石ころ

この方こそあなたの賛美あなたの神(申命記10章)

 

主はただあなたの父祖たちを慕って、彼らを愛された。そのため彼らの後の子孫であるあなたがたを、あらゆる民の中から選ばれた。今日のとおりである。(5)

 

「あなたの先祖たちを喜び愛し」口語訳にはこうある。主が、アブラハムたちの信仰を喜ばれたことであろうけれど、彼の失敗は主が一番よくご存じである。
アブラハムの祝福は失敗をしてもなを、神の愛に信頼して留まったことである。神は愛である。その御愛のうちに留まらないことによって、人は神の喜びと愛を失うのである。

 

神は、信じる者のすべての罪や失敗をキリストの十字架によってきよめて、御許に招くほどに愛し喜んでいてくださる。主に逆らっていた過去にまで遡る救いは、一方的な恵みであって、「なぜ私を愛されるのですか」と問うことは傲慢に思えた。

 

あなたがたの神、は神の神、主の主、偉大で力があり、恐ろしい神。えこひいきをせず、賄賂を取らず、(17)

 

神は唯一完全に公正な御方であり、その裁きはことごとく正しい。罪ある者が無知のゆえに創造主を否定しつつ、思い通りならないと神を訴えるが、それは神の愛するひとり子イエス・キリストの命をたまわった事実に在って、あまりにも恐ろしいことである。

 

みなしごや、やもめのためにさばきを行い、寄留者を愛して、これに食物と衣服を与えられる。(18)

主の裁きは、みなし子ややもめを養って庇い、拠り所のない寄留者の居場所を心配をしてくださる。世に虐げられた者の年月を、主は憐みによってあがなってくださる。彼らの涙を覚えていてくださるからであり、主に信頼する者の弱さの分だけ主が担ってくださる。

 

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント12:9)

 

あなたがたは寄留者を愛しなさい。あなたがたもエジプトの地で寄留の民だったからである。
あなたの神、主を恐れ、主に仕えなさい。主にすがり、御名によって誓いなさい。(19~20)

 

人の何かに拠って誓うとき中心はその人自身であるが、主によって誓うときは、主がその人の中心に居られて、人はみこころに仕える。
この愛は味方であることや、主義主張や好みには拠らず、主を恐れ主に従順して愛する愛である。

 

この方こそあなたの賛美、この方こそあなたの神であって、あなたが自分の目で見たこれらの大いなる恐るべきことを、あなたのために行われた方である。
あなたの父祖たちは七十人でエジプトへ下ったが、今や、あなたの神、主はあなたを空の星のように多くされた。(21~22)

 

「大いなる恐るべきことを、あなたのために行われた。」とは、エジプト脱出からの神のみわざについて言っているが、キリスト者にはもっと大きな神のみわざの十字架を歴史に見ている。それは一人ひとりに対して、「あなたのために行われた」大いなる御わざである。

 

ご自身の創造された地に神の御子が下り、被造物である人の罪をあがなって救い出すために、恥と痛みを引き受ける神の命をたまわったのである。これほどの大いなる奇跡が他にあろうか。

 

主は「わざによって信じなさい」とも言われた。「目で見た大いなる神」は今も、細やかな日々のうちにもいて下さる。ただ傲慢は主の働きに気づかないが、自分の無力を知っている者は、主の大いなる御わざを絶えず見ている。

 

日々に備えられているあらゆる命の必要や、失敗や愚かさにも予めの備えや避け所を置いてくださり、無知ゆえの無礼を覆われ、脆い肉の体に絶えず回復を与えてくださって、死を恐れる必要のない永遠の望みは、キリストの平和の中に守られている。そう、神の御わざを経験しない日はない。


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