どうにでも出来る事に、
どうにも出来なくなるような縛りを掛け、
「出来ました、やらせています。」
で、おしまい。
「出来ました、やらせています。」
と言いたい人の為の、戯言。
本来は、どうにでも出来る話ですので、
「これくらいでよろしいんとちゃいますか。」
「あのほうがよろしおまへんか。」
「なんか、わからしまへんなぁ。」
「まあ、あんじょうよろしゅう。」
くらいの、
その場その場の各々の判断、裁量で決められます。
形式上で決めた事でも、
「これはあきまへんなぁ。」
「変えた方がよろしいんとちがいますか。」
「ほな、こうしましょ。」
と、
その場その場の各々の判断と裁量で以て、
最善の方向へ変更出来ます。
大企業のエライサンなどの
”何もかも決めなければいけない”という発想には、
社会性も現実感も生活感も、ありません。
何しろ、”俺様が仕切っている”という自己満足ですから、
そこには判断の根拠すらありません。
生活の大半の物事に関して、
決めなければ出来ない事等、ありません。
決めなくてもどうにでもするし、どうにでもなるのです。
”咳エチケット”などという言葉遊びをしている時点で、
どうにでも出来ますよと言われているのと同じでした。
それを一々、決めなければいけないと思い込んだ事が、
武漢ウイルス事件の間違いの始まりで、
事態が一向に改善されなかった理由の最たるものです。
政府が
「まあ、これくらいでやっといて下さい。」
「あっちこっちで細かい事を勝手に決めないで下さい。」
と最初に大枠で言っておけば、
決めなければいけないと思い込む阿呆に
掻き回される事も無く、
最初の一年位で終わっていた騒ぎでしょう。
「一々、決めなくて良いですよ。」と、決める。
実に簡単な話です。