やることがない、、、。
利用者さんの話し相手。塗り絵をしてもらい、談笑している。利用者さんもただ座っているだけだと時間が長いだろうと思う。そして認知症の帰宅願望の方や、不穏な方の相手をして穏やかになるように受容傾斜に務める。転倒の危険のある人が歩こうとするとそばで防ぐようにする。
でもである、歩きたいには歩きたい理由があるだろうし、立ち上がるには立ち上がる理由がある。だいたいは、トイレにさっきいったのに忘れてまた行きたい。歯磨きしたけど忘れてまた歯磨きをしたい。
座りきりでオシリが痛いから立ちたい。
そのようなことを制御している自分が嫌になる。そういう人の話し相手エンドレスであるにも関わらず、その話し相手が私の今の仕事なのだ。
少なくとも、何度も話は聞くし、何度も答える。そうすれば、相手は少し落ち着いてくれることも知っている。
それは、精神疾患のある私でなくてもストレスを感じる仕事だと思う。
それを言うと、あまり詰め込みすぎてしんどくなったら駄目だから、毎日出勤できる実績ができれば介護の業務を増やしていくとのこと。
今日も口腔ケアをしたのに忘れてしまった人が、うがいしたいと何度も訴えてくる。
「やったと思いますよ」というと「やってない」という。だから、「確認してみますね」を繰り返す。そしたら「難儀やな。辛い。自分でできたら、ちょっといってやってくるだけなのに」と諦める。
私としては、本人が納得できないなら、もう一度うがいをさせてあげたいと思うが、そん無駄な労力ら誰もしないだろうと思う。
今日は、障害者担当の人事部の人の面談があった。認知症の対応にストレスを感じているけど、医師も慣れるまでは短時間で頑張りましょといってます。自分が介護禁止されてますが、できたらいいのにと思いますし、業務ももう少し増やしてほしいです。といった。すると係長体調を崩さず毎日これる実績ができたら徐々に仕事内容を増やします。はじめからあまり詰め込みたくない。といいました。
従業員の人も人によっては高圧的で利用者さんの尊敬を傷つける言い方をしている人もいて、凄く嫌な気持ちになります。
色々なストレスがあるけど、自分の感覚は忘れないで続けます。
自分が認知症になっていないから、分からないけど、その立場で見たときに傷つける言葉は言えません。
この受容傾斜も大切な介護の仕事ですが、その役割を与えられるというのは幸せなことなのか?どうだろうと考えています😅利用者さんと一緒にいてあげることは、良い役割だろうか。