子供は、三歳までは親が責任を持って育てる。保育園には預けない。
保育園とは、社会福祉施設である。どうしても子供を育てられない人が、
止むを得ずお願いするところである。
その三年間で、子供は無意識の内に、自分は~さん家の子供なのだという
自覚を持つ。自分の絶対の拠り所がここにあるという自覚を以って、
一人の人間としての土台を築ける。
生まれて直ぐに保育園に預けられた子供は、とにかく周りの連中と一緒に騒いで
いれば良いと思ってしまう。そこに、正しいか間違いか、良いか悪いかの判断は、
ない。三歳までは、テレビと現実の区別はつかない。保育園という擬似集団生活を
送った子供は、一人一人の人間としての大前提を育めない。自分も他人も無いと、
勘違いしてしまう。
自分が何者かを自覚していれば、三歳児は三歳児なりに、他者との関係を築く
ことが出来る。他人や自分について、疑問を持つことも出来るようになる。
そして、そうした子供の自覚を育てられるのは、親を措いて他に、無い。
その親が、自分の子供の人生を決定付ける期間を人に丸投げするとは、
どういう了見だろうか。結婚したんですけど~、子供できたんですけど~と、
何かをすることはあっても、その結果を考えたり、起こった結果の対応をしようとも
思わない。何もかも、他人事だ。
そんな親の態度の結果、
大きくなって人を死ぬような目に合わせたり、
死ぬような目に合った時に実際に死を選んでしまう子供が出来上がる。
自分が自分であり、その上で他人がいる。同時に、他人がいるからこそ、自分は
自分なのだと考えられれば、人がどう感じるか、自分はどうするべきかが、自然と
判る。自分にとっての絶対の拠り所があると判っていれば、他人を貶めるような
人間には育たない。
生まれたばかりの子供を放り出す、判断する力を子供に与えない、
子供を育てない親を、 ” 親 ” と呼べるだろうか。
先ずは、親が親の責任を果さなければならない。
それが出来ない者は、親とは呼べない。呼ばれる資格が、無い。