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石ころ

正倉院展への導き


 今日はご近所の方と約束をしていたので、星野富弘さんの個展を見ようとごいっしょに出かけた。奈良駅を下りて、さて、文化会館はと、ちょっと不安になって通りがかりの女性に尋ねてみた。彼女は即座に「星野さんのでしょう。あーあ、今日はお休みですよ。お休みは今日だけなのに・・・。」とても気の毒がってくださって「そうだ。月曜日はたいがいの所はお休みだけど、正倉院展に行かれると良いですよ。今日も開いていますよ。是非そうしなさい。」

「この交差点を渡って真っ直ぐです。」その熱心さにつられて、素直に交差点を渡って歩き出してしまった、あっという間の方針変換。
「なんてうかつなんだろう、ちゃんと前売り券にも書いてあるのに、二人とも読んでいなかったなんて・・・」と嘆きつつ歩くうちに、なんとなく、まんざら悪くもない気分になってきて、そのうちに

「この辺のホテルに泊まって、主人に明日帰るからお金振り込んでなんてね・・・」そんな冗談を言いながら、観光の人混みに紛れてゆっくりと博物館の方に歩いていった。人慣れした鹿を見ながら「もう少し先だったら、紅葉がきれいだろうね」などと、いつの間にかすっかり観光客気分。

 博物館について中高年の来館者の多さに驚いた。ご夫妻でこられている方々も多くてほほえましく思った。まず、講堂でボランテアの方からスライドを使っての説明を受けて、混雑してはいたけれど一つひとつガラスに顔をくっつけるようにして見て回った。

平螺鈿背八角鏡、赤や薄緑色の鮮やかさ、螺鈿の美しさ。丹念な細工、どうしてこんなものが作れたのかと、本物の迫力に圧倒される。

金銅幡、細かな細かな完璧な細工。美しいデザイン。1センチほどの小さな鈴が沢山ついていて、その一つひとつを誰かが手作りしていたのだろうと思うと、なんだかちょっと懐かしいような、いとおしい様な気持ちになる。

紫皮裁文珠玉飾刺刺繍羅帯残欠、こんな帯で装っていたのかと、天平人のおしゃれは今をはるかに凌ぐと思う。小さなガラスや真珠、水晶などの玉を飾り付けて細かな刺繍がとても美しい。それにしても、繊細な絹がこんなにも長い年月に耐えるものであることに驚く。保存の技術もすばらしいのだろう。

犀角魚形、横3.6センチ縦1.5センチの魚形のアクセサリーは鱗やヒレまで削ってあって金色に光っていた。二つあったので、クリスチャンには「2匹の魚」を思わせる。それは貴族が腰に下げたものらしいのだけど、その小ささと細やかな細工に、この当時の貴族の繊細さを感じた。

白瑠璃椀、古墳時代に来ていたかもという最古の正倉院宝物ということだけど、そのペルシャ製のカットガラスは電気の光を受けて美しく丸い模様が透けて見えていた。今までどのような時代の中で、どんな気持ちで、どんな人々がこのガラス椀を見てきたのだろう・・・。

次々と現れる1000年以上も昔のロマンを思わせる品々に、二人ともすっかり夢中になっていたけれど、終わりごろにはさすがに疲れてしまった。そこに、ユーモラスな椰子の実の人面の容器に出会って、正倉院の宝物にもこんなものがあることにちょっと親近感を覚えてほっとする。

 それらの宝物は、お金の嵩では計れないものばかりだった。生の人間が丹精込めて手作りしたものばかり。きっと、何代にも渡り研ぎ澄ましてきた技を持って、生まれた作品なのだろう。だから、見る人をこんなに感動させるのだろう。それを大切に大切に伝え守ってきたのだろう。私は物にはあまり関心がないのだけれど、今日は物の中に人のすばらしさを知った。神様が備えてくださった人の多様な能力に感動した。

帰り道も「感動したね。」「とっても満足だったね。」「失敗だったのに神様はちゃんと喜ばせてくださったね。」といっぱい喜んで話し続け、食事も、お茶のいっぱいさえも飲むことも忘れて帰り、迎えに来てくださったご主人に、「なんてことや」とあきれられてしまった。

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