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【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第83回) ベトナム航空による初めてのホーチミン・ベトナム

 1994年、プライベートでタイからベトナムのホーチミン(旧サイゴンを初めて訪れた。後年の2007~2009年、ビジネスで何度も訪れることになるのだが。。。
 
ベトナムはベトナム戦争時代からカンボジアと共に訪れたい国の1つだった。
1975年のベトナム戦争終結以来、20年後に遅まきながらの訪ベトナムであった。バンコクからはひょっと人飛びの隣国である。
1960年代から1970年代、旧宗主国のフランスが撤退した後、防共産主義のアメリカとのベトナム戦争は世界に大きな影を落としていた。
私は後年仕事で何回となくベトナムを訪れているが旧北ベトナム側には未だに行ったことがない。
 
 
 
 
 1994年に初めて3泊四日でホーチミン(旧サイゴン)を訪れた。そのとき最も感銘を受けたのはサイゴン郊外のベトコン(ベトナム人民解放戦線)の「クチトンネル」の地下壕・基地へもぐり実地体験したことだった。被害を避けため縦横無尽に地下壕を張り巡らしていたようである。
 
↑南ベトナム旧大統領官邸
↑旧大統領官邸
↑旧大統領官邸屋上のぺリポート(ここから最後に高官が脱出したと言われている。
 また、旧大統領官邸も訪れた。報道や映画などに出て来る場面、場所が残されている。正に映画の「地獄に黙示録」さながらである。
 
 しかし、現在も残るフランス統治時代のサイゴンの旧街並みが残る地区には綺麗で落ち着いた風情を残している。しかし、アメリカの影響を受けた地区の市中は喧噪でアクティブな現代のサイゴンは現代を映していた。                      
 この時はまだ今より車が普及していなくて、街中、ものすごい数のオートバイが行き来していた。3人乗りは当たり前の有様だった。まさしく「マイバイク」の時代だった。
 
 また、1990年代のベトナム女性が多く無民族衣装の「アオザイ」を着ていた。後年2010年代にビジネスで何回もベトナムを訪問したが「アオザイ」を着用する女性が少なくなっていた。西洋ナイズされジーンズパンツとTシャツ姿の女性が一般化していて特に若い女性のアオザイ姿女性は確実にマイナーになっていた。
 
↑アオザイを着用したベトナム女性(今日ではもうこんな姿の一般女性は少なくなった)
 
 1993-1995年はタイのバンコクに赴任、生活していたのでタイの美味しい食事に慣れていたこともあり、それに比べてベトナム食はややパンチに欠ける感じがした。
 私は戦後生まれで実際の戦争をしらない。1960-1970年代に青春時代を過ごした世代はベトナム戦争は抜きにして語れない。その一端を知ったベトナム訪問であった。
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