羽生結弦選手 応援ブログ~kosumo70

日々の出来事や、フィギュアスケート、羽生選手の情報や感想など。
楽しく羽生選手を語りたいと思います。

過去の勲章~

2019-07-09 11:17:49 | 日記
 

 テオさんのツイより
 【YouTube再生リスト確認方法】
 私も含め💦再生リスト(プレイリスト)の
 公開非公開をよく理解してない人が多い
 ようなので、確認手順を作ってみました。

 1度でも動画見て保存したことの
 ある人は確認お願いします!
 必ずYouTubeのアプリから開いて下さい!
 Twitterからだと確認変更できません。

 Eteryさんのツイより
 細田さんの3A3T😲😲😲
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 <過去の記事から>昨日の続きです。
 あの伝説の2012年 
 世界選手権のロミオとジュリエットのエピソードです。

 恩返しの旅は続く
 
「自分を取り巻く人たちのことについて真剣に考えたんです。
 母にも『この状態でよく頑張ったんじゃない』と言われて。
 そこまでやれたのは早急に跳べるようにしてくれた
 ドクターやトレーナーだったり・・・
 声援を送って支えてくださった観客や、仙台にいる人たちが
 いたからだよね、というような話をしました。

 応援してくれる人たちを思ったとき、怪我はあっても、
 それは関係なくフリーは頑張ろう、という気持ちになりました」

 そしてフリーを迎える。

 プログラムは「ロミオとジュリエット」。
 冒頭、4回転ジャンプに成功。ミスのない滑りが続く。
 歓声と拍手が大きくなる。場内の熱気が高まっていく。

 だが、思わぬところで転倒してしまう。

「左足で滑っているときにこけちゃったんですけれど、
 右足をかばっていたため左足に負担がかかっていた影響は
 あったと思います。やっぱり悔しかった。
 次のジャンプのときなんか、言葉はきれいじゃないですが
 『この野郎!』って口にしながら跳んだくらいです」

 フリーの技術点は、優勝したP・チャンを抑え堂々の1位。

 転倒による動揺もなく、羽生は立て直した。
 そのときの心境を、こう語る。

「転んだ瞬間、大きな拍手をもらって、それが聞こえたんですね。
 これは頑張らないと、って思いました。
 世界選手権という舞台だけにプレッシャーはあったと思います。
 でも世界選手権だからこそ歓声や応援をもらえたと思うし、
 それを受け止められました」

 転倒後はノーミスで演技を終えると、さらに大きな拍手が
 起こった。羽生は右手で小さくガッツポーズをすると、
 おじぎをするかのように下を向いた。
「まず右足に触って、『よくもってくれたね』って声を
 かけてあげたんです。
 とにかく足に感謝したい、という思いでした」

 

 スコアは173.99、総合で251.06。フリー、総合ともに自己ベスト
 を大幅に更新。しかもフリーの技術点は、優勝した
 パトリック・チャンを抑え、堂々の1位であった。
 転倒こそあったものの、アクシデントなど感じさせない会心の
 演技だった。
「ジャンプを跳んだり降りたり、痛かったと思うんですね。
 ただ、いい集中をしていたので痛みは感じなかったというのが
 正しい表現だと思います」
 痛みが戻ってきたのは、ミックスゾーンでの取材対応の
 ときだった。

「ずっと立っているとだんだん痛くなってきました。
 でも、最後までできたのはいろいろな方々に支えられた
 という思いがあったから、足が痛いとは言いたくなかった。
 それにメディアへの対応というのは、多くの方々に自分の声を
 届ける場だと思うんです。だからしっかりやらないといけない
 と考えていました。
 取材後は猛スピードで靴を脱いで、足を冷やしてくださいって
 言いましたけど(笑)」

 捻挫のことを大会中最後まで隠し切った羽生らしさ。
 結局、羽生は捻挫のことを大会ではいっさい公けに
 しなかった。
「言いたくなかったんです、絶対に。
 一部の関係者やメディアの方にはアイシングやテーピング
 しているところを見られたのですが、ドクターや
 トレーナーの方も、聞かれても
 『最近、捻挫が多いから予防のためにしてました』と
 言ってくれました」

 うれしかったら思い切り笑顔を見せ、ときにおどけた
 しぐさもする愛嬌の一方で、失敗すれば地団太を踏むかの
 ごとく悔しさを露わにする。
 そんな飛び抜けた負けん気を持つのが羽生だ。
 捻挫という弱みを見せたくなかったという心根、最後まで
 隠し切ったところに、彼らしさが表れている。

 大会後、映像で自身の演技を見返して分析すると……。

 大会後、映像で自身の演技を見返したと言う。
 あれだけの演技ができた理由を、羽生はこのように
 分析する。

「ときどき足をかばう動きも見えましたね。
 ただ、痛かったからこそ、全部ていねいにやったという
 ことはあったんじゃないでしょうか。
 冷静だったのも大きかった。最後のステップ、叫んで始まる
 ところ、歓声や手拍子がすごくて、背中を押されて
 いたんですね。
 ステップはその力で滑らせてもらって、最後のジャンプは
 自分で跳ばないといけないから自分の力はためておこうと。
 まあ、力をうまく温存したというか、冷静な判断ができて
 いました。

 なによりも、たくさんの人のパワーをもらってここまで
 出来た。3位という結果は、いろいろな方のおかげだと
 思いますね」
 シーズン開幕前、羽生は「最後までやりきること」を目標に
 掲げていた。
 言葉どおりに最後まで滑りきったのがフリーの演技だった。
 世界選手権を振り返りながら、何度も
 「支えてもらった」「パワーをもらった」と
 心からの思いを込めて繰り返した羽生。

 そこには、震災の苦しみをくぐり抜けることで変わった
 スケートへの思いがあった――。
 Numberより 2012年 5月18日

 【ベルギー版日本語訳】羽生結弦 2012 世界選手権 FS
  (フランス語訳 )

 
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 Signature Elements of Famous Skaters:
 IJS Era Part One
 Yuzuteaさん

 

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マスカレイドがロシアのスポーツ情報に!!

2019-07-09 01:13:35 | 日記
 
 毎日新聞から

 いちご日和さんのツイより
 マスカレイドがロシアのスポーツ情報サイト
 sports.ru のブログ記事に。羽生君がこの曲を選び
 ToshIさんの心に深く入り込んで演じたこと、
 仮面を壊す象徴としての手袋ビタン、ToshIさんが
 羽生君の想いに感動しブログに綴ったことなどが
 詳細に。プログラムが進化した様子やお衣装が→
 ※ロシア記事はこちらです。

 お写真こちらが・・
 

 
 ※まだあります。 

 ゆらさんのツイより
 ジェーニャがポルシェの写真をインスタに
 UPしたことで、自慢だとか色々言われているようで…😢
 それに対するジェーニャの言葉に泣きます…
 ぜひ皆さん知ってください😭
 プルシェンコ ①
「健康と仕事、それが僕の得たもののすべて!」
 ②「僕は圧力をかけたのでもなく、横領もせず、税金は
 全て支払い、昨年は息子と共にロシア国内外で数多くの
 ショーで滑った。僕は21歳の時から世界中のショーに参加し、
 人生で膨大な数のショーに取り組んできた。
 僕は毎年、貧しい家庭や基金、障がい者の方に1万枚以上の
 ショーのチケットを贈っている」

 ③「4度の五輪メダルやその他タイトル、これらは栄誉だけ
 でなく、16度の手術や困難だった復帰を乗り越え、その後も
 僕はさらに滑り続ける。
 僕は極貧とは何か、空き瓶拾いがどんなものかを知っている。
 努力してロシア、世界的ブランドの信頼を得てパートナーや
 アンバサダーになった人々を嬉しく思う」

 ④「自らの得意分野とする仕事で最高になれた人はみな幸せだ。
 息子が朝から晩までリンクで、最高にやる気を持って練習に
 取り組んでいる時、僕は幸せだと思う。僕は毎日、生徒たちと
 リンクで7時間仕事ができることがうれしく、自らの努力に
 よって成功を収めた一人一人のことを喜ばしく思う」

 ⑤「自分のことだけでなく、せめて時々は他の人が幸せで
 あるようにと学ぼう。
 そうすることがあなたにも幸運と、人としての幸せが訪れる
 と僕は信じている!」

 ゆらさんのツイより
 今の「皇帝」らしい生活ぶりからは想像もできないかも
 しれませんが、プルシェンコという人はソ連の貧しい
 田舎町に生まれ、幼い頃は体がとても弱かったために
 ご両親が何かスポーツをさせようとスケートを始めさせた
 のです。ほどなくして地元のリンクが閉鎖、が、才能を
 見出されたプルシェンコ少年。

 サンクトペテルブルクのミーシンコーチの元へたった1人、
 わずか11歳で行ったんです。まだソ連の時代、それが
 ジェーニャ本人にとって、ご家族にとって、どんなに
 恐ろしいことだったか想像もできない。
 食べる物、着る物にも困るほど貧乏で、たったひとつの
 リンゴをお母様と2人で分け合って食べたり、→

 少しでもお金を稼ぐためにアル中の男たちがうろつく街中で
 空き瓶を拾い集めてお小遣い稼ぎもしてた。
 スケートの才能があった故に、先輩たちから「帰れ田舎者」
 と罵倒されたり、殴る蹴るの暴力を受けたり、毎日泣きながら
 リンクへ練習に通っていたなんて、今の「皇帝」から
 想像もできないでしょう。→
 下へ続きます。
 ※小さい頃貧しかった子供時代は、貧困のひもじいさを
 知っているから大人になって大成する人が多いような・・
 ありがとうございました。
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 <過去の記事から>
 元選手・佐野稔、エキシビションの羽生結弦に
 意地を感じる 2014年

 国別対抗戦を最後に、今シーズンが閉幕したフィギュア界。
 元フィギュアスケート選手の佐野稔さんは羽生結弦について、
 こう評価する。

「ここ何年もオリンピックチャンピオンは、その次のシーズンは
 休養に充てていました。やはり、金メダルをとるというのは、
 ものすごいエネルギーを使うのでしょう。それを羽生クンは
 破って参戦した。ソチ以上のことをやろうとしたんです。
 それに対していろいろイジメられたけど、やってよかったと
 思います。
 今シーズンの試練を乗り切った経験は、次に生きてくる」

 国別対抗戦のエキシビションでは、金メダリストとしての
 意地を感じたと語る。

「国別対抗戦のエキシビションで4回転ループを跳んだのも、
 彼の意地というか憂さ晴らしというか、やっぱりすごいね。
 4回転トゥループは刃の前を使ってジャンプするけど、
 ループは右足の刃の外側を使って跳ぶから難易度は増す。
 そのぶん、基礎点は高くなるんです。

 18年の平昌五輪では、SPは後半でも4回転を入れ、フリーは
 4回転を3つ入れる・・プランを考えているのでしょう。
 これができれば、楽に金メダルがとれますよ。
 ライバルはハビエル・フェルナンデス。
 同じコーチですから、羽生クンと切磋琢磨して強くなって
 くるはず。
 -----------------------------------
 過去の記事2
 あの伝説の2012年 
 世界選手権のロミオとジュリエットのエピソードです。


 恩返しの旅は続く

 世界選手権の銅メダル。栄光を掴んだ背景には、支えてくれた
 人々への感謝の気持ちがあった。震災の苦しい体験によって
 成長した心、そして、完璧なスケーターとなるために下した決断――。
 フィギュア界の若き至宝が飛躍の今季を振り返った。

 気迫に満ちた演技は、時間を経てなお、鮮烈な光を放ち、
 薄れることはない。
 羽生結弦は、初めて出場した世界フィギュアスケート選手権
 (フランス・ニースで3月に開催)で銅メダルを獲得した。
 17歳、日本男子最年少での快挙である。中学3年のとき
 世界ジュニア選手権で金メダルを獲得するなど将来を嘱望されて
 きたスケーターは、シニア転向2シーズン目に大きな飛躍を遂げた。
 精度の高い4回転ジャンプ、図抜けた柔軟性、観る者を引き込む情熱、
 すべてを発揮してみせた。

 あれからひと月近くが経とうとしていた。仙台市内の約束の
 場所に現れた羽生は、半ば照れたような笑顔で言った。
 「過大評価かもしれませんが、初めて出場して、あそこまで
  頑張れたのは、すごかったんじゃないかと思います」

 それは過大評価などではなかった。

 「あの夜は棄権も考えました」
 というアクシデントに見舞われての演技だったことを思えば――。
 捻挫のため、一時は棄権も考えたショートプログラム。

 3月29日夜。羽生は翌日のショートプログラムに向けて練習していた。
 シーズン中、ショートでは4回転トゥループが思うように決まらなかった。
 だからいつもは2、3回で切り上げるところを5回、6回と続けた。

 そのときだ。「疲労がたまったからでしょう」。
 回転不足で着氷すると、右足首に痛みが走った。捻挫だった。

 その夜は歩けなかった。翌朝には大きく腫れあがっていた。

 「歩けなかったときは、『明日滑れるのかな、棄権しようかな』
  と考えましたね」

 それでも出場を選んだ。

 「チームドクターやトレーナー、現地に来てくれていた
  母、いろいろな方がサポートしてくれていたので、
  頑張らなきゃな、と」
 出場を決めたショートは、トリプルルッツが1回転に
 なるなど、7位にとどまる。

 「最初の4回転のコンビネーションジャンプ、4回転のあとが2回転になるのは
  想定していなかった。その後のトリプルアクセルもきれいに決まらなかった
  動揺もあって、足のことが思考回路に入った気がします。
  少しずつ足をかばっていた影響もありました。
  ルッツは右足を氷について跳ぶジャンプなので、躊躇をしてしまったと思います」

 目標のショート6位以内に入れなかったのはもちろんだが、それ以上に
 悔んだことがあった。

 『この野郎!』と口にしながら跳んだフリー。

 「何よりも悔しかったのは、怪我したこと。
  捻挫がこういう結果を導いてしまったのだし、練習の
  ことも反省しました」
 ただ、ショートを終えた翌日にはフリーが待っている。
 どのように立て直したのか・・・
 
 「自分を取り巻く人たちのことについて真剣に考えたんです。
  母にも『この状態でよく頑張ったんじゃない』と言われて。
  そこまでやれたのは早急に跳べるようにしてくれた
  ドクターやトレーナーだったり
  声援を送って支えてくださった観客や、仙台にいる人たちが
  いたからだよね、というような話をしました。
  応援してくれる人たちを思ったとき、怪我はあっても、
  それは関係なくフリーは頑張ろう、という気持ちになりました」
 そしてフリーを迎える・・・
 明日へ続きます。

 その時の動画です。
 【ベルギー版日本語訳】羽生結弦 2012 世界選手権
  FS (フランス語訳 )
 patinage artistiqueさん
 ベルギーテレビ(フランス語)の解説です。

 
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