麻箒(あさほうき)ここの雑記帖

読書と落書きなど徒然なるままに

【2011_31】おかえし

2011-05-25 20:46:07 | 旧カテゴリ)ちょっと真面目な話


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おかえしがしたいなぁ、と考えることがあります。
私がうつでしんどいときに支えてくださった皆さんに、何が返せるだろう、と。

目の前で私の頬をひっぱたいてくれた友人に
生きていてくれて良かったと泣いてくれた友人に
長電話に付き合ってくれた友人に

「淋しい淋しい」とメールを送りまくっても許してくれた弟に
就職したてでテンテコ舞いの中、動けない私の代わりに家事も担ってくれた妹に

「心配しなくていい」と抱きしめてくれた親戚に
勉強や研究や学会発表をほっぽり出したのに「ゆっくり休め」と仰った先生方に
突然アルバイトを辞めたにも拘わらず「ご飯を食べにおいで」と仰ったママさんに


会ったことも話したこともないのに
「死にたい」「もう駄目だ」「私に生きている価値など無い」と
悪い方悪い方へ歩んでいた私に

「生きるんだよ」とコメントをくださったディスプレイの前のあなたに


私は何が返せるだろう。

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ありがとうございます。
私は、焦ることも、死にたくなることも、なくなりました。
どうしてあんなに死にたかったのかわからないくらいになりました。

私は何かがしたいのだけれど。


【2011_26】働いた報告と、うつ病は治るよっていう主張

2011-04-27 18:01:28 | 旧カテゴリ)ちょっと真面目な話

 



日本赤十字社ホームページへのリンクが貼ってあります。

国際赤十字委員会は無料の安否確認サイト「ファミリー・リンク」も運営しているそうです。

[日本:東北地方太平洋沖地震2011年 ― ファミリーリンク・ネットワーク]
http://www.familylinks.icrc.org/wfl/wfl_jap.nsf/docindex/locate_jap?opendocument

[Welcome to the FamilyLinks website of the International Committee of the Red Cross]
http://www.familylinks.icrc.org/familylinks

このサイトでは安否情報を6ヶ国語(日、英、韓、中、ポルトガル、スペイン)で登録できます。
「誰かを探したい場合」「自分(被災された方)が無事であることを伝えたい場合」
どうか、ご活用ください。


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働いてきました。

Twitterではちらほら呟いていたのですが、派遣会社に登録して、百貨店の食品催事の
お仕事をいただきました。

会期8日間中、6日間働きました。イートインコーナーのラーメン部門です。
5日は洗い場、1日だけホール(ウェイトレス)をしました。

ウェイトレスという響きに酔ったのは内緒です(笑)


入ったラーメン売り場のラーメンを7玉食べました。
うち6玉はお客さんとして来店して、お金を払っていただきました。
あれだけ美味しいのだから、払う価値はあります。

豚骨なのにあっさりして食べやすいスープなのですよ…。

細麺を「かための茹で加減」と注文できちゃうのですよ、催事のイートインなのに…。

辛味の量も注文できて、しかもその辛味が美味しいんですよ…。
トウガラシ辛いのですが、ちょっとフルーツっぽい?甘みを感じました。

ちょいっとのっけられたその辛味を、スープに溶かさず、麺に絡めてください。
辛さを楽しむのではなく、辛味の「味」を楽しめます。味わえます。
味わわないと、絶対・損!…というくらいには美味しかった。

福岡県・久留米の  一味ラーメン  です。
お店のHPが見当たらなかったので、某グルメサイトへのリンクをこっそり。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
[一味ラーメン 北野本店 - 北野 / ラーメン[食べログ]]
http://r.tabelog.com/fukuoka/A4008/A400801/40018498/

お世話になった皆様、勝手に宣伝もどきをいたしましてすみません。
だって、宣伝せずにはいられないほど、美味しかったんですもの。


自信もついたし、反省することもあったし、色々と勉強になりました。


「社会人」という言葉をあてはめる事ができるかどうかはわかりませんが、
ちゃんとお金を稼げました、と報告させてください。

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うつ病が治って、家事という形で体を動かし始め、薬がなくなり、通院がなくなり、
ついにはお金を稼ぐことができるようになりました。

「何の役にも立たない」「生きていては申し訳ない」と絶望していたあさほうきが
殿下に「うざい!うるさい!」と言われるほど元気になりました。


うつ病は治ります。絶対に治ります。

あさほうきは寛解した方のブログを読んでも「自分には当てはまらない」と考えて
おりました。
だから、このメッセージを受けとめていただける自信は、実はありません。
けれど、受けとめていただけなくても発信することが、寛解した者の義務だという
自信(自負?)はあります。


うつ病は治ります。絶対に治ります。


体も心もしんどくて、新聞もテレビも頭に入らず、何にも希望が持てなくて、
悪いことを全て自分に帰結し、自分の存在価値を疑う。

それは、病気が悪いのであって、あなたは何も悪くありません。

体も心もしんどいのは、病気だからで、あなたのせいではありません。
新聞もテレビも、病気がブロックして、あなたに届かないようにしているのです。
あなたの記憶や認識力が衰えたわけではありません。
希望が持てないのも、病気のせいです。
悪いことはあなたのせいで起きたのではありません。
「悪いことは自分のせいだ」というのは良くない考え方かもしれませんが、
その良くない考え方を引き起こしたのは病気です。あなたではありません。

あなたには存在価値があります。
少なくとも、この記事を読んでいただいているだけで、私はとても嬉しいです。
こんな拙い文章を読んでくださるあなたの御蔭で、私はまた書こうと思えます。
書くネタを捜すために、街並みも家の中も、色んな視点から眺められます。
あなたが読んでくださるから、私はこのブログに存在できます。


だから、生きていてください。

また、こんなへんてこりんなブログを読みに来てください。

お待ちしております。

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うつ病は治ります。絶対に治ります。


【2011_25】ディミィトリス(梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』)

2011-04-16 02:14:09 | 旧カテゴリ)ちょっと真面目な話

 



日本赤十字社ホームページへのリンクが貼ってあります。

国際赤十字委員会は無料の安否確認サイト「ファミリー・リンク」も運営しているそうです。

[日本:東北地方太平洋沖地震2011年 ― ファミリーリンク・ネットワーク]
http://www.familylinks.icrc.org/wfl/wfl_jap.nsf/docindex/locate_jap?opendocument

[Welcome to the FamilyLinks website of the International Committee of the Red Cross]
http://www.familylinks.icrc.org/familylinks

このサイトでは安否情報を6ヶ国語(日、英、韓、中、ポルトガル、スペイン)で登録できます
「誰かを探したい場合」「自分(被災された方)が無事であることを伝えたい場合」
どうか、ご活用ください。


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私は人間である。およそ人間に関わることで、私に無縁なことは一つもない。
(テレンティウス『自虐者』より)


あさほうきはこの言葉が大好きです。

この言葉に惹きあわせてくださったのは、梨木香歩さんです。
梨木香歩さんの『村田エフェンディ滞土録(たいとろく)』です。
この作品の中で、ディミィトリス(主人公・村田の友人)がこの台詞を呟きます。

前の晩、ちらっと話に出ただけの、村田の知り合いの日本人のために
村田自身も知り合ってそんなに日が経っていないその知人のために
ディミィトリスは日本の醤油を手に入れました。
村田の言葉を借りれば「支那製のソイ・ソースなどではない。正真正銘の日本の醤油」を。

村田は感激して礼を述べます。
 異国人である君の思いやりが、彼をどれだけ励ますことか。
それに応えて、ディミィトリスがこの台詞を呟くのです。

このとき、ディミィトリスは異国人とかどうとか、どれほど意識していたでしょうか。
全く意識していないということはなかったと思います。
むしろ「村田と友人は『日本人』だから醤油を喜ぶのではないだろうか」と考えたのでは
ないでしょうか。

けれど、思うのです。

このとき、「私は希臘(ギリシャ)人だけれど」という意識はなかったのではないかとも。

村田が支那という言葉を遣ったことからも察することができるかもしれませんが、
これは明治時代です。舞台はトルコです。
明治時代の遠い遠いトルコの地で、いくら伝手があったとはいえ日本の醤油。
村田のことも、僅かに話題になったその知人のことも心に留めておかなければ、
伝手を思いつくことも、伝手にアプローチすることもなかったでしょう。


ディミィトリスは更にこんな内容のことを言います。
これはテレンティウスという古代羅馬(ローマ)の劇作家の言葉である。
セネカが引用してこう言っている。
 我々は、自然の命ずる声に従って、助けの必要なものに手を差し出そうではないか。
 この一句を常に心に刻み、声に出そうではないか。
 『私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つも無い』と。


この言葉から色々いろいろ色々考えさせられます。
勿論、今回の震災についても考えます。就職活動をしていても考えます。
人と人、その人の家族や家庭の問題、その家庭の問題に絡む社会問題…と、想像が
つながっていくのです。ただ膨らむのではなく、つながっていくのです。
そして、この言葉から連想していくと、知らない人のことも生身の人間だと考えられます。
どんな顔は知らないけれど、泣いたり笑ったりするだろうなと考えられるのです。


何処かの記者さんがこんなツイートをしていらっしゃいました。
正確な文言は覚えておりませんが、このような内容です。
「新人の頃に取材した或る被災地の方がこう仰った。
 『これはがれきではありません』
 『私と家族が暮らしていた家なのです』
 私はこの言葉を忘れない。」

また、私の友人がこのような言葉を遣いました。
「『被災者』ではなくて『被災したあなた』」

この2つの言葉も、私の心に刻み込まれています。


余談ですが、ディミィトリスはテレンティウスの言葉を二度、口にしました。
一度目は「照れ臭そうに微笑んだ後」。
二度目は「瞬きもせず私の目を真っ直ぐに捉え、力強く言い切った」。

 

私はディミィトリスが大好きです。

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【2011_22】当事者意識

2011-03-20 20:38:06 | 旧カテゴリ)ちょっと真面目な話



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日本赤十字社へのリンクを暫く貼らせていただきます。勿論無断だよ☆ ←いいのか?

にほんブログ村のトップページに紹介されていた義援金受付のお知らせ。
日本赤十字社のサイトの中にあるページに飛びます。

【日本赤十字社】寄付・献血・ボランティア|東北関東大震災義援金を受け付けます
http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html

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さて、本日の本題。

当事者意識を持てないことに負い目を感じる人は多いと思います。
私もしょっちゅう思います。今回の地震でも思いました。

「当事者意識」とは何でしょうか。
事に当たった人と同じだけの切迫感や恐怖を感じることでしょうか。
当事者ではない人が、同じくらいの強い感情を感じることはできるのでしょうか。

これは、(少なくとも私には)とても難しいことです。


大分脱線しますが、例えば失恋について考えてみましょう。

私が大好きな人にふられました。
それを友達に打ち明けて、慰めてもらいます。

友達は
百戦錬磨で失恋皆無かもしれない。
ふられたばっかりかもしれない。
ふられてばっかりかもしれない。
ちょっと前にふられたけれど、今はラブラブな恋人がいるかもしれない。

けれど、誰も私(あさほうき)ではないので、当事者ではないのです。
誰も、あさほうきの愛した人をあさほうきの視点で見たことはないし、
あさほうきの感覚でその人を愛したことはないし、まして、その人に
ふられたあさほうきにはなりえないのです。

だから、誰も当事者にはなれない。


けれど、当事者ではないから出来ることもあります。

それは「思いやる」こと。
自分のことを「思いやる」ことはなかなかないと思います。
だから、「思いやる」対象というのは、大抵他者ですね。
失恋皆無でも大切な人を失う気持ちを想像して思いやることは出来るでしょう。
ふられたばっかり・ふられてばっかりだったら自分の経験に即して思いやれる。
経験の有無、さらに経験の度合い(上手く言い表せない…)に拘わらず、
思いやることは出来ると思います。

そして、「冷静な判断」が出来るのも当事者ではないからです。
当事者への『熱い』思いやりと『冷静な』判断は同居可能ではないでしょうか。


誰も当事者にはなれない。
このたび被災された方も、お一人お一人抱えているバックグラウンドが異なるでしょう。
共有していた家財や思い出はあっても、それに寄せる思いとその思いの根源である
人格が異なるのですから。

だから、だれも当事者にはなれない。
けれど、思いやることはできる。

この思いやりまで含めて当事者意識というのであれば、
当事者意識は誰でも持つことが出来るのではないかなと思いました。


一秒でも一瞬でも早く、しんどいことが遠ざかりますように。

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以下、地震とは関係のない呟き。mixi日記の改訂版。


私はいつも目の前のことにかかり切りになってしまう。

だから、遠くを見渡せる目がほしい。

遥かな過去を まだ見ぬ未来を
広大な海原と 見渡す限りの草原と
深い海溝と 高い山々と
乾いた砂漠と 雨季のジャングルと

其処を旅する人と 其処に行けない人と 其処に思いを馳せる人と


その全てを見たい。同じ思いを共有したい。


見たら知りたくなるだろうか。

どうしてあんなことをしてしまったのだろう?
これから何が起こるのだろう?

海は飲み干せるのか 何日かかれば草原を歩いて渡れるのか
何故この海溝はこんなに裂けてしまったのか
何故この山々はこんなに盛り上がってしまったのか
いつ雨が降るのだろう いつ雨が止むのだろう


知りたくなったら、私は細部を細部を突き詰めていくだろう。
肉眼で 虫眼鏡で 電子顕微鏡で

けれど、ときどき全体を見たいと思うだろう。
肉眼で 望遠鏡で 天体望遠鏡で


そうして、いつも揺れていたい。
「絶対にこうでなくてはいけない!」と固執したくは、余りない。
固執、というより、硬化したくない。
硬化しないという思いに固執する自分ではありたい。

行ける人と 行けない人と
行く人と 行かない人と
何も思わないひとも含めて

できることなら、全ての人の思いを知りたい。
理解できなくても知っておきたい。

 

そうして、見える自分と見えない自分の間でたゆたっていたい。

 

  折れる事なく揺れる 揺るぎない信念だろう

(BUMP OF CHICKEN 『ハルジオン』)

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境界人(マージナルマン)という言葉に惹かれます。正確には言葉の響きに。

「マージン」という単語はひどく魅力的ですね。
「利ざや」になったらギラギラしてアグレッシブなイメージ。
「余白」になったら余裕のある感じ。
「境界」になったら深みがある。
ギラギラしてアグレッシブなんだけれど、余裕綽綽で、けれど薄っぺらくなく、
吐く言葉に深みがある。そんな人に惹かれるかもしれない。

私は「マージン」に「あはい」という訳を当てたいです。
「あはい」を持つ人は、きっと、言葉を吐かずに「紡ぐ」と思います。

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私と同じ空気を吸う人にも、私の父母と同じ空気を吸う人にも、
安らかな安らかな朝と昼と夜と眠りが訪れますように。

京都から祈っております。


【2011_21】殿下と喧嘩

2011-03-16 21:38:49 | 旧カテゴリ)ちょっと真面目な話






にほんブログ村のトップページに紹介されていた義援金受付のお知らせ。
日本赤十字社のサイトの中にあるページに飛びます。
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あさほうきは小銭貯金(禁煙貯金)をゆうちょ銀行に持って行きました。
タバコを吸ってたから貯められたお金だけど、吸ってなかったらもっと手元に
お金が残っていたかも…「うーん」とうなりつつ、巾着に小銭を詰めて。

ゆうちょ銀行から各団体に振り込むための手数料は無料です。
ただし、ATMからの振り込みには手数料が発生するとか。
機械の設定をいじる時間なんかないですもんね!
くわしくはゆうちょ銀行のサイトをご覧ください。
 ↓
[義援金送付-ゆうちょ銀行]
http://www.jp-bank.japanpost.jp/kojin/tukau/fukusi/kj_tk_fk_gienkin.html

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携帯電話が壊れたのでiPhoneに変えました。
地震発生の翌日にメールの送受信がままならなくなって関東以東の親戚・友人と
連絡がとれずハラハラあさほうき。
さらにその翌日には電話機能も使えなくなり、携帯「電話」ではなくなりました。
かろうじてWeb閲覧は出来たので、Twitterやmixiで友人たちの安否報告を読みました。

こんなタイミングで壊れるとはねぇ…。

Twitterはデマが流布しやすいのが欠点ですが、有益な情報を素早く広められるという
長所を発揮しましたね。
さらに今回は「一言呟けばフォロワー全員が状況(安否)を確認できる」という点でも
優れていたと思います。
停電等で携帯端末の充電がままならない中、個別に安否を送信するのは大変ですから。

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広沢タダシさんの『夢の中で君が泣いてた』みたいなかっこいいこと言いたいけれど、
募金するくらいしか私にはできないよ。


[夢の中で君が泣いてた 広沢タダシ 歌詞情報 - goo音楽]
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND64284/index.html

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以下、地震とは関係ない呟き。

まず、for 才谷さん(まさかの個人指名)
Twitterで私宛にツイートしてくださいませんでしたか?
確かつぶやきを頂戴したと思ったのですが、何処にメッセージをいただいたのか
わからなくなりました。申し訳ございません。
もし良かったらまたツイートお願いします。

そして、もし、あのツイートが夢もしくはあさほうきの妄想だったらさらにすみません。


更に重要度の低いおしゃべり。

最近、殿下とよく喧嘩をする…ような気がします。
ちょっと前まではこんなことなかったのにな。

殿下と喧嘩をすると、悲しくなります。
「価値観が違うなら別々に住めばいい」などと言われると、本当に悲しい。
「もう少し頑張ってお互い歩み寄ろうぜ!」と私が憤ることもしばしば。
此処で激昂せずにじーっと黙っているのが、あさほうきのいいところであり、
悪いところでもあります。
姉ちゃんが働き口を見つけるまで別居は待ってくれ!(切実)

でも、殿下との喧嘩を、ちょっぴり喜んでいると言ったら叱られるでしょうか?
だって、それは、殿下が私(の病状)を気にせずご自分をぶつけられるように
なったということだから。
Equalではないにせよ、Nearly equalくらいではないだろうか(だったらいいな)
と思っています。

私自身も、喧嘩ができる自分と自分の回復ぶりに驚き、喜びを感じずにはおれません。
楽しんでいると言い換えることすら出来るでしょう。
「殿下や少年を悲しませる姉なんて死んだ方がいい」と考えていたあさほうきが、
「私だって好き勝手したいときもあるんじゃい!」と言っているなんて、
誰が予測できたでしょうか。

勿論、できることなら喧嘩はしたくありません。
けれど、喧嘩して意見をすり合わせるのは、大切なコミュニケーションスキルです。
外ではぐっと意見を飲み込まざるをえないときもあるでしょう。
だからせめて姉弟間くらいは忌憚なくものが言える関係でありたいものです。
今まで飲み込んでいてくれた分、たぁーんと吐き出しておくれやす。

人は独りでは生きられません。
格好よく言えば「社会的な」、有り体に言えば「淋しくて死んじゃう」生き物です。
他者と生きていくならば意見の衝突は避けられません。
対立する「異見」をすり合わせ、昇華して人は生きてきました。
古代ギリシャの政治家たちのディスカッションも、
両親の喧嘩も(していたかは知りませんが)、
皆そうだったのではないでしょうか。
これからの私たちもそうやってお互いを押し合う圧力で上へ上へ、
より良い方向を目指して生きていきます。

疲れていて喧嘩するより別居の方が楽だと考えたくなる日もあるだろうね。
一人暮らしをしたいこともあるだろうね。
(姉ちゃんだってたまにそう思うもの。)


でも


  そんなに怒んないで僕と歩いていこうじゃないか

(安藤裕子『TEXAS』)

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悲しいニュースはひとつでも少なく 安らかに眠れる夜は一夜でも多く
京都から祈っております。