自然を求めて近辺ぶらり

四季折々の風景、草花、野鳥などの写真を紹介しています。

滋賀県米原市の中山道柏原宿 (かしわばらしゅく) とカワラヒワの幼鳥

2019年05月31日 | 町歩き・ウォーキング・登山
滋賀県米原市のローザンベリー多和田に行った帰りに中山道柏原宿に立ち寄ってみました。時間がなくて柏原宿歴史館と、その周辺をぶらついただけでしたが、平日とあってか宿場町は静まり返っていました。柏原宿は、中山道67宿のうち江戸から数えて60番目の宿場でした。東西13町 (1.4km) の細長い宿場の中央より少し西に、街道に面して三重の入母屋造りの妻飾りを見せる重厚な建物が柏原宿歴史館です。現在は国の有形文化財になっています。母屋には「福助の間」があり、数多くの福助人形が展示されています。
福助の由来
滋賀の伊吹山のふもとに柏原という宿場があり、ここに代々つたわる大名御用達のもぐさや「亀屋」が、今なお店を構えている。ここに福助という番頭がいたというのだ。伊吹もぐさをあきなう亀屋には、おそらく天明年間(1781年以後)に生まれたと思われる番頭福助がいた。この番頭は正直一途、お店の創業以来伝えられた家訓をまもり、普段の日は裃を着け、扇子をてばなさず、道ゆくお客さんを手まねきして、もぐさをすすめた。もぐさを買うお客に対しては、どんなに少ないあきないでも感謝の心をあらわし、おべっかいを言わず、まごころで応えつづけた。そのため商売が大いに繁昌し、福助を大事にしたのだそうだ。やがてこの話が京都にも広まり、伏見の人形屋が耳にして、福を招く縁起ものとして福助の姿を人形に写したという。福助人形はさっそく大流行し、商店の店先に飾られるようになった。(後略)「荒俣 宏・編著『福助さん』から抜粋」
















福助は、なぜ正座しているのか ?
日本は古くから、畳や床に座ることもさることながら、椅子にこしかけるという文化のほうも、しっかりともちあわせていた。したがって、いま想像するほどには、日本人がすわる文化一辺倒であった訳でもない。また、すわる姿勢も、あぐらや立て膝が多く、正座はほとんど普及しなかった。江戸時代にはいり、武家の作法が禅の立居ふるまいをもとに決められ、小笠原流作法によって正座が正式なすわり方とされたのは、八代吉宗公以降といわれる。これが市民層に普及したのは、江戸中期も後半になってらのことだろう。また、正座といういい方も教科書の修身にでてくるのは、昭和以降のようで、それ以前は、端座、などとよばれていた。(荒俣 宏・編著『福助さん』から抜粋)

柏原宿歴史館
この建物 (母屋) は、伊吹もぐさ亀屋右京商店の分家である松浦良平氏の分家として大正6年 (1917) に建てられたものです。









NHKテレビが日本最古と取り上げた6代目七兵衛のコマーシャルソング
江戸吉原で大散財、芸者に唄わせ伊吹もぐさと亀屋佐京の名を全国に有名にした。





艾 (もぐさ) の鬼瓦

「艾さ (もぐさ) 鬼瓦」
松浦 (亀屋) 久作左京家の屋根を飾っていた鬼瓦。大きい鬼瓦は大棟の端に、小さい鬼瓦は降棟の下端に葺かれていました。いずれも鬼面を飾る位置に「艾さ」の文字を配しています。

母屋内部










母屋二階には、この町の出身である吉村公三郎映画監督作品のポスターが展示してありました。その一部です。








吉村公三郎実家




柏原宿地図


宿場町柏原には、江戸時代の宿場の面影を伝える建造物が良好に残っています。












滋賀県米原市のローザンベリー多和田隣の田んぼの中で見かけた野鳥です。カワラヒワの幼鳥のようです。






こちらはコチドリのようですが。


ローザンベリー多和田の池にはマガモが数羽いました。
ここからは、マガモ自然繁殖の南限地に指定されている三島池や琵琶湖が近いです。






この鳥はなんでしょう ? アヒルの仲間 ?


マガモと一緒にいました。マガモよりは大きいです。

城下町をぶら散歩しながら「犬山祭」の車山が展示されている「どんでん館」などを訪れました。

2019年05月23日 | 町歩き・ウォーキング・登山

犬山城の後は、犬山城下町周遊券を手に、城下町の風情を楽しみながら、「からくり展示館」、「城とまちミュージアム」、「どんでん館」、「旧磯部邸」に立ち寄りました。犬山には江戸時代とほぼ同じ町割りで城と城下町が残っています。

からくり展示館 犬山祭の特徴は、すべての車山にからくりが載せられていることです。ここには、「山車からくり」や「座敷からくり」が展示されています。入口通路には蹄鉄が埋め込まれています。

からくり人形の数々です。














城下町風景
   

 
城とまちミュージアム 

館内ホールには江戸時代の城下町を再現した巨大ジオラマがあります。これは天保11年(1840)旧暦8月28日の犬山祭当日を再現したものです。昔の犬山城の姿や当時の人々の暮らしぶりがわかります。

犬山祭に登場する13輌の車山の模型です。

城下町風景
 

 

どんでん館 毎年4月第一土日に行われる「犬山祭」の車山が展示されています。祭りの際に車山を方向転換する「どんでん」から施設名が名付けられました。尾張地方では、祭礼に曳き出される祭車は通常「山車(だし)」と呼ばれますが、ここ犬山では「車山」と書き「やま」とよびます。犬山祭では、3層の車山13輌が城下町に繰り出し、笛や太鼓に合わせてからくり人形を披露します




名栗町(左)と下本町の山車(右)の車山です。(実物) 

金襦袢 金糸・銀糸の刺繍が施されています。一着で数百万円するということです。

城下町風景
 

奥行き五十三メートルの町屋 旧磯部邸
江戸時代、柏屋の屋号で呉服商を営んでいました。建物は百五十年を経過しています。






















起り (むくり) 屋根 独特の丸みを帯びた美しい外観のむくり屋根です。

本日コメント欄を閉じています。


「女城主の里・いわむら」の町歩きと酒蔵見学

2019年03月15日 | 町歩き・ウォーキング・登山
岐阜県恵那市岩村町は、戦国時代、織田信長の叔母が全国的にも珍しい女性の城主として実権を握っていたという史実に由来して、いわむらは「女城主の里」と呼ばれています。
NHKの朝ドラ「半分、青い。」のヒロイン「鈴愛」の故郷である梟町の「ふくろう商店街」は、岐阜県恵那市岩村町の城下町が舞台になっています。。江戸時代から続く古い町並みの景観を、全長1.3kmにも渡って残しています。

この地で200年お酒を作り続ける蔵元・岩村醸造です。20年前までは酒や米の運搬に使われていたというトロッコの線路に沿って、酒蔵の中を見学しました。
























岩村の古い町並み














1185 年(文治元年)、源頼朝の家臣「加藤景廉」が遠山荘の地頭となり、景廉の長男景朝が 岩村城を築き、遠山氏を称しました。 戦国時代末期、城主の「遠山景任」が病没し、養子として迎えていた織田信長の五男「御坊丸」がまだ幼少であったため、その夫人(織田信長の叔母)が実質的な城主として、領地を 治めていました。いわゆるおんな城主「おつやの方」です。 おんな城主は大変聡明で美しく、領民に慕われていたそうです。 1572 年(元亀 3 年)、武田信玄の 24 将のひとり「秋山虎繁(信友)」が侵攻してきました。 おんな城主は自ら采配を振るい、信長の支援を待って籠城作戦に出ました。しかし、この時、信長は長島の一揆などで前に進めずにいました。籠城は 3 ヶ月にわたり、城内の食糧も不足 して来たところ、虎繁から女城主を妻とすることを条件に無血開城を申し入れてきました。 おんな城主は苦渋の末、城兵や領民の命を守るため敵将との結婚を決意し、開城しました。 その後の数年間、おんな城主は虎繁とともに、城の普請や城下町の守備に勤しみ、平和な日々を 過ごしました。 しかし、御坊丸は信玄のもとへ人質として送られてしまい、岩村城も乗っ取られてしまった ことに信長は黙っていませんでした。 1575 年(天正 3 年)、長篠の戦いに武田勝頼軍が敗戦したことにより、武田と織田の勢力が 逆転し、信長の嫡男「織田信忠」率いる織田軍が攻め入りました。この時も半年に及ぶ籠城 で城を守りましたが、武田の援軍も望めず、信長からの条件を呑み、開城しました。その条件とは、領民を守り、おんな城主と虎繁の命を守るという約束でした。しかし、信長はこれを反故にし、夫妻は磔刑に処されてしまいました。

ご訪問ありがとうございました。本日コメント欄を閉じています。

岐阜県恵那市岩村町の木村邸は江戸時代の町家としての様式を至る所に留めています。

2019年03月14日 | 町歩き・ウォーキング・登山
岐阜県恵那市岩村町の木村家は江戸時代中期から末期に栄えた問屋で、藩の財政困窮のたびに御用金を調達してその危機を救いました。それゆえ、藩主より特別な存在として認められ、藩主自身が幾度となくこの木村邸を訪れたといわれています。(当時、藩主が領民の家を訪れるなどということは異例なことであったといいます) 藩主出入りの玄関・表通りに面した武者窓・上段の間・欄間・茶室は、江戸時代の町家としての様式を至る所に留めており、城下町の歴史を偲ばせてくれます。




お雛さん

























寿庵
生前はお茶室として使用。今は秋祭りの祭具や衣装が展示されている。


老松小屋








酒樽を逆さにした上に、糸巻きを並べてつくったガラスのテーブルです。














一階


















殿様通用門 (外から見たところ)


殿様通用門 (内から見たところ)


「佐藤一斎」

「この人物がい なかったら、日本の夜明けはなかったかもしれない」とまでいわれる江戸時代後期の儒学者で、著書『言志四録』は西郷隆盛、勝海舟、坂本龍馬など、幕末の志士に大きな影響を与え ました。  

佐藤一斎 言志晩録
 石重し故に動かず 根深し故に抜けず 人は当に自重を知るべし
 春風を以って人に接し 秋霜を以って自ら粛む


御在所岳の後は、鈴鹿スカイラインを通って滋賀県野洲川ダムと青土ダムへ

2018年09月02日 | 町歩き・ウォーキング・登山
昨日からの続きです。
来るときは、東名阪道四日市インターで降りて御在所岳まで来ましたが、帰りは遠回りにはなりますが、鈴鹿スカイラインを通って滋賀県の野洲川ダムと青土 (おおづち) ダムに立ち寄り、甲賀土山インターから、新東名高速道路に入るコースで帰路につきました。

御在所岳山頂から少し足を伸ばすと望湖台があります。御在所岳頂上から望湖台へむかいます。
天気の良い日には、琵琶湖を望むことができますが、この日は曇っていて見えません。
この展望台は柵もなく、むきだしの岩場で、この向こうは断崖絶壁です。
右端に座っている人の位置まで行くには勇気がいりそうです。


涼しい風が吹き抜けていきます。






望湖台左手には、御嶽大権現の建物が見えます。
御嶽教の普及に専念していた行者覚順が、“偶々鈴鹿山系の主峰御在所岳が神霊安置の地に最適なり”と明治17年に小社を建立し木曽の御岳神社の分霊をここに移しました。現在の社殿は昭和39年に建立されたものです。




帰りはリフトには乗らずに歩いてロープウェイ駅まで降りて来ました。とは言っても、下りで距離もしれています。これでは歩いたとは言い難いです。


ロープウェイ駅構内のロープウェイ博物館に入ります。




博物館内から見た風景です。












ロープウェイで下ります。




下りのロープウェイから見た風景です。






三岳寺も見えます。


帰りに通った鈴鹿スカイライン沿で見かけたミズキです。




滋賀県甲賀市土山の野洲川ダムです。


野洲川ダム堰堤から、下流の集落を見たところです。


これは、イタドリでしょうか。たくさん咲いていました。


滋賀県甲賀市青土の青土(おおづち)ダムです。



三重県菰野町の御在所岳で空中散歩を楽しみました。

2018年09月01日 | 町歩き・ウォーキング・登山
三重県菰野町の御在所岳に、ロープウェイとリフトを乗り継いで登ってきました。登って来たといえば聞こえがいいが、これは登山ではない。歩かずして頂上に立っただけのことです。(笑)
このロープウェイが出来た当初は、世界記録が6つもあったという。①線路水平全長 2,004m、②線路斜全長 2,159m、③起終点高低差 780m、④客車数 30両、⑤毎時最大輸送人員 1,248名、⑥最高支柱高(6号支柱) 61mの6つです。そして50年後の今は、次々と記録が抜かれていき、未だに誇れるのが、6号支柱の61メートルの記録だという。世界の記録は定かではないが、日本では一番高い鉄塔だとのことです。(8月30日撮影)

駐車場からすぐのところに御在所ロープウェイの湯の山温泉駅があります。


ここから、全長2,161m、片道12分の空中散歩が始まります。


ロープウェイの運転速度は毎秒2mです。


ロープウエィから見た湯の山温泉の建物です。


ロープウェイの窓越しに眺めた風景です。




夏休みも残すところ2日となり、子供さんの姿も多かったです。




ロープウェイ終点駅に到着。ここで標高1,180mです。


ロープウェイ終点駅の構内です。


ロープウェイ終点から、リフトに乗り継いで頂上までいきます。頂上までの所要時間は8分です。歩けば約30分ですが楽な方を選びます。


リフト終点に到着です。


リフトを降りるとすぐに御在所岳頂上です。標高1,211.95mです。ここまでくるのに何歩歩いたのだろう。多分千歩未満。汗もかかずに頂上に立てた。これではいかん。帰りは少しでも歩かなくては。


大きな石が、いたるところにあります。


御在所の夏は、平地より10℃も涼しく、日中の平均気温は20℃~21℃だということです。




頂上からは伊吹山、伊勢湾、琵琶湖、鈴鹿峠などを望むことができます。


頂上には山口誓子の句碑もあります。 「雪嶺の 大三角を 鎌と呼ぶ」


ロープウェイ駅とリフト乗り場を振り返って見たところです。


頂上からの眺望です。








御在所岳山上ウォーキングマップ


頂上付近で見かけたトンボ
夏休み限定で、アカトンボのマーキング調査体験が開催されていて、子供達がタモを持つて赤とんぼを追いかけていた。赤とんぼは、お盆過ぎ以降、朝夕の気温が下がり始めると、山を下り始め、9月には麓で姿を現し田んぼの水面などに卵を産むようです。頂上付近に残っている赤とんぼの数はごくわずかです。








キアゲハ




バッタ


明日へ続きますので、本日はコメント欄を閉じさせていただきます。

花の山・伊吹山では数多くの花が咲き乱れていました。

2018年07月24日 | 町歩き・ウォーキング・登山
伊吹山登山道で見かけた花です。シモツケソウの見頃には、まだ早いのかなと思いながら出かけましたが、かなり咲いていました。山野草を獣害から守る防護ネットの点検をされていた人のお話では、今年は例年よりも花の開花が一週間以上も早かったということです。花の名前は伊吹山お花畑辞典で調べましたが、微妙なものもあり中には間違いがあるかもしれません。

メタカラコウ


クガイソウ


イブキトラノオ




イブキジャコウソウ


アカソ


キンバイソウ


キバナノカワラマツバ


キヌタソウ


キオン


カワラナデシコ


オオバギボウシ


ウツボグサ


イワアカバナ


ミヤコアザミ


シモツケソウ




シシウド


サラシナショウマ (ツボミ)


この写真は、昨年8月31日に撮影したサラシナショウマです。この花が咲く頃にはイブキトリカブトもたくさん見ることができます。


クルマバナ


クサフジ


ヤマアジサイ


名前がわからなかった花











岐阜県と滋賀県にまたがる日本百名山の一つ「伊吹山」に登りました。

2018年07月23日 | 町歩き・ウォーキング・登山
毎年夏に登っている伊吹山に今年も行って来ました。伊吹山は岐阜県と滋賀県の県境に位置する標高1,377mで滋賀県最高峰の山です。日本百名山の一つで、自生する植物には、「伊吹山固有種」も多く、貴重な自然の宝庫です。昭和2年2月14日に観測された11.82mの積雪量は世界記録にもなっています。伊吹山ドライブウェイの山頂駐車場1,260mから1.377mの頂上までは3本の登山道があり手軽に登ることができる山です(内1本は下山専用道) 。この日は、吹き抜ける風に涼しさを感じたものの、上空に雲が流れ込むことがなく、日差しを遮るものが全くない登山道で浴びる強烈な太陽光が厳しかったです。(撮影日7月18日)

山頂駐車場から眺めた伊吹山です。


西登山道からの眺望










キンバイソウ


サラシナショウマのツボミ


西登山道からの眺望




シモツケソウの群落とシシウド
シモツケソウは今週中頃には見頃を迎えそうです。


西登山道からの眺望


イブキトラノオ


山頂が近づいてきました。


山頂の山小屋




山頂




山頂のお花畑








山頂からの眺望


おびただしい数のアキアカネが飛んでいます。


西登山道からの眺望


中央登山道から駐車場を見たところです。シーズンには大混雑する駐車場もガラ空き状態でしたが、観光バスは10台来ています。おそらく乗用車で来られた登山客より、観光バスの登山客の方が多かったのではないかと思われます。


登山道で見かけた花は、明日ご紹介いたします。

名古屋地下鉄・駅ちかウォーキング

2018年05月02日 | 町歩き・ウォーキング・登山
4月28日に開催された、名古屋市営地下鉄駅を発着点とする「駅ちかウォーキング」に参加しました。今回のウォーキングは、地下鉄上前津駅をスタートして、ゴールの名城公園駅までの8.6kmを歩くというものです。朝9時10分にスタートして、途中久屋大通公園フラリエ・東別院・大須観音・白川公園・名古屋城などに立ち寄ったり、休憩したりしながらマイペースで歩き、ゴールの名城公園駅に着いたのが2時10分でした。歩数計が22,000歩を超えていました。疲れました。

今回のコース (赤線) です。スタート地点でコース表をもらって、後は各自がマイペースで歩けるので急ぐ必要はありません。途中でお茶を飲んだり、食事をしたりの休憩も自由です。午後2時40分までにゴールすれば良いのです。
    

最初の立ち寄り先、久屋大通公園フラリエでは、蘭の花や庭園の花々が綺麗でした。






















フラリエ園内を通過する参加者


東別院・てづくり朝市を横目で見ながら通過します。大勢の人で賑わっていました。


東別院を通り抜けます。


大須門前町あたりではNAGOYA FURUGI MARKETが開催されていました。


西大須交差点を通過します。


大須観音に立ち寄り参拝しました。


境内では骨董市が開かれています。たくさんの店が出ていて、懐かしいものも並べられていました。


大須観音を後にして白川公園を目指します。


白川公園に到着です。


白川公園では、シランの花が迎えてくれました。公園内を通り抜けます。


公園内にある名古屋市科学館です。


白川公園を出て、建て替わった御園座の前を通過します。


歩道橋を渡れば名古屋城です。歩道橋の上から見たユリノキ (ハンテンボク)です。花をたくさんつけています。


二の丸庭園に到着です。


加藤清正像と名古屋城です。


名古屋城とナンジャモンジャの木です。


西北隅櫓が一般公開されていたので中へ入ります。


西北隅櫓です。


西北隅櫓の内部です。中はガランとしています。


西北隅櫓を出て名古屋城にも入城しました。天守から見た北方向の眺望です。


本丸御殿にも立ち寄りました。




名古屋城天守と西北隅櫓


内堀にはシカもいました。かつては50頭を超える鹿がいたようです。現在は2頭しか残っていないそうです。そのうちの1頭が負傷して治療中だとか。1頭だけで寂しそうでした。


金シャチ横丁を通過します。ゴールまであと少しです。


名城公園前を通ります。歩き疲れて公園内を散策する元気なし・・・。



ゴールの地下鉄名城駅構内で、参加賞のウェットティッシュをもらって終了です。他へ回る気力もなくそのまま地下鉄に乗り帰路につきます。

日本大正村

2018年04月08日 | 町歩き・ウォーキング・登山
豊田市旭地区の「上中のしだれ桃」を見た後に、岐阜県恵那市明智町の日本大正村を訪れました。明智町は、かつて蚕糸を地場産業としていた頃の姿そのままに、風俗、建物もまた大正時代の佇まいを残しています。村ぐるみ大正博物館ともいえるところです。明智町は明智光秀公生誕伝説の町でもあります。


浪漫亭


大正路地への入口


大正路地




大正時計店と大正村記念館 (正面の建物)


大正時計店の内部
古時計が展示してありました


大正村記念館から見た町並み


大正村役場
平成11年、文化庁より登録有形文化財の指定を受けた大正村役場は、明治39年、町庁舎として建てられた建物です。瓦葺き寄棟造り2階建の木造洋館は、当時としてはモダンともいえるものでした。昭和32年まで町役場として使われました。


訪れた日を大正年にすると、大正百十年四月五日になるようです。


大正村役場内部












大正村役場村長室


大正村は初代村長・高峰三枝子さん、二代目村長・司 葉子さんと続き、現在は三代目村長を竹下景子さんが務められています。


大正村浪漫館への道筋で見かけた風景


大正浪漫館と大正村初代村長・高峰三枝子像




大正浪漫館の内部
大正浪漫館には初代村長高峰三枝子さんの部屋と初代議長春日野清隆さんの部屋があり、お二人にまつわる資料や衣装などが展示されていましたが撮影禁止となっていました。






白狸




大正浪漫館からの眺め


旧三宅家


















うかれ横丁


本日はコメント欄を閉じさせていただきます。

三州足助街並み散歩

2018年02月27日 | 町歩き・ウォーキング・登山
香嵐渓の紅葉で名高い愛知県足助町では、第20回「中馬のおひなさん」が3月11日まで開催されています。中馬と書いて『ちゅうま』と呼びます。江戸時代に信州の馬稼ぎ人たちがつくった同業者のことで、「賃馬」、「中継馬」が語源とされています。一般には伊那街道(飯田街道 )で物資の運搬に従事した全ての人々のことを指しています。この中馬と呼ばれる人たちが行き来したことから街道は別名『中馬街道』とも呼ばれています。この中馬のおかげで、街道の中地点だった足助は、三河湾からの塩、信州からの米やタバコなどの山の産物が集まる交易の町として栄えました。(パンフレットから)
「中馬のおひなさん」も年を重ねるごとに賑わいを増してきています。今回は足助の町並みの様子です。








アンティークのお店も、大勢の人で賑わっていました。




















柚餅子(ゆべし)
足助に伝わる保存食です。製法は柚子の実の上部を切り取り中身をくり抜いたものに、胡椒、胡桃、落花生等をすりおろし、調味した赤味噌に練りこんだものを詰め、切り取った上部で蓋をして蒸した後、干し上げて乾燥させたものです。


蔵の中の本屋さん。マンリン書店


マンリン小路




ぞうり竹
足助の町並みの各所に設置されています。 ここに願い事を書いた布を結びとめると、願い事が叶うようです。この“ぞうり竹”と一緒に八幡宮に奉納されます。
















花餅
正月、とくに小正月にエノキやヤナギなどの木に餅や団子を小さく挿して飾っています。一年の五穀豊穣を祈願する意味を持っています。






いのししの毛皮
食事の店の横に干してありました。












蓑曳鳥(みのひきどり)
江戸時代初期足助地方で田畑の害虫駆除を目的としてつくられたものであるが、肉質産卵ともに優れており蓑を曳いたように姿からこの名がついた。昭和15年天然記念物に指定された。


おびんずるさん
普光寺本堂横には、「おびんずるさん」と呼ぶ賓頭尊者(びんずるそんじゃぞう)が祀られています。




〆縄




明日は、中馬のお雛さんの数々と素朴な土雛をご紹介いたします。


明日に続きますのでコメント欄を閉じさせていただきます。

愛知県陶磁美術館は紅葉も黄葉も素晴らしいものでした。

2017年11月07日 | 町歩き・ウォーキング・登山
リニモ秋色ウォーキングの続編です。ゴール地点の「愛知県陶磁美術館」の紅葉と黄葉も素晴らしいものでした。標高が高いわけでもないのですが、早くも色づいた木の葉が実に見事でした。どうやら今年の紅葉の色づきは、例年よりも早いように思います。










































リニモ秋色ウォーキングに参加しました。

2017年11月06日 | 町歩き・ウォーキング・登山
11月5日に開催された、リニモ秋色ウォーキングに参加しました。コースは愛知県長久手市の「愛・地球博記念公園駅」をスタートして、瀬戸市デジタルリサーチパークセンターを経由し「愛知県陶磁美術館」をゴールとする距離9kmです。瀬戸市デジタルリサーチパークセンターでは、デジタルまつり2017が開催されていて大勢の人で賑わっていました。

今回のコースです。


リニモの愛・地球博記念公園駅をスタートします。




遠くに瀬戸市デジタルリサーチパークセンターのデジタルタワーが見えます。ここがチェックポイントになります。


愛知県立大学前を通過します。


ここから瀬戸市に入ります。


ふれあい市場を右手に見て進みます。


瀬戸市街が前方に見えてきました。


デジタルリサーチパークセンターのデジタルタワーが近づいてきました。
瀬戸デジタルタワーは愛知県瀬戸市にある、中京圏の地上デジタルテレビ放送を専門に送信する集約電波塔です。


デジタルリサーチパークセンター周辺の景観です。前方に見えるのは瀬戸市内です。




デジタルまつり2017で賑わっています。




デジタルタワーを間近から見上げたところです。


デジタルリサーチパークセンターを出て、しばらくすると野菜畑が目につきます。


この野菜畑で土生姜を買いました。これで200円とお値打ちでした。


しばらくの間、瀬戸市の街中を進みます。


町中の風景です。


街外れに差し掛かりました。


山道を愛知県陶磁美術館に向かいます。


愛知県陶磁美術館に到着です。ここがゴール地点です。
















参加賞のリニモをあしらったオリジナルピンバッジです。参加するたびに異なるバッジをもらえます。これで27個目です。


愛知県陶磁美術館を出て、リニモ「陶磁資料館南駅」に向かいます。




駅に向かう途中には陶板画が展示されています。




駅に向かう途中に「知の拠点 あいち」があります。ここの前を通ります。


「知の拠点 あいち」の建物です。
「知の拠点 あいち」は、「あいち産業科学技術総合センター」とシンクロトロン光利用施設である「あいちシンクロトロン光センター」及び「新エネルギー実証研究エリア」の3つの施設から構成されています。付加価値の高いモノづくりを支援するための研究開発拠点です。


車が置いてある、出発点の「愛・地球博駅」までリニモで戻ります。


リニモの車窓から見た、愛・地球博記念公園 (モリコロパーク) です。




「愛・地球博駅」を出るリニモです。観覧車も愛・地球博記念公園の中にあります。

江戸から47番目の宿場・中山道 大湫宿 (大久手宿)を訪れました。

2017年09月15日 | 町歩き・ウォーキング・登山
岐阜県瑞浪市の中山道・大湫宿 (大久手宿)を訪ねました。大湫宿は慶長9年(1604年)日吉高原〜十三峠の標高510mの高所に新道として中仙道が整備され、新宿として大湫宿ができ、1861年皇女和宮降嫁に伴い10月28日に宿泊された。この時の御供約5000人、人足等約28000人、馬約800頭だったと伝わります。
【大湫(おおくて)と大久手(おおくて)の使い分け】
  大 湫・・・村としての地名で「大湫宿」
 
 大久手・・・幕府等の文書で「大久手宿」 

本陣跡の小学校校庭 
小学校は新しい校舎に移り、この校舎は秋に解体される予定です。


和宮が泊まった本陣は、現在小学校になっている。それを偲んで2句を刻んだ歌碑が建てられている。
  遠ざかる都と知れば 旅衣 一夜の宿も 立ちうかりけり
  思いきや雲井の袂 ぬぎかえて うき旅衣 袖しぼるとは


本陣跡の説明


和宮陶人形
皇女和宮 (中央) が徳川家茂に嫁いだ時の姿を表したものです。


脇本陣 (19部屋、153畳)
中仙道の整備によって、1604年に大湫宿が正式に開設され、保々氏が本陣・脇本陣・問屋場を任せられる。御公用継立てにより、公卿・幕使・大名などの宿泊所となる。(非公開)


大湫宿丸森 (国登録有形文化財) と大湫宿の町並み
丸森は当時は旅籠と塩の販売業を営んでいました。現在は観光案内所となっており、内部が公開されています。
























大湫宿の街並み




















山車蔵 今年は10月1日にお祭りが開催され、葵の御紋がある山車が引き回されます。


高札場 幕府が法令・心得等威厳を示し掲げた所


神明神社


神明神社の大杉 
樹齢1300年、幹回11m、直径3,2m、樹高60m (現在40m)、3度の落雷などにより、樹勢が弱くなってきたため、保存事業が行われた。








愛知県瀬戸市岩屋堂と岩巣山展望台

2017年09月11日 | 町歩き・ウォーキング・登山
愛知県瀬戸市にある岩屋堂の地名は、岩尾山薬師堂という名から由来しています。この付近は、岩屋堂公園として一年中行楽客が絶えないところです。特に秋の紅葉は素晴らしいものがあります。岩屋堂は紳亀元年(725)名僧行基が当地に来て草庵を結び、この岩窟内で三体の仏像を彫刻し、時の聖武天皇の病気平穏を祈願した霊跡であり、一体の薬師瑠璃光如来を本尊として、岩尾山薬師堂が建立され諸堂を完備し信仰を集めています。小鳥たちも宝前に木の実を供えたといい鳥原という地名の由来があります。

岩屋堂案内マップ。


岩屋堂公園で見かけた花々です。
ツルボ


ツルボが群生していました。


センニンソウ


ゲンノショウコ


アレチヌスビトハギ


岩屋堂と岩巣山への入口です。


岩屋堂窟です。


堂窟内には、薬師如来石像と十二体の石像が安置されています。


登山道には巨大な石が数多く見られます。




登山道の木立です。


登山道で見たキノコです。


登山道のオオモミジです。まだ、青々としています。


登山道には、こんなところも。


登山道脇の石組みです。自然にできたものです。


頂上が近くなってきました。


岩巣山展望台に到着です。


展望台からの眺めです。天気が良ければ、名古屋駅や金山総合駅、東山タワーも見渡せるのですが、霞んでいてよく見えません。


展望台の左側です。こちらは山ばかりです。


展望台から瀬戸大滝に向かいます。この道は、荒れた道でした。滑らないようにゆっくりと下ります。


展望台近くで見たドングリです。たくさんの実をつけていました。


鳥原川へ出ました。激しい流れがあれば、緩やかな流れありと変化に富んでいます。この下流は夏場には天然プールとなり、水遊びをする大勢の子供達で賑わいます。


この川を遡ったところに瀬戸大滝があります。












ミズヒキが清流に映えていました。