石ころ

アベルの捧げもの



アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。(創世記4:4)

 主は、一人ひとりに最上のものを備えて、義の実を結ばせ、祝福しようと待っておられる。
これは、完全な神さまのやらせ。もともと、すべては神さまから出たものなのだから。
ただ、祝福するためには私たちの手を通す必要があるので、主は準備して「その手に乗る」ことを待っておられる。

これが、神と人で完成する「みこころストーリー」の仕組み。
もし、みこころが単に主の一方的な計画なら、人の参加はどうでも良いかも知れないけれど・・、主は人を通して、栄光を受けようと決めておられるから、人の応答は欠かせないのだ。

 カインにも最上の備えはあっただろう・・でも、彼は的を射なかった。外してしまったのだ・・。だから、主は彼のために見ないふりをされた。
彼が顔を伏せたのは、彼自身が主の求めて居られるものが何であるか気付いていたのではないか・・、本当に分からなかったのなら、彼はもっと無邪気にいられただろうに・・。

最上のものは、人の執着も掻き立てるものだろう・・。一度手にしたなら二度と手放したくないものなのだろう。
アベルだって最上の子羊は可愛いに決まっている。手元に置きたいに決まっているが、彼はそれが、主の求めて居られるものであることを悟り応答した。

 どれほど素晴らしい祝福をも受ければ良いと思うけれど、それが主の準備してくださった捧げ物だと気付いた時には、義の実を結ばせて頂く栄光のために、何時でも差し出す準備は必要だと思う。

それも、嫌々ながらでもなく、強いられてでもなく、自分自身で心に決めた通りに捧げることが出来るなら、実に光栄なことだと思う。


蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。(Ⅱコリント9:10)

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