石ころ

主があなたがたを慕い選ばれた(申命記7章)

 

あなたが入って行って所有しようとしている地に、あなたの神、主があなたを導き入れるとき、主は、あなたよりも数多くまた強い七つの異邦の民、すなわち、ヒッタイト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人をあなたの前から追い払われる。(1)

 

主が導かれた地は数々の強い敵が居る所であった。神は小さな弱い者を用いてご自身を現わされる。
私たちが主に信頼して共に働くときに、自分自身の知恵や力には拠らず、神の栄光が現われることを経験するのである。そこで得るものは神を恐れる者の聖なる誇りである。

 

キリストに在っては、敵の多少に拠らず強弱にも係わらず、主のみこころが成ることを経験するのである。それゆえ、私たちはみことばにのみ信頼してすべての敵の中で平安なのである。

 

あなたの神、主が彼らをあなたに渡し、あなたがこれを討つとき、あなたは彼らを必ず聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。また、彼らにあわれみを示してはならない。(2)

 

神は人と共に働いてくださり、信頼する時に勝利を経験させてくださる。あらゆる手段を用いて子らに語るための、万軍の主に在る勝利の経験から言葉を備えてくださる。恐れるべき方がどなたであるかを知らせ、経験させてくださるのである。

 

みことばへの従順を少しもためらってはならない。主を離れて、人の賢さで世を見て判断してはならない。神の知恵は人には愚かに見えるからである。聖霊の与える聖い目で主を見上げて、天に向かって前進するのである。

サタンや悪魔は巧みに人の感情を乗っ取り、其処から神に反抗させる。人の一番弱い所は感情であり、エバも感情を用いられ、蛇の口車に乗せられて禁じられた実を食べたのだ。


憐みは神から出たときにはみこころに添った働きをするが、少しでも神への疑いが混ざっている憐みはサタンの罠である。このような優しさに世は支配されている。

 

また、彼らと姻戚関係に入ってはならない。あなたの娘をその息子に嫁がせたり、その娘をあなたの息子の妻としたりしてはならない。(3)

 

神はイスラエルの民を選び、すべての人類の救いのために用いられた。それゆえに、彼らには混ぜ物のない純潔を求められる。
彼らの民族は、キリストを拒み試練の中で世界中に散らされたが、今やイスラエルの国を完成し神の時を待っている。それが成るのは彼らが純潔を守って来たからである。それに拠って神は彼らの救いを成就される。

 

このイスラエルに対する民族への純潔の命令は、神から出た言葉にすべての価値があり、同じ言葉であっても、人から出た言葉の場合は偏狭なプライドであったり、好みや思い付きであって歴史のなかで消えて行くものである。

 

というのは、彼らはあなたの息子を私から引き離し、ほかの神々に仕えさせ、こうして主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がって、あなたをただちに根絶やしにするからである。(4)

 

偶像礼拝の汚れは人の弱さを用いて伝えられ、先祖代々神に逆らう地域の歴史となる。それを受け入れるということは、神が創造された地を偶像に捧げる行為であり、神が愛して生まれ来るいのちをも、永遠の滅びに渡す行為となるのである。

 

むしろ彼らに対して、このようにしなければならない。彼らの祭壇を打ち壊し、石の柱を打ち砕き、彼らのアシェラ像を切り倒し、彼らの彫像を火で焼かなければならない。
あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。(5~6)

 

偶像の形が在れば人はそれに仕える弱さをもっている。なぜなら、天地創造の神は人の目で見ることは出来ないからである。主を知ることを霊において求め続けていないと、肉の目に見えるものに頼るようになるのだ。

 

主の宝とされた者は応答する責任を負っている。そのために神は数々の御わざを彼らに見せて来られた。それらを通して目に見えない神を経験する備えである。
しかしサタンは彼に様々な問題を起こさせて脅し、日常に埋没させて神の記憶を持ち去るのである。

 

主があなたがたを慕い、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実あなたがたは、あらゆる民のうちで最も数が少なかった。
しかし、主があなたがたを愛されたから、またあなたがたの父祖たちに誓った誓いを守られたから、主は力強い御手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王ファラオの手からあなたを贖い出されたのである。(7~8)

 

主があなたがたを慕い・・とある!それは愛して造られたからである。神の愛を知り、喜びにあふれて応答することを待っておられる。そうしてすべてのことを通して、祈りの交わりを持つことを待って居てくださる。
日々にみことばを開いて主に聴きつつ、たまわっている恵みに安息して、どんな時も御名をあがめて、御顔を見るように御許に座るのである。

 

主は群衆と語るのではなく、それぞれの密室で私に向かって愛を語ってくださり、永遠の望みを語って、霊魂を望みに満たしてくださる。
世では少数者であっても、父なる神、御子キリスト、聖霊が共にいてくださる者にはすべての必要が満ち満ちている。

世がどのような状況になろうとも、すでに救いが完成されている者はこの世で縛られるものは何も無く、主に従うための完全な自由を持っているのである。


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