石ころ

神の裁き(Ⅱペテロ2章)

 

イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現れるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。(1)


偽預言者、偽教師はひそかに現れるとある。人から出た義を語り、目に美しく粧い、みことばを短絡的な言葉にすり替えて、神の子らを誘惑して盗み取る。
その言葉が分かりやすいのは、善悪知識の木の実を食べた人の賢さを用いて語るからである。


しかし神の正義は、みことばを聴き続けて神と共に歩み、キリストの御足跡である理不尽をも経験しつつ、成長して行く中で悟ることであり、それによって神を神として服従するためである。救い主であるキリストに信頼して、すべてを委ねる聖さによって納得するものである。


しかし、それは人の肉性には苛立ちとなり、神の裁きに対して不平不満を抱くようになると、キリストの御救いによってたまわった平安を失って、世の人のようになり、サタンに鼻面引き回されることになってしまう。


そして、多くの者が彼らの好色にならい、そのために真理の道がそしりを受けるのです。
また彼らは、貪欲なので、作り事のことばをもってあなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは、昔から怠りなく行われており、彼らが滅ぼされないままでいることはありません。(2~3)


霊的な好色は、みことばに従順することを知らず、自分の判断による言葉や世の言い伝えなど、都合に合わせて福音に混ぜて語ることであり、その結果、汚されたみことばは恥を見ることになって、神の御名がそしられるのである。
しかし、神は彼らサタンの振る舞いを裁いて滅ぼされるとある。


思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。(ガラテヤ6:7~8)


肉を通して忍び込む誘惑を避けるためには、うちにおられるキリストとの交わりを絶やさず、静まりの中で主の細い御声を聴き入り、聖霊の導きによるみことばの光の中を、自分自身を治めさせて頂く祈りによって歩むことである。

 


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