石ころ

カインとアベル




 今日はどうしても知りたいことがあって、時間をかけてでも主に聴こうと尋ねながらの創世記4章。

 神様はアベルに目を止められたけれども対話もなく、カインに殺されて後も特に記述にない。完全な捧げものを捧げて、神様の「お気に入り」をねたまれて殺されたアベルに、この素っ気なさは何だろう・・と思った時、十字架のイエスさまに対する神様の素っ気なさと重なった。

 カインは自分から神様に捧げものを持って来た。彼は人として初めて神様を礼拝しよう思い立った人。しかし、彼が神を神としてあがめるには、あまりにも神様を知らなさすぎて、その礼拝は悲惨に挫折した。
彼は神様の愛を知らなかった。だから限りある人の愛で神様の心を量って、自分が選ばれなかったことに怒り妬みに燃えて兄弟を殺してしまった。

しかし神様は殺人者カインを生かされた。彼の願いを聞き入れて、生きて行くための備えを与えてくださった。
カインは嫉妬する必要はなかったのである。神様は一人ひとりを100パーセント愛することができるお方である。
神は愛だから、最上の子羊を捧げられなくても、そんなことでカインへの愛が去るお方ではない。そもそも神様には、アベルもカインも同じように大切なのである。

 ただ、カインは神様の選びに従順するべきであった。そのことに置いて彼は自分を治めることが必要なのである。
神を神とするとはそういうことである。何を選ぶかは神様の勝手である。カインが「アーメン」とそこで謙って礼拝するなら、自分をも愛してくださっている神様を経験するのである。

神様の愛をいつも味わっている者は、神様の喜ばれることを喜ぶ。最上のアベルの小羊を神様と喜び、神様に顧みられたアベルと喜びを一緒にすることができる。主の愛に満たされているならそうなる。

アダムは、さらに、その妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけて言った。「カインがアベルを殺したので、彼の代わりに、神は私にもうひとりの子を授けられたから。

神様はアベルに目を止められたけれども対話もなく、カインに殺されて後も特に記述になかったけれども、神様はアベルを顧みておられる。
アベルの代わりにセツを生かし、その子エノシュに弱さを備え、弱さのうちに完全に現れる神の力によって神様を礼拝する子孫としてくださった。

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コメント一覧

ムベ
電気屋さんありがとうございます
少し賢くなりました。
確かに漢字って深いですね。
イエスさまが呪いを受けてくださって、呪われるべき私は祝福を頂きました。

実は私も、教会に行き始めてた頃に、外国人の宣教師さんから聖書のことばの意味などを教わりました。
金髪の彼女は日本語に精通しておられて、婦人会で皆で教わっていました。懐かしいです。
どれほど勉強をしてこられたのだろう・・と思います。
神様への熱心だと今も尊敬しています。
電気屋
仕事で知り合った方にボイルさんとう方がいて
漢字の研究をなさっています。


「神」という感じは「示す」+「申す」という形で成り立っていて
現代では「示す」の多くは「ネ」で簡略した形で示しますが、
本来漢字で「ネ」「示」がついているモノは「禊」や「祀」など神様に関係しています。
「祝」という漢字は、神の右に兄がひざまずいて捧げものをする姿で、本来それは長子の役割というより特権でした。
ところが、嫉妬した兄が、弟を殺し大地は口をあけてその血を受け取ってしまい「呪」われる存在となりました。
しかし神はアベルにしるしをつけそれが「兇」=「凶」となりました。「メ」は刀で付けた傷をあらわしていて「殺」や「刈」にも見られます。

「礼」にも神様の「ネ」がありますが元は「礼」は「示」+「豊」と書いて、本来呪われるべき存在であった私が、誠の長子であるイエスがすべての凶をその身にうけてくださったので豊かに神を礼拝する者とされました。

日本人の私がアメリカ人の彼から教わるって事も神のなさるユーモアなのかなと思っています。
これらは知識ではありますが、漢字を用いる民であることがなんだか幸せに思えるエピソードですね。
ムベ
はい、私は十字架を思いました。
聖書の記事は時間に縛られず、すべて、今読んでいる私たちへの導きですね。

その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。(コロサイ1:20)
油菜
アダムのゆえに地は呪われるものとなり、カインはさらに呪われる者となりました。(創3-17,4-11)
けれど、自ら呪われた者となって十字架の上から血を流し出しきよめてくださったイエス様。(へブル9-22)
その血の尊さを思います。

ところで、カインにつけられたしるしは何だったのでしょうか?
「主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことがないように、カインにしるしを付けられた」 (創4-15)
「・・血はあなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。・・撃つとき・・災いはあなたたちに及ばない。」(出12-13)

 
ムベ
アーメン。アーメン。感謝です。

カインは私だと思いました。
捧げものはイエスさまです。そのようにして、今私は生かされています。
それゆえ、私は主にすべての権利を明け渡します。

主は罰に変えて、恵みと慈しみをたまわりました。ハレルヤ!
柚菜
「神様は殺人者カインを生かされた。彼の願いを聞き入れて、生きて行くための備えを与えてくださった」

神様は、イエス様を十字架につけた私をも生かしてくださいました。
私の願いを聞き入れ、御霊によって生きるよう導いてくださっています。
感謝です。ハレルヤ!
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