私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。
もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。(1~2)
神のうちにいることによって、罪を犯すことから守られる。
キリストによって罪から解放され、罰から守られているのだ。キリストは弁護者であり、神に取りなしていてくださることで、私たちは正しいとされ、きよいとされるのである。
神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。
しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。(4~5)
私たちが、みことばを守って生きることができるのは、神の愛が、私たちのうちに完全に働いているからであり、すべての必要を備えて導いてくださるからである。その人のうちに、真理なるキリストが居てくださるからである。
みことばを守っていると証明するために、思いつく限りの良いことに奔走するのは順序が逆である。
私たちの成すべき事は、神から発したことを聖霊によって導かれることであり、そうでないと的外れとなってしまって、みこころを損なってしまうのだ。
キリストを信じてうちに迎え入れられ、使徒たちのように近しくみことばを聴き、永久までの恵みを噛みしめ、神の愛に安息し、居心地の良いキリストの中で養われて、成長する必要があるのだ。
その人は自分から進んで御側にとどまり、自分でみことばを悟るようになる。その人は神によって成長した神の作品であり、みこころを良く知っているのである。
神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。(6)
キリストに造り変えられて、たまわった力によって御足跡をしっかり歩き出す者は、世の嵐も、誘惑も、批難にも、その歩みを妨げられることはない。良く知っているキリストだけを見ているからである。