youtubeでニニ・ロッソの懐かしい優雅なトランペットを聞きながら・・、私は台所にしゃがみ込んで味噌玉を握っている。
しばらく集中していたけれど、ふっと我に返った時笑いだしてしまった。ミスマッチやなぁって・・。
まさかニニ・ロッソも婆さんがひとり味噌玉握りながら聞くなんて・・思いもしなかっただろう。
これが、なかなかの大仕事で堅くて握り込むのは手が疲れるし、桶にきちんと詰めるのも力仕事。
美しく流れるメロディで気分を盛り上げつつ、まあ短時間に桶一杯の仕込みは終わった。
麹はメロディを聞くと良い仕上がりになると聞きかじったけれど・・「気分はどう?」
3ヶ月ほど置いて天地返しする頃には、いくらか扱い易いやわらかさになって、後は放って置いて出来上る。私はコクの濃いほうが好きなので、ゆっくり年末くらいまで待ってから開ける。開封一番に差し上げる方は決まっていて、半分はそのために作っている。
音楽は確かに仕事を助けてくれる。集中して堅くなる心の逃げ道となってくれるから・・。私はこの手をよく使う。
音楽でも本でも世に出したら、誰がどのように使うかは本人の与り知らぬ事となる。言葉は作者の思いもしない所で人を生かすことがあるだろうし、心を縛ってしまうことや、偏見を助長することもあるかもしれない。
塵のようなブログでも、言葉というものにとても不安を覚えることがある。まして大きな愛のキリストを、狭量な私の言葉を通して流すことは恐ろしくもある。
その恐れには、「どのような手段を使っても、みこころを行わせてください。」と主に下駄を預けてしのいでいる。
私はブログに来てくださっている方々を、ご近所さんのように親しく感じている。でも、私の知って居る方々はクリスチャンではない方がほとんど・・。なのに、永遠のいのちと永遠の滅びを語るなんて・・まったく・・これはミスマッチだと心が揺れるときがある。もっと他に賢い言葉はないのかとも思う。
それでも祈りつつ書き続けているのは、主に在る望みによることである。今日はクリスチャンでなくても、明日はイエスさまに来られるかもしれない。
何時か主を思い出してくださるかも知れないと信じてのこと。ミスマッチかも知れないけれど、私は主に教わった言葉しか知らない。
永遠のいのちを分かち合いたい。イエスさまが十字架で流された救いの血潮は、すべての人のいのちのためであり、先に受けた私には,返さなければならない借りがあるのだ。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)
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