石ころ

墓石をのけなさい(2020.5.18.デボーション)

 

イエスさまが愛しておられたマリヤとマルタの弟、ラザロが重い病気になった。

 

そこで姉妹たちは、イエスのところに使いを送って、言った。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」
イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、
神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」(ヨハネ11:3~5)

 

イエスさまは神のご計画のために、そこに二日留まってから出かけられた。「死で終わるものではない」ということは、ラザロが死ぬのを待っておられたのである。彼が、死ななければ神の祝福が成らないからである。

 

マルタは、イエスが来られたと聞いて迎えに行った。マリヤは家ですわっていた。
マルタはイエスに向かって言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。
今でも私は知っております。あなたが神にお求めになることは何でも、神はあなたにお与えになります。」(ヨハネ11:20~22)

 

イエス・キリストにあっては死は終わりではない。信仰者は死を通って、神の祝福がどれほど素晴らしいものであるかを知るのである。
コロナも災害も迫害も、キリスト者を不幸にすることはなく、すべては神の良きご計画に至る道筋にすぎない。

 

イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」
マルタはイエスに言った。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」(ヨハネ11:23~24)

 

マルタはきちんとした正しい知識をもっていた。彼女はその知識によってイエスを神のキリストと知っていた。

 

マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、
言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」
イエスは涙を流された。(ヨハネ11:32~35)

 

イエスさまが涙を流されたのは、人が死ぬものとなったことに対してである。救われないままに、滅びに至る魂に対しての悲しみである。


神は人をご自身のかたちに造られた。罪に滅びる限りある命としては、造られなかったのである。
サタンの誘惑によって罪が入り人は、不信仰によって滅びを選び取るようになったのである。

 

そこでイエスは、またも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓はほら穴であって、石がそこに立てかけてあった。
イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」(ヨハネ11:38~39)

 

イエスが神であるという知識によって、みことに従順できるのではない。マルタはこの時、神のキリストであると知りながら、イエスのことばに従うことを躊躇している。


彼女が、そこにいる人々にもっとも見せたくないのが、愛するラザロの腐敗した姿であった。まして、愛するイエスさまに、家族の腐臭を嗅がせたくないのは当然であった。

 

 宗教は人の美しい姿を見せて、信仰を証するものである。良い美しいものなら誰でも喜んで捧げることができる。人の前に披露することができる。ただ、それは神のご計画とは無関係でも出来ることである。

 

イエスさまはわざわざ四日も経ってから、墓石をのけなさいとおっしゃった。
お言葉に従順するなら神のわざを見ることができる。キリストは、もっとも卑しい最も惨めな恥を用いて、崇高な信仰のわざを現わされる。それは人には決して出来ないキリストのわざである。

 

その時人は、ただみことばに従うだけである。信仰生活に神のわざが現れるためには、命じられた時、墓石をのける行為にある。
悪臭も腐敗も、すべてをイエスさまを通して曝すとき、キリストへの信頼によるそれを、主は清い捧げものとしてくださる。それは知識にはよらず、親密な関係によるものである。

 

命を死に閉じ込める墓石を、もろもろの愛着や思い煩いを葬って「のけよ」と言われる。何が出て来るかわからない弱き死を通って、キリストと共に復活させてくださる。

 

今私たちには、三位一体の神が住んでいてくださり、みことばによって養われている者である。
みことばを聴く日々の交わり。祈りのうちにすべてのことに関わってくださる経験。その深い信頼によって、すべてを捧げものとしてくださるのだから。

「信仰によって、私たちの墓石をのける勇気が与えられますように。」

 

イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」(ヨハネ11:40)


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