

あなたがたの神、主に従って歩み、主を恐れなければならない。主の命令を守り、御声に聞き従い、主に仕え、主にすがらなければならない。
その預言者あるいは夢見る者は殺されなければならない。(4~5a)

 

主に聴き従うとき、そのすべての導きはいのちの幸いに向かっている。神の命令は再び誘惑されて滅びないための命令である。
偽預言者は神の民を奪うために誘惑して背かせるもので、主はご自分の民の守りのために殺せと命じられる。

 

占いが当たると人はその不思議に引き寄せられて、すべてのことを聞き従って人生を委ねるようになる。それはサタン悪霊どもの滅びに引き込まれることであり、人生を思うままに引き回されて支配されて行くことになる。

 

占いは救い主キリストに委ねるべきいのちを、滅ぼすもの手に任せることになる。その時みことばに聴くことは止み、神が与えた選択の自由も手放して、自分で考えることさえ放棄するのである。それはすでに生きているのではなく死の状態である。

 

なぜならその人は、あなたがたをエジプトの地から導き出して奴隷の家から贖い出された、あなたがたの神、主に対して、あなたがたが反逆するようにそそのかし、あなたがたの神、主が歩めと命じた道から、あなたを迷わせようとするからである。あなたがたの中からその悪い者を除き去りなさい。(5b)

 

主に逆らうものに従うことは神への反逆である。主が「除き去れ」と命じられれば排除していのちを守らなければならない。
占いを聞いても自分で判断することができると思う時、すでに神の命令を無視しており神の位置に自分を置いている。

 

偽預言者や占いをする者は神のように振舞って罪を犯している。しかし、占いを求める者も罪に同意しているのであり、みことばを軽んじて主に聴き従うことをせず、同じ罪を犯しているのである。

 

あなたと母を同じくする兄弟、あるいはあなたの息子、娘、あるいはあなたの愛妻、あるいはあなたの無二の親友がひそかにあなたをそそのかして、「さあ、ほかの神々に仕えよう」と言うかもしれない。(6)

 

サタンがもっとも近しい者を用いて誘惑するのは、アダムに対してエバを用いたのと同じ手法である。狡猾な彼は人の弱点を熟知している。
愛が標的とされるのは、感情と言う揺さぶりやすい脆さがあるからである。愛は神を通すなら完全なものとなり、神から切り離された愛は非常に危ういのである。

 

予言や占いに人が弱いのは、神に信頼して祈り、答えを待ち続けるという忍耐を経る必要がなく、人に頼って明日を知り、即座に自分に都合の良い未来を選べると思うからである。


しかし、キリスト者にはみことばがあり、それは永遠に変わらない神の祝福のことばである。目の前の状況に振り回される必要はなく、永遠の祝福に繋がる明日を持っているのである。

 

新約の預言者はみことばを語る者である。キリストの言葉は100パーセント成り、みことばを語る者は確かな預言者である。彼らは永遠の幸いを告げ続ける。そのとき聴く者は、すべての計画を主の御前に捧げて聴く必要があるのだ。

 

昨日から軽く熱があり祈っても体調はあまり変わらない。暇があればうつらうつらとしていて、右腕も上がらず夜に特に痛むので、これは40肩なのだろう・・私は80歳を超えているので二倍!
それでも必要なことは出来ているので感謝である。今は、弱さの中に完全に働く神の力を見せていただこうと期待している。


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