初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、(1)
使徒たちは実際にイエスさまから聞き、イエスさまを見て、触れて、手を掴まれて、足を洗われたのだ・・。だから、彼らは特別な神の選びに在る。
しかし今、いのちのことばを信じた私たちは、霊においてイエスさまをうちに宿し、また、イエスさまの内に居る。これは驚くような神の恵みであり守りである。霊は死で終わるものではないからである。
──このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。──
私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。(2~3)
クリスマスは、イエスさまが来てくださったことを記念したお祝い。
でも、大半はイエスさま抜きのクリスマス。ピカピカ・・キラキラ・・、山盛りのご馳走と、消費されるだけのプレゼント。本当に必要ないのちの救い主に気づく人はほとんどいない。
でも、すべての教会で、本当の必要を満たすいのちのことばが真っ直ぐに語られて、イエスさまを心に迎える人々が起こされることを信じよう。御父と御子の交わりに迎えられる人々が起こされますように、祈っていよう。
クリスマスと言われても何もない人がいる。私もそうだったから・・。普段よりもっともっと寂しい人がいる。私もそうだった。
主が御目を注いでいてくださいますように。イエスさまが掴んで放さずに、御自身の中に導き入れてくださいますように。私にしてくださったように。