私が中学生の頃、母の親友だった方のつなぎでカリフォルニアから留学生をホームステイで迎えました。年齢や間隔を覚えていませんが、3,4上の高校生(スウェーデン系)だったと思います。
奈良公園を歩いていて珍しくご自分で、即決で脇の方向へ進路を変えた彼。
母や私を含むみんなでついていくと、後にも先にも見たことの無い場所に来ました。
有ってもおかしくないけれど、なぜかお目にかかることはできない・・・
木々で囲まれた場所には明るい色の草のじゅうたん、そこに明るい色のバンビ
彼は持っていたカメラで2,3枚 そのあいだ、
まさに神秘的なその空間に導かれたことといることに少々おどろき感じていました。
さすが美的感覚あるのね的なことを言った母。
そんな写真はもう残っていないんだろうな。
うちに来てやはりだったというべきか、彼にはいくつものトラブルが出て、たいへん申し訳なかったこと、今にして余計にです。(ここでは略)
たまたま、ピアノも弾けると、有る楽譜を出すとショパンのプレリュードの3番を選びました。
いくら弾けるといっても、前の滞在地もいれて日本の留学日数も長くなっているところだし、そんなに練習はできていないはずだし・・
スラスラと弾き始めました。きれいです。途中、楽譜を確認しながらやりなおしていましたが、すごいすごいの拍手。
楽譜を持って私に見せてきました。
指示されたのは、どうやらちょっと止まった箇所の運指番号。
「これは違うよ」と言っているのです。(英語だからわからなかったけど・ナンデヤ)
たしかに結構、変でした。(譜面に改竄が起こったのでしょう。/当時は書き込み無し)
のちに大学では社会を専攻したとききました。
10年くらいは、母となのか手紙のやりとりがあったようなのですが、交流はとだえてしまいました。きっとあの何かのせいでしょう。
欧米はもちろん、世界的には当時、ピアノを弾ける人の層は日本に比べずっと厚いと思われました。(英語もか・・)
そのような技術も耳も当然にこえていた海外で聴かせ、名をあげるようなことって、当時は実力や努力だけでも ものすごいことだったとわかります。
そういえば庭仕事ばかりしていた母、村雨さんのファンでしたw