由布院日記

由布院盆地内の徒歩による写真です。由布院の素晴らしさを皆様に知っていただけると嬉しいです。(時々福岡の記事になります。)

8月9日は 長崎原爆の日

2012-08-09 09:33:57 | 由布院温泉
私の嫌いなもの、農薬、添加物、原子力。
私の好きなもの、自然。
エコや自然環境を唱える人に限ってガソリン車を乗り回すのはなぜ?。公共交通機関を利用しましょう。
特に由布院なんかはガソリン車乗り入れ禁止ぐらいやらなくては。

さて、
長崎新聞の今日の論説で次のようにのべられています。

核を足元から見つめ直そう

 米国が投下した原爆で長崎が地獄と化したあの日から、きょうで66年目。7万人を超える人々が一瞬にして犠牲となり、かろうじて生き延びた人たちも、悲惨な体験による深い心の傷とともに、大量に放出された放射線による障害や疾患に今なお苦しんでいる。
 その被爆国である日本を今年、再び放射能の脅威が覆っている。発生からまもなく5カ月になろうとしている東京電力福島第1原発の事故は、いまだ収束が見通せない状況だ。事故で拡散した高い放射線のため周辺住民は避難生活を余儀なくされ、一部の野菜や魚類、牛肉などにも汚染が広がっている。また、風評被害は経済的な損失だけでなく、いわれのない偏見や差別などを生み、被災者を心身とも苦しめている。
 資源に乏しいわが国にとって原発は国策として進められてきた。被爆国でありながら、そこでは核エネルギーの軍事と平和の利用は別として、推進ありきの中で、電力業界だけでなく、学界や新聞などのメディアも協力してきた。そうした中で原発の「安全神話」がつくり上げられてきた。
 そして迎えたフクシマの事故。どれだけ高い科学技術があっても、いったん事故が起きれば、制御することができない原発の姿を目の当たりにして「安全神話」は崩壊した。さらに、地震列島に原発が立地するリスクの大きさについての不安に加え、これまでの原子力行政への不信も募った。
 今回の事故は、私たちの生活の身近なところにあった核の恐ろしさをあらためて世界中の人たちに突きつけるとともに、たとえ平和利用が目的であっても、核と人類が共生できるのかということを問い直すものになった。
 一方、被爆地が長年訴えてきた核兵器廃絶への歩みは進むどころか、後退している感すらある。「核兵器のない世界を目指す」と2年前に演説したオバマ大統領の米国は、臨界前核実験と新たな手法の核実験を昨秋から計5回も強行した。オバマ大統領のいう「核兵器のない世界」は、テロ組織や核保有国以外の核武装を阻止する観点から発想されたものであり、被爆地長崎が願う核廃絶・恒久平和の確立とは隔たりがある。
 きょうの平和祈念式典には、初めて原爆を投下した米国政府の代表として在日大使館の首席公使が出席するほか、ロシアやイギリスなどの核保有国を含む46カ国の代表が参列する。
 田上富久市長は平和宣言の中で、フクシマの事故に触れ、原子力に代わるより安全なエネルギーを基盤とする社会への転換を訴えるとともに、アメリカなどの核保有国をはじめとする国際社会に核兵器全廃を目指す「核兵器禁止条約」締結に向けて努力を促し、被爆国である日本が、こうした動きを強く推進するよう求める。
 ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマ。被爆66年目の「鎮魂の日」を、私たち一人一人が核の問題について足元から見つめ直す機会にしたい。(大島信裕)

原爆犠牲者方々のご冥福をお祈りいたします。

















津江の中道にて。

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