石ころ

いのちの備え②(1ヨハネ5章)

 

イエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。
あかしするものが三つあります。
御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。(6~8)


罪のないイエス・キリストが私たちと同じ人となって、バプテスマの水を通り、十字架できよい血を注ぎだして罪をあがなってくださった。
みことばに耳を傾ける人々に、御霊も私たちにキリストの御わざを証してくださり、信仰を導き永遠の滅びから救ってくださった。


もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。(9)


テレビや新聞などで、世のあらゆる危機が細かく報じられる。戦争や紛争、経済や病のこと、また、台風や地震など・・。人はそれらの警告に耳を傾けて備え、人生の進路を決めることさえある。
しかし、それらの危機は最悪でも、世に在る年月が短くなるに過ぎない。


神がキリストを通して備えられた救いは、永遠の裁きへの備えであり、終わりのない責め苦を逃れさせるためである。
世の警告に備える者なら、神の警告にはなおさら真剣であるべきで、死は誰にでも必ず訪れることは子供でも知っている。


世が死を真正面に捕らえず、目を背けていることを知っているキリスト者は、どれほど時を惜しんで神さまから、死からの備えとしての御子キリストをたまわっていることを、知らせなければならないことだろう。


たとえ、愛深い行いを成し得ない者であっても、たとえ拙い手段であっても、聖霊に導かれてキリストの種を蒔けば、それがどんなに小さな種であっても、神が備えられた力によって成長し、みこころである救いの働きをするだろう。
それはすべての人に最も必要な愛なのである。永遠のいのちにつながること以上に大切なことはない。


御霊はキリストの救いを証明される。福音を聞いた者の霊を生かし、イエス・キリストを信じることを助けてくださる。そうでなければ誰が救われるだろう。
これほどまでに神に愛され、世の初めからの綿密な救いの計画の中にあることを、誰が悟ることができるだろう。


しかし、御救いに与った私たちは、神の不思議な導きによって救われたことを経験している。私たちが初めにキリストを求めたのではないことを・・。
自分が何処から救われたかを知っているので、聖霊の働きに信頼して、キリストを伝えることに望みがある。


神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。
そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。(10~11)


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