みつばちエンジニア

SEの閉塞感のすごい日常の打開を夢見て、日々のモヤモヤを綴ります。

欺くための言葉とわかり合うための言葉

2024-04-27 13:18:18 | 日記
金曜日の夜に「勇者ヒンメルは言っていた」と言う言葉に共感してすこし暖かい気持ちになって週末を迎えるルーティーンはなかなかよかった。残念ながらそんな「葬送のフリーレン」の放送が終わってしまった。
そんなフリーレンからすこし言葉を拝借します。

言葉と使う魔物を魔族と呼び、わかり合うための言葉ではなく欺くための言葉を使う。(意訳)

と言うことは
欺くために言葉を使う人は人間ではないということ?一瞬そうなのか?と思いますが、すこし考える何かすっきりします。やってないのにやったと言う人(品質偽装)、やったのに記憶がないと言う人、詐欺。この人たちは、お金のため、権力のため、保身のためわかり合うための言葉を捨ててしまったのかも知れない。
それって社会生活の中で人間であることをあきらめた人たちなのかもしれないと思った。
それと同時に、自分は人間であり続けようと思った。


余白と可能性

2024-04-25 11:13:48 | 日記
「人間だけが神を持つ。今を超える力、可能性という内なる神を」ガンタムユニコーンで出てきた言葉だが、どういう意味だろうと考えれば考えるほど好きになる言葉だ。人間には(物理的な意味でなく)成長する可能性があって、それが今は形がなくても、将来に形に現れるかもしれない。いや、きっと形に現れるに違いない。人間はそう言う希望を持って生きていくものだと言う言葉と理解した。
将来の可能性は、残された時間が長ければ長いほど大きいし、固定化した思考や行動がないほど高くなると感じる。つまり若いというだけで可能性と言う価値が大きい。この価値は歳を経るだけで失われるものであるため、毎年、毎年、知識や経験と言う形で可能性を具体化していかないといけないのだと想う。
若いと言うことは、時間や柔軟さがあり、大きな余白を持っていて、この余白が可能性と言う価値はだと感じる。
最近の企業経営では、企業の利益追求が命題となっているため、必死にに無駄を排除して、余白を削りつづけてきたのではないかと思う。余白をなくなれば成長の可能性も一緒になくなるわけで日本の低成長は懸命余白を削って効率化した結果ではないかと感じる。
無駄を排除するために、若手に過去のノウハウをなぞることを強要し、失敗して学ぶチャンスを奪い、膨大な仕事を詰め込むような組織に価値はないし、成長の可能性もないと感じる。
これから仕事を始める若い人たちには、自ら考え、行動し、失敗できる環境で働いてほしいと思うし、自らの可能性と言う内なる神を信じて色々な経験を価値に変えていってほしいと思う。

サーバントリーダーシップ

2024-04-25 01:55:27 | 日記
最近システム開発はサーバントリーダーシップが適していると耳にすることが増えてきた。
サーバントリーダーシップとは人に仕える(奉仕する)ことでリーダーシップをとる考え方だ。リーダーはチームメンバー一人一人に奉仕し、それぞれのチームメンバーの生産性を最大化することを目指す。メンバーはリーダーを信用し、その専門性を最大限に発揮して自信の業務に集中することができるようになる。

しかしながら、日本でそのままアメリカから来たマネージメント理論を真似しても効果が出にくいのではないかと想う。アメリカは多くの人がキリスト教のプロテスタントの国と思う。その結果、多くの人が下記の価値観を持っているのではないかと思う。
・人は全て神の前に平等
・全ての行動は神様が見ており、よい行いは人に見せびらかすものではない
・人にしてほしいと思うことを自ら行う
そうすると、プロジェクトのリーダとメンバーは自然とフラットな関係になり、お互いを尊重(尊敬の念を持つ)し、また、メンバー一人一人がリーダーからの指示がなくてもプロジェクトのためにできることに自然にとりかかることができると思う。このように一人一人が自律してプロフェッショナルであるからこそ成り立つのではないかと思う。
しかし日本では、一般的に下記の価値観ではないかと思う。
・目上の人を敬う
・良いいことをすると人に褒めてもらえる
人に迷惑をかけてはいけない
そうすると尊敬の念が一方的でリーダーがメンバーに支えると言う考え方に違和感がある。リーダーに褒められることが原動力となるため、リーダーが行動を監視しフィードバックしないとモチベーションがでない。リーダーから指示されていないことに着手すると人の邪魔になるかもしれないので指示されるまではなにもしない。こんな風潮となってしまうのではないかと思う。その結果、働いている時間の長さわりに仕事は前進せずチームの仕事にパフォーマンスはでないのではないかと思う。
解決するには、チームのパフォーマンス向上のためには、(リーダー含め)全てのチームメンバーの価値観をひっくり返す必要がある。
しかし、何十年もかけて積み重ねてきた価値観を変えるには時間も労力もかかりすぎる。
ならいっそう、プロテスタントのミッション系の学校の卒業生だけを集めてチームの編成すればアメリカ的なマネージメント手法がすんなりはまり、パフォーマンスの良いチームができるかもしれない。

美しい設計

2024-04-24 22:52:18 | 日記
SEの仕事は面白くない。システム設計は機能要件、非機能要件に添って機械的に詳細化し、実装されるもので、そこに個人の技量の差は許されない。裏を返せば、設計の美しさと言う価値が存在しない世界だからだ。
先日、散歩の途中で庭園美術館と、ゆかしの杜に立ちよった。建物に入って内部を見渡すとなんとも言えない品格を感じた。柱、床、天井、階段など構成物が、ただその機能を果たすだけではなく、作り出す空間に彩りをもたらしていて、美しさを感じる建物だった。建築物は物理的な形が存在して、目に見える。そのため素人でも、ただ役割をなすだけでない美しさを感じることができる。そして、美しい建物はその当初の役目を終えても、新しい役割で維持されるし、その設計者や思想も大切に語り継がれているように思った。
さて、私たちの担当している情報システムはと言うと、実機はクーラーの効いた部屋に半導体が積み重なっているだけだし、提供する機能は膨大な0と1の羅列であるだけで、見たところで美しさがわからない。
結果として、細部への配慮やこだわりが評価されることもなく、ただシステムの対応年数が過ぎれば廃止され、新しい何かが作り上げられる。そこには価値の継承も積み重ねも感じられず、ただ消費しているように感じることがる。これでは、美しい設計ができる人も、張りぼての設計しかできない人も、一緒くたに扱われているように感じる。システムの安定性やメンテナンス性は設計の美しさ設計の上に成り立つものだと考える。最近、情報システム障害のニュースが増えている。これは、本来美しい設計であるべき社会的な規模のシステムが張りぼての設計で作られた結果なのではないかとと憂いてしまう。SEには、システムの美しさについての感性が必要だと思うし、美しさの感性をもつSEがもっと評価されたらSEもおしろい仕事になると思う。


1000年アーキテクチャー(08)

2024-04-24 16:50:09 | 1000年アーキテクチャー
設計工程について考えてみたいと思う。設計工程は各アウトプットを分かりやすくするためにウォーターフォールモデルでの開発を想定して考える。
リリース程について考えてみる。この工程は開発されたシステムが、システムがシステムを開発する人から、システムを提供する人に引き渡され、システムの利用者に公開されることになる。この段階ではシステムを開発する人が抜けるため、システムの詳細な作りに関する知識が失われることになる。1000年アーキテクチャを考える場合、システムの寿命は人間よりも長くなるため、新たに開発する人が参加した場合でも、システムの機能追加や更改が可能となることが重要である。
そのためには、これまでの工程の成果物で、システムを利用する人に向けた設計、設定が明確にわかる必要がある。こうすることによって新しいメンバーであっても、システムの利用者に向けた機能を踏襲理解して開発することが可能となる。システムを提供する人やシステムを開発する人に向けた機能は無理に踏襲する必要はなく、その時代に合わせて見直したほうがよいと判断できるようになる。
このようにリリースの工程では、単にシステムが稼働し引き渡されるだけでなく、維持されるべき利用者に向けた機能と、時代に会わせて見直すべき提供者、開発者に向けた機能が識別しやすい状態で管理されていることを確認できればよいこと考える。