石ころ

眠りに入る死と永遠の目覚め

 

 死ぬことは眠ることとある。死んだ者は眠りに入り、時が来たらみな主に起こされて朽ちないものによみがえる。
イエスは死者をよみがえらせる時、

 

「出て行きなさい。その少女は死んだのではなく、眠っているのです」と言われた。人々はイエスをあざ笑った。(マタイ9:24)

「どうして取り乱したり、泣いたりしているのですか。その子は死んだのではありません。眠っているのです。」(マルコ5:39)

「わたしたちの友ラザロは眠ってしまいました。わたしは彼を起こしに行きます。」(ヨハネ11:11)

 

イエスご自身が明確に死を眠りと言われた。だから死んだ者はみな眠っているのである。主が目覚めさせてくださる時が来るまで。

 

 夜毎の眠りも小さな死の形をしていて、その間は意識もなく何も出来ない。神を信じる者も信じない者にも死が同じように訪れるように、何も出来ない眠りはみな経験するのである。

 

どんなに力ある人も、自らの命を神にお任せする他ない時を眠りによって経験し、身の頼りなさを悟るのである。少しものを考えるようになると、目覚めを確信して眠る者は居ないだろう。そのために神は眠りを備えられたのだ。

 

 神が与えておられる命には目覚めの時を備え、主に信頼する者には今日を生きる力と、神の良き計画を準備して目覚めさせてくださる。眠りに朝があるように、すべての死にも目覚めるべく神が定められた時があるのだ。

 

イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)

 

その眠りが何年間であっても、その人には目覚めた時が今日であり、それは暦にはよらない。眠っている者には、時を数えることは出来ないからである。

何十年も事故や病気で眠ったままの人でも、目覚めた瞬間が今日であるように、その人には眠った瞬間に時が止まるのである。

それゆえ本当の死者には、死んでいる間のことで覚えていることなど何一つない。死者は罪を犯すことさえ出来ないのである。

 

あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。(ローマ6:11)

 

 キリスト者には、主が空中に迎えに来てくださる携挙の日が備えられて在る。死者は墓からよみがえり、生きている者と共に天に引き上げられて主にお会いするのである。
それは霊のからだを頂いて天に昇る日であり、主にまみえる瞬間であり、先に召された主の家族と出会う喜びの時である。

 

すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(Ⅰテサロニケ4:16~17)

 

主がもう一度地に下って来られた時は、すべての人が死から目覚めてさばきの時が来る。すべての死は穏やかな永眠ではないのだ。

 

また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。(黙20:12)

 

義である神は罪を見過ごすことは出来ず、救いのチャンスを、神の愛するひとり子イエスを十字架に渡して、すべての罪をあがなわれたのである。
ただ、キリストを信じることによる救である。そのあがないを受けない罪が裁かれるのだ。
「キリストを信じて罪が洗われ、聖とされているか」という行いが、問われるのである。

 

 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。(Ⅰコリント15:52)

 

キリストを信じて救われた者はみな、いのちの書にその名が書かれてあり、もう裁かれることはないが、いのちの書にその名がない者は、永遠の火のさばきがあると書いてあり、それは朽ちることがないゆえに終わりも無いのである。

 

毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそのようになります。(マタイ13:40)

 

 イエスは先に救われた者に命じられた。恐ろしい終わりの日があることを伝えよと、今が救いの日であることを伝えよと。人は誰も自分の命の終わりを知らず、生きている間だけが救いを得るために残されている時間だからである。

 

イエスは、ご自分が、生きている者と死んだ者のさばき主として神が定めた方であることを、人々に宣べ伝え、証しするように、私たちに命じられました。(使徒10:42)

 

 サタンは死んだら天国だと教える。それは人の耳に心地よくて信じていたいことであるが、真実ではないと聖書にはっきりと記されている。
造り主なる神が、その愛する御子の犠牲によって開いてくださった救いが、たった一つの永遠の滅びからの脱出の道である。

 

滅びに引き込もうとするサタンは、キリストの十字架によるあがないから目を反らさせて、造り主なる神に悔い改めること、キリストの御救いにへりくだることを、人の感情を支配して反発させ嫌悪させる。

その時「イエスさま」と御名を呼ぶ者を主は助けてくださる。滅びではなく、永遠のいのちを頂くためにみことばを叫ぶのである。

 

私たちの救いの神よ私たちを助けてください。御名の栄光のために。私たちを救い出し私たちの罪をお赦しください。御名のゆえに。(詩篇79:9)


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