石ころ

神と働いたアダムのように(申命記30章)

 

私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことがあなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたが我に返り、(1)

 

苦難や災いは人が我に返って神の御前に静まり、謙遜にみことばを思い出すことによって、残り少ない命をみこころに用いるようになる。人はすべてが上手く行っている時、自分の正しさに確信を抱き続ける弱さを持っているからである。
神の祝福の中で主をほめたたえ、たまわった赦しと憐みの主を語り続けるのである。

 

あなたの神、主に立ち返り、私が今日あなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、いのちを尽くし、御声に聞き従うなら、
あなたの神、主はあなたを元どおりにし、あなたをあわれみ、あなたの神、主があなたを散らした先の、あらゆる民の中から、再びあなたを集められる。(2~3)

 

どれほどに神は罪を赦し、祝福することを願っておられることか!
どれほど滅びゆく命を惜しみ、御許において生かそうと待っておられることか!
人が賜っている愛は、愛するひとり子を十字架にかけるほどの愛なのである。

 

たとえ、あなたが天の果てに追いやられていても、あなたの神、主はそこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻される。
あなたの神、主はあなたの先祖が所有していた地にあなたを導き入れ、あなたはそれを所有する。主はあなたを幸せにし、先祖たちよりもその数を増やされる。(4~5)

 

まず神が背き続ける罪人を、心を尽くし、いのちを尽くして愛してくださった。それゆえ、みことばに聴きなさいといわれる。
備えられた救いに従いなさいと、今、信じる者のうちに近しくいて下さる。何処かに出かけなくても、時を選ばず直ぐに感謝や感動を伝えることが出来る関係なのである。キリスト者の永遠に変わらない幸せは此処にある。

 

今、主は信じる者の霊のうちにいてくださる。約束の新天新地に永遠の望みを備えていてくださる。そこにはアダムたち園があるのだろうか、いのちの木の実がたわわに実っているのだろうか・・。空の星のように多くの、祝福された人々とのお交わりがあるだろう。

其処で話す言葉は聖く素直な心からの愛に溢れているだろう。主をほめたたえる喜びに満ち溢れているだろう。もう、言葉を捻じ曲げるものは何も無いのだから・・。

 

あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心に割礼を施し、あなたが心を尽くし、いのちを尽くして、あなたの神、主を愛し、そうしてあなたが生きるようにされる。(6)

 

心を尽くし、いのちを尽くして主を愛する愛は、主が満たしてくださる。そうして、主を愛して生きるように、心を清めて罪から解放された感謝と喜びを満たしてくださる。私たちがみことばに同意しているなら・・。

 

あなたの神、主はあなたの敵に、あなたを迫害した、あなたを憎む者たちに、これらすべてののろいを下される。
あなたは再び主の御声に聞き従い、私が今日あなたに命じる主のすべての命令を行うようになる。(7~8)

 

主が、愛する者を迫害する敵にのろいを下される。神はその子どもを守てくださるのは、ひとり子イエスの命を支払って、買い取ってくださったほどの子だからである。このことは人にはとても理解できないことではある。

その様な神の憐みを受けた者は、愛する主のみことばに何時も耳を傾けて、主の喜びでありたいと願うようになる。神にゆえなく愛された経験から愛することを学んだからである。

 

あなたの神、主はあなたのすべての手のわざ、あなたの胎の実、家畜が産むもの、大地の実りを豊かに与えて、あなたを栄えさせてくださる。まことに主は、あなたの父祖たちを喜ばれたように、再び、あなたを栄えさせて喜ばれる。(9)

 

創造主は人を愛の対象として造ってくださった。自由を与えて良き交わりを楽しむために。
神がすべての生き物を造られた時、アダムにそれらすべての名を任せられた。
名は体を現わすものであり、神の作られたものの実体をアダムに任せられたのは、アダムと一緒に造り上げられたということである。
神と霊が繋がっている人の存在は、それほどの働きを成すものなのである。

 

これは、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従い、このみおしえの書に記されている主の命令と掟を守り、心のすべて、たましいのすべてをもって、あなたの神、主に立ち返るからである。(10)

 

神の愛はキリストによってすべての人が知ることが出来る。ただ霊の目が堅く閉ざされていて、パリサイ人のように目の前てキリストが神のわざを行っても、聖霊の助けがなければ受け容れることが出来ないのである。

主が心を尽くしいのちを尽くして愛してくださった。それゆえ、私たちもいのちをたまわったキリストの愛に倣って、心を尽くし、いのちを尽くして、あなたの救い主を愛しなさいと言われる。これは愛の応答なのである。

 

主は信じる者のうちに近しくいて下さり、何時でも何処ででも祈りによって、感謝や感動を伝えることが出来る。いや、忙しく働いている間も、私たちの霊は聖霊と共に感謝に溢れて祈っている。

 

主は今も私たちと共に働きたいと待っていてくださる。罪をキリストの血潮に洗いきよめて、衰えた魂や体に知恵と力を満たして、聖霊の助けの中で用いようとしていてくださる。あのアダムが働いた日々のような、創造的な働きをなさせようと待っていてくださるのだ。


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