終わりに、兄弟たちよ。私たちのために祈ってください。主のみことばが、あなたがたのところでと同じように早く広まり、またあがめられますように。
また、私たちが、ひねくれた悪人どもの手から救い出されますように。すべての人が信仰を持っているのではないからです。(1~2)
パウロの祈りの要請の中に、信仰を持っていない者からの守りを、祈ってくださいとあったことに今日気づいた。
「ひねくれた悪人ども」は何処にでもいることを忘れて、私はつい自分の信じたいように信じてしまうけれど、現実をしっかり見て祈り備えることは大切なのだと思わされた。
しかし、主は真実な方ですから、あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます。(3)
確かに主は、そのような時も働いてくださって、すべてを益として用いることがおできになる。そう、主は御自身のご計画を必ず成さる。
しかし、祈りの備えがない時は、無用に傷つく人が出ることも事実なので、祈り備えることは大切なことだった。
サタンはある程度の先を読むことができて、イエスさま殺すことで、邪魔者を消してしまうことが出来ると思い、ひねくれ者のユダを誘惑したのだろうが、そのことによって神の御計画は成就したのだ。
ユダヤの片田舎の出来事を、地球規模の救いの完成とする手伝いをして、すべての悪賢さを総動員し、神の人類救済の十字架のスイッチを入れたのだ。
私たちが命じることを、あなたがたが現に実行しており、これからも実行してくれることを私たちは主にあって確信しています。
どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。(4~5)
真に恐れるべき方を知っている者は、キリストの愛の律法のうちにいて、すべての必要を満たされ聴いたみことばをそのままに語りつつ、主に安息している者である。