武漢ウイルスが怖いか、平気か。話は、其処ではない。
マスクが意味があるか、無いか。いや、話は其処ではない。
ワクチン(擬き)が危険か、どうか。
話は其処ではない・・・の、繰り返し。
初めの一歩で間違えたまま、札を付け替えられ続けて、
三年間も、これはこうだ、いや、ああだ、の繰り返し。
日本人にとって、武漢ウイルスがどの程度のものか。
話は、その一点に尽きる。
未だに何か、良い事をしている気になっている人が多いが、
それは、三年もの間、何にも考えていませんでしたと、
告白しているのと同じだ。
貴方の言っている事や、やっている事、やらせている事に、
どんな意味があるのか。
それは、武漢ウイルスの感染予防対策として、
どれくらい意味があるのか。
二千二十年の初めからは勿論、
この三年間の経緯からしても、
武漢ウイルスは、日本人にとっては風邪であり、
悪く言ってもインフルエンザ程度の風邪であり、
貴方が、この三年間の騒ぎの以前に、
風邪やインフルエンザに対してやっていなかった事は、
やる必要が無いという結論にしか、ならない。
この三年間の騒ぎ以前とその後で、
貴方にとって、
風邪やインフルエンザの意味が変わったのか。
何故、武漢ウイルスだけ、特別扱いしているのか。
国民が風邪を引かない為に、
社会や国の規模で取り組む必要があるのか。
何かをやっている、出来ている”つもり”だけで平気な人は、
自分の満足感、自己満足でしか物事を捉えられない人は、
”意味”を考えられない。
”自分の気持ち”だけが、判断基準になる人だ。
そのような人達に、社会や国にとって何が必要かなど、
判る筈も無い。
従って、「武漢ウイルスの対策をしているのが正しい」
という状況から、何年経とうが、一歩も進めない。
彼らは絶対に、其処から抜け出せない。
初めに気が付かづ、未だに気が付けないような人は、
最早、切り捨てるしかない。