富士山を売り払った日本人

2013-06-22 23:38:48 | 真面目に考える

 富士山は信仰の対象であり、欲や損得とは最も縁遠い存在である。

信仰と言うよりは、心の、ぼんやりとした拠り所、とでも言うべきと思う。

それを世界遺産に登録したいと考えること自体が、

エベレストに八十歳だか何だかで登ったという日本人と同様の、

恥知らずで、筋違いな話である。

何れの場合も、肝心の対象に対する敬意は、皆無である。

登録したい人たちは、富士山をただの物として捉え、世界に売り払ったのだ。

その罪を償う方法など、ない。

ものごとを抽象的にしか捉えず、総てを自分中心にしか考えられない人間による、

国を売り払う愚行である。

 逆に、これを機会に入山制限を強化し、おいそれと入山出来ないようにするなら、

意味はあるかも知れない。そこで誰某の機嫌を取らず、断固とした態度を示せる

なら、日本人も捨てたものではない。私は、これまで以上の入山制限を設け、これ

まで以上に入山者数を減らすべきと考える。

 いずれにしても、富士山を守る方法としては筋違いで、間違いである。

「 ただ、そこにあるだけのもの 」 に意味を見出せないような輩は、

日本人ではない。

見たければ、来ればよい。来るものは、拒まない。

しかし、それは敬意を以て臨む姿勢があればこそ許される行為であり、

そこには正に、損得など無縁なのである。それが富士山であり、日本である。



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