石ころ

マリヤのように

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母マリヤは、自分で立ち入ることができない事柄はすべて心の内に留めておいて、それ以上問題を膨らませることをしなかった。

羊飼いの礼拝を受けた時、
「しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」(ルカ2:19)

イエスさまが迷子になって宮を「父の家」と言われた時も、
「母はこれらのことをみな、心に留めておいた。」(ルカ2:51)

 マリヤは、イエスさまにごく普通に乳を含ませ、おしめを取り替え、少し大きくなったら食事を与え、身の回りのことを一つ一つ教えて、共に成長する普通の母親のように育てていったのだろう。

自分で立ち入ることのできない重大なことはひっそりと心に留め置いて、ありふれた日常を重ねていったのだろう。
その先に神さまのご計画という、どのような事実が待っているとしても・・。心に留めおくということは、あらがうこと無くその事実に従順することでもある。

「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現われるためです。」(ルカ2:34~35)



子育てには常に問題や課題が現れる。いや、生まれたときから持っていることもある。しかし、それらはたいがい母の立ち入ることが出来ない事柄であり、神さまの備えられた問題である。

そんなときは、マリヤのように日々淡々と自分のできることをして、共に居る時間を喜び楽しむ・・そんな日常を重ねて共に成長して行けば良いのだろう・・。

シメオンの預言のように、マリヤが息子との別れという深い悲しみを受けた後のことは、イエスさまご自身が心配をして、彼女に新しい息子を与えてくださった。

イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われた。
それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。(ヨハネ19:26~27)

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