石ころ

聖霊のバプテスマと水のバプテスマ

 

水のバプテスマと聖霊のバプテスマは違うものである。ヨハネのバプテスマと、キリストのバプテスマが同じではないことは、ヨハネ自身が言っている。

 

私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。私には、その方の履き物を脱がせて差し上げる資格もありません。その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。(マタイ3:11)

 

聖霊のバプテスマを授けられたときに、キリストの十字架のあがないが確信となり、歓喜のうちに罪責感からの完全な解放が与えられる。
御救いを備えてくださった父なる神の愛に浸されて「みことばに従わせてください」と切に求めるようになるのだ。

 

神の御愛に満ち足りて子とされた喜びを味わい、絶えることのないお交わりの中で生きるとき、そこに愛の貧困は存在しない。
それゆえ愛に渇いて競い合うことや、妬みや、劣等感からは解放されており、キリストの平安に浸されて、主のご真実に安息するのである。

 

いや、世では時には嵐もあり、試みもあるが、たとえそれらが感情を混乱させたとしても、もはや何の力もなく、我に返って御名を呼ぶだけで、神の子というホームポジションに連れ戻される。

 

それゆえに世を恐れずに、聖霊に解き明かされた真実なみことばをそのままに語り、時に行うことができるのである。
みことばの真実を日々に経験していれば、主の御前に自分を守る必要も、自分の不足を恐れる必要も無い。私は主に知られており、私も主が良き方であることを知っているからである。

 

聖霊のバプテスマと、水のバプテスマが同じと教えることは、医師に苦痛を訴えている病人に専門用語を用いて「あなたは何処も悪くない。それで良いのです。」と説得されるようなものであり、病人は変わらぬ症状に、いよいよ救いの無い苦しみに追い込まれるのである。

 

変わらぬ不安や劣等感、妬んで止まないのは神の愛に対する飢餓であり、必要なのは専門家による説得ではなく、学びでもなく、豊かに施すことの出来るキリストを呼び求めることである。
キリスト者の働きにどうしても必要なことは、キリストの平安であり、神の愛に満ち足りた安息だからである。

 

聖霊のバプテスマは、一方的にたまわるキリストからのプレゼントであり、キリストに仕える祭司の必要を満すものである。

 

聖霊のバプテスマの求めは、他人のあれこれを欲することではなく、ただ、ただ、神への渇きから出るものであり、真理への渇望であり、聖さに対する身を焼くような訴えであり、罪の絶望からの叫びである。また、みことばに従うための力の必要である。そのとき、主は喜んで求める者の必要を満たしてくださる。

 

異言や預言のたまものは外に現れる部分であって、主の御用のためのものであるが、大切なことはうちに溢れるキリストの平安であり、神の愛の経験によって、みことばがリアルなものとなる、その関係こそが従順の源である。

 

右の頬を打たれて左の頬をも向けるのは、主の愛に満たされている者が傷つくことはないからであり、みことばに従順しての満足は、主との甘い関係の中で生きているからである。

守りたいただ一つのことが、自分自身ではなくキリストとの関係であり、それは使徒たちを殉教にまで至らせた関係である。

 

神の子であるイエスが、人であるヨハネから水のバプテスマを受けられたとき、聖霊がイエスに臨まれた。

 

イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。(マタイ3:16)
聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。すると、天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」(ルカ3:22)

 

キリストの水のバプテスマは、父なる神への従順の証である。神はイエスの従順を喜ばれた。イエスが天の権威を捨てて完全な人となり、罪在る人のようになってヨハネからバプテスマを受け、御父に従順されたからである。

人となられた罪なき神のキリストに拠らなければ、誰一人として救われないのである。

 

キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。(ピリピ2:6.8)

 

キリストは聖さに渇く者に聖霊と火のバプテスマを施し、それによってまったく新しく生まれさせ、平安を着せてくださり、神のご計画を行う者としてくださる。


求めに欠かせないことは、新しく生まれるための死である。死ななければ新しく生まれることはできないのであり、その人はキリストの復活と共に生まれたのである。

 

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)


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