武漢ウイルス事件~一々、決める事か。

2023-05-22 23:11:07 | 真面目に考える

 どうにでも出来る事に、
どうにも出来なくなるような縛りを掛け、
「出来ました、やらせています。」
で、おしまい。
「出来ました、やらせています。」
と言いたい人の為の、戯言。

本来は、どうにでも出来る話ですので、

「これくらいでよろしいんとちゃいますか。」
「あのほうがよろしおまへんか。」
「なんか、わからしまへんなぁ。」
「まあ、あんじょうよろしゅう。」
くらいの、
その場その場の各々の判断、裁量で決められます。

形式上で決めた事でも、
「これはあきまへんなぁ。」
「変えた方がよろしいんとちがいますか。」
「ほな、こうしましょ。」
と、
その場その場の各々の判断と裁量で以て、
最善の方向へ変更出来ます。

大企業のエライサンなどの
”何もかも決めなければいけない”という発想には、
社会性も現実感も生活感も、ありません。
何しろ、”俺様が仕切っている”という自己満足ですから、
そこには判断の根拠すらありません。

生活の大半の物事に関して、
決めなければ出来ない事等、ありません。
決めなくてもどうにでもするし、どうにでもなるのです。
”咳エチケット”などという言葉遊びをしている時点で、
どうにでも出来ますよと言われているのと同じでした。

それを一々、決めなければいけないと思い込んだ事が、
武漢ウイルス事件の間違いの始まりで、
事態が一向に改善されなかった理由の最たるものです。

政府が
「まあ、これくらいでやっといて下さい。」
「あっちこっちで細かい事を勝手に決めないで下さい。」
と最初に大枠で言っておけば、
決めなければいけないと思い込む阿呆に
掻き回される事も無く、
最初の一年位で終わっていた騒ぎでしょう。

「一々、決めなくて良いですよ。」と、決める。
実に簡単な話です。



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