石ころ

出発せよ ②(申命記1章)

 

見よ、わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは主があなたがたの父祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、彼らとその後の子孫に与えると誓った地である。(8)

 

エジプトでの奴隷状態から解放されたならイスラエルの民は、主が与えようとしておられる祝福を受けなければならない。神が働かれた所には栄光が現されなければならないのである。

 

キリストに罪をあがなわれて神に子とされた者は、たまわったいのちの喜びの中に生きることで、聖霊の臨在のうちに主の栄光を現わす者となる。いのちの望みからあふれる感謝は、隠すことが出来ないからである。

 

そのとき、私はあなたがたに言った。「あなたがたは、私たちの神、主が私たちに与えようとされるアモリ人の山地に来た。
見よ、あなたの神、主はこの地をあなたの手に渡してくださった。上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない。」(20~21)

 

主は「恐れてはならない」と言われた。はっきりと「手に渡してくださった」と言われた。此処には一ミリも引き下がる余地はないのだ。

 

あなたがたはみな私のもとに近寄って来て言った。「私たちより先に人を遣わし、私たちのためにその地を探らせよう。そして、私たちが上って行く道や入って行く町々について、報告を持ち帰らせよう。」
私にはこのことが良いことと思われたので、私はあなたがたの中から各部族ごとに一人ずつ、十二人を選んだ。(22~23)

 

此処でモーセは大きな間違いをした。
これほどに明確な主の命令を聞きながら、なぜ偵察を許すのか、それがなぜ必要なのか。永遠を知る方が渡された地に進むのに、何を探る必要があるだろう。これは神よりも賢い人の知恵から出た巧妙な逃げの備えでしかない。

 

主に従って祝福を受けることを妨げるものは、サタンが用意する失敗を恐れる保険、悪魔の甘い誘いによる逃げ道である。


生きて働くみことばを経験するには、主に信頼して敵に向かって行く時しかない。従順がなければ主の御力を経験することはないのだ。

悪魔は幾らでも賢い知恵を授ける。それはすべて不従順に導く言い訳の備えである。神のことば信仰がない者には愚かでしかないから。

 

神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。(Ⅰコリント1:25)

 

サタンは此処で、どれほど賢く働いて神に逆らわせたことであろう。
しかし主はすべてのことを用いても、キリストに拠る人類救出の計画を完成してくださった。当然のことながら被造物に過ぎないサタンよりも賢い方であり、此処に私たちの平安の確信がある。

 

神はイスラエルの民に、どれほど力あるわざを見せられたことであろう。しかし、彼らは頑なであったが、主はそれ以上に忍耐強いお方であり、長い時を掛けても祝福のご計画を完成してくださる。此処に私たちの望みもある。


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