おはようございます。
たけぞう地方へ戻ってから一日中雨です。
雨・・・でした。
今朝は町中がすっぽりと霧に包まれ、なかなか幻想的であったのだ。
朝散歩にいそいそと出かけたたけぞうが
30分ほどで帰ってきた。
深い霧がお気に召さなかったのか?
とにかくようやく山向こうからお日様が顔を覗かせはじめましたぞ。
さて。
続きのお話ですが
と言うわけで、日曜日京都で一夜が明けました。
ほんとうはねぇねの所へ泊まる予定で寝袋も用意したのだけど
京都の義姉が「遅くなってもいいから帰っておいで!」と言ってくれて
ギリギリまでねぇねとおしゃべりして実家へ向かいましたのだ。
暖かいお部屋でお布団に足を伸ばして寝させてもらって
ほんとうに幸せだったなぁ~。
しかも…うちの毛むくじゃらまで( ̄∀ ̄;)
まことに有り難いことでありました。
さて。
法事当日の日曜は生憎の曇り空。。。
京都に帰ると船岡山公園でいつもはお散歩させてもらうのだけど
すっかりお寝坊してしまったので近くの北野天満宮さんまで行ってみた。
天満宮さんは七五三と何か催し物があったらしく結構な人がお参りにきていた。
可愛いなぁ~♪
「境内の犬の散歩はご遠慮下さい」って立て看板があったので
駐車場をうろうろ~。
その後、一条通りまで行き「清明神社」さんへお参りに。
昔はもっと…シンプルだったがなんだかハイカラになっていた。
寒い、寒い。
さすがに京都の底冷え。
しかし、地元の人たちはかなり薄着。
ガッツリ、ダウンなど着込んでいるのはほとんどが観光客さんのようだ。
たけぞうは車でとうちゃんと留守番。
今回はとにかくひたすら待ち続けるたけぞうなのだ。
『厄除桃 古事記・日本書記・桃太郎伝説にあるように
古来、陰陽道では桃は魔除け・厄除けの果物とされています。
厄年の方にかぎらず自身の厄をこの桃に撫でつけてください。』
と、ある。
安倍晴明公さま、しっかりかあちゃんとかあちゃんに関わるたくさんの人たちの
厄を撫でつけさせて頂きましたのでどうぞよろしくお願いいたします。
清明神社のすぐ近くの一條戻橋へも行ってみた。
その昔はただのコンクリートの川でほとんど水も流れていなかったのに
きれいな小川のたたずまいになっていた。
詳しいことを知っている理由ではないけど
元々の由来は「撰集抄によると、延喜18年(918年)12月、漢学者・三善清行の
葬列がこの橋を通った際、父の死を聞いて急ぎ帰ってきた熊野で修行中の
子・浄蔵が棺にすがって祈ると、清行が雷鳴とともに一時生き返り、
父子が抱き合ったという。 」
と書かれているけど最近の知るところは
「戻橋という名前から、嫁入り前の女性や縁談に関わる人々は
嫁が実家に戻って来てはいけないと、この橋に近づかないという習慣がある。
逆に、第二次世界大戦中の応召兵とその家族は、
無事に戻ってくるようにと願ってこの橋に渡りに来ていた。 」
と言うお話をよく聞いた。
たけちゃん、この橋の下には清明さんの十二神将(式神さま)が
隠されているんだよ~。
と言うことでプチ京都の旅でした~。
で。
肝心の法要だけども
ほんとうに寒くて寒くて。。。
京都の妹などはワタシがダウンコートを着込んだ姿に一瞬絶句・・・。
「京都は底冷えするからなぁ~。でも…そんなに寒くないよぅ~。」と…。
お寺ではとうちゃんは自分の吸い込んだ息で
「このまま肺が凍り付くかと思った・・・」そうで
隣りに座るワタシはつま先から次第に氷の彫刻化して行き
すでに膝までが床に固まり付いていた、オ~~~マイガァ~( ̄∀ ̄;)
ほんの一日で春と真冬を体感。
マジ、京都って寒いっすね~。
しつこいですが…
「行きはよいよい~帰りは・・・」というこで
明日も続くのであった。。。