「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子(イエス)は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。
そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」(マタイ20:18~19)
イエスさまは十二弟子に、繰り返しご自身が十字架で死刑にされること、死んで三日目によみがえることを話される。
ペテロは、初めてイエスさまから十字架のことを聞いた時それを否定した。
ヨハネの母は息子達を連れて行き、ひれ伏して願った。
「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」(マタイ20:21)
ヨハネはイエスさまのお側に座って、「イエスの愛された弟子」と自称していた。母の願いは、そのような日々が天でも続くように・・という思いだったのだろうか・・。
このヨハネにイエスさまが母マリヤを託されたことは、このような家族愛の中にマリヤを置かれたのではないか・・と思えた。
御国に望みを託したのは、ヨハネの母が誰よりも早かったのではないだろうか・・。彼女の心は御国を見ていたのだ。
この時弟子たちは「出し抜かれた」と腹を立てるが、弟子たちは何処を見ていたのだろう・・。
イエスさまは、すべてのことは御父のご計画にあることを話される。事実十字架刑による死まで、御父のご計画に従順しようとしておられた。
御子をもたまわるご計画の成就によって、イエスさまに従って行く者は誰でも、お側ではなく三位一体の神のうちにおり、神も私たちのうちに居てくださる者とされたのである。
神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知るのです。(Ⅰヨハネ3:24)
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