長老から、選ばれた夫人とその子どもたちへ。私はあなたがたをほんとうに愛しています。私だけでなく、真理を知っている人々がみな、そうです。(1)
真理の御霊によって選ばれた人々は、みな神の家族の中で平等に愛され喜ばれている。神は愛だから愛さずにはいられないのである。
このことは、私たちのうちに宿る真理によることです。そして真理はいつまでも私たちとともにあります。
真理と愛のうちに、父なる神と御父の御子イエス・キリストからの恵みとあわれみと平安は、私たちとともにあります。(2~3)
神から出た愛は永遠に変わることはない。それは神の選びから発しており、彼らは神の守りの中にいるからである。
神の恵み、あわれみ、平安が、永遠まで私たちにあるのは、キリストが共にいてくださるからである。
あなたの子どもたちの中に、御父から私たちが受けた命令のとおりに真理のうちを歩んでいる人たちがあるのを知って、私は非常に喜んでいます。(4)
福音を受け入れて、聖霊の導かれるみことばを生きる人々を見ることは、本当に使徒たちには大きな喜びであろう。それこそが殉教さえも厭わないエネルギーとなるのだ。それは、うちにおられるキリストの喜びが、互いの間にあふれ出ることである。
そこで夫人よ。お願いしたいことがあります。それは私が新しい命令を書くのではなく、初めから私たちが持っていたものなのですが、私たちが互いに愛し合うということです。
愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです。(5~6)
特に夫人に神の平和の中に在って、キリストの愛を現しなさいと願っている。
キリストが御父に完全に従順されたように、みことばに従って愛しなさいということである。それは、感情ではないことを教えている。
女性は感情が豊かであり、その魂の活動は時に聖霊の導きに逆らうこともあるが、イエスさまの十字架を見ながら、成すべきことを果たしたマリヤたちには、感情的な表現は一切記されていない。
彼女たちは、イエスの死と葬りを証する役割を着実に行った。それは彼女たちのイエスを愛する愛が、聖霊の導きにあったことを示している。魂からの愛は混乱を起こすが、聖霊による愛はみこころを行わせるのだ。