ヨブは神さまにあれほどに愛された者であるのに、未だ、河馬ほどにも神の栄光を現わすことがないままであった。
さあ、河馬を見よ。これはあなたと並べてわたしが造ったもの、牛のように草を食らう。
見よ。その力は腰にあり、その強さは腹の筋にある。(ヨブ40:15~16)
河馬はヨブと並べて造られたもの。神が造られたままに腰を入れ、腹を据えてたまわている権威を保ち、山々はこの獣のために産物をもたらせた。
これは神が造られた第一の獣、これを造られた方が、ご自分の剣でこれに近づく。
たとい川があふれても、それはあわてない。その口にヨルダン川が注ぎ込んでも、動じない。
だれがその目をつかんでこれを捕らええようか。だれがわなにかけて、その鼻を突き通すことができようか。(ヨブ40:19.23~24)
神が河馬に近づいて権威を教えられた。ヨブは備えられた所に立っていることが出来ず、たまわったものを支配することができないでいる。神さまはヨブが、罠に掛けられて引き回されるようには造られなかったのに・・。
造られたものはすべて備えられた命を生きる。自分にたまわっているものを悟り、それを用いて神の栄光を現わすのである。何者にも侮られることなく、何者の罠にもかからず、むしろそれらを治めるために。
あなたは釣り針でレビヤタンを釣り上げることができるか。輪繩でその舌を押さえつけることができるか。
これがあなたに、しきりに哀願し、優しいことばで、あなたに語りかけるだろうか。
これがあなたと契約を結び、あなたはこれを捕らえていつまでも奴隷とすることができようか。
漁師仲間はこれを売りに出し、商人たちの間でこれを分けるだろうか。(ヨブ41:1・3~4・6)
選ばれて御救いに与った者は、御国の王として神の栄光を現わす働きをするように、彼を造られたのだ。
さあ、誉れ、気高さで身を装い、尊厳と威光を身につけよ。(ヨブ40:10)
それは、神が彼に備えておられたものである。河馬よりもレビヤタンよりもヨブに・・
神の権威に在るということは、どれほどのことであるかを悟れ。そうしてそこに留まり任されたものを支配せよと・・。
これは商人が売り買いできるものでもなく、悪戯に手を触れることもできないように造られたが、ヨブはそのように自分をわきまえていなかった。
レビヤタンにある権威を備えてもいなかった。あれほどの経験を経ても、河馬のようでさえなく、小突かれながら群れについて行く羊のようであった。
神さまはヨブの言葉を正しいとも言われる。確かに彼は自分自身を正直に語り続け、偽りを言わなかった。友人たちのように、誰の言葉かわからないような虚しいことを語らなかった。しかし、それはヨブの未熟さを現わしていた。
だれがわたしにささげたのか、わたしが報いなければならないほどに。天の下にあるものはみな、わたしのものだ。(ヨブ41:11)
河馬にさえもこれほどの力を与えた神が、彼に備えられてある権威を用いることも無く、憐れな被害者のようにふるまって神を訴えるのか、たまわりものを悟ろうともせず、神を不当だと言うのかと・・、摂理を暗くする者に神さまは懇々と解かれる。