石ころ

献金(Ⅱコリント8.9章)

 

私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。
苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。(Ⅱコリント8:1~2)


マケドニアの諸教会は、試練の中で神の恵みに満ちていた!喜びに溢れて惜しみなく捧げる豊かさを、主からたまわっていたのだ。
みことばの養いによって霊が祝福され神の愛に浸される時、捧げる喜びのための必要も満たしてくださる。


蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。(Ⅱコリント9:10)


献金は自分自身を神さまに捧げものとするチャンスであり、感謝と喜びから発するものであって、神の御名があがめられるようにと願う祈りでもある。また、イエスさまの眼差しを感じる喜びでもある。


イエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。
みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」(ルカ21:3~4)


イエスさまは献金箱に投げ入れる様子を見ていてくださる。今も信仰生活の中に証してくださる。人知れず捧げる時も、主は私たちの心の中にある感謝や喜び、また、残りも知っていてくださる。献金は、主とのとてもプライベートなことであると思う。


あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。(マタイ6:3)


このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。(Ⅱコリント9:13)


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