猫カフェ と ふくろうカフェ、“動物虐待” か?
わたしが住む町には1年足らずのあいだに猫カフェとふくろうカフェが相次いで登場した。
猫カフェ
猫カフェができたのが2015年の春で、できて早々動物好きでネコ好きのわたしは足を運んだ。マンションの一室を猫カフェにしたもので、猫は20匹近くいた。この猫カフェは、“譲渡型”猫カフェ と称していて、気に入った猫がいれば、引き取ることも可能なシステムである。
猫の里親さがしをビジネス化したものといえるかもしれないが、もらわれていくあてもないまま “一生” 猫カフェで暮らすよりも、猫にとっては希望をもてるシステムと言えるだろう。一目惚れされてもらわれていく猫の身の上を思うと、こういう店がもっとあるといいなという気持ちになる。わたしのように自宅ですでに猫を飼っている人間ばかりでなく、猫が好きだが、家の事情で飼えないようなひとには、こうした猫カフェはぜひたまには行ってみたいところだろう。
ふくろうカフェ
さて、ふくろうカフェのほうは同じ2015年の冬になってオープンした。つい昨日たまたま娘と街を散歩していたときに娘が 「そういえば、たしかふくろうカフェがこのあたりに・・・」 と言ったので、以前からふくろうカフェなるものの存在に多大な関心を寄せていたわたしは、娘をせっついてそこに案内させて初めて体験したのである。
猫カフェに比べて、その希少性だけからしても訪問・体験する価値は十分にあると動物好きのわたしは常々思っていた。
商店街のビルの3階にあるその ふくろうカフェ は実は “カフェ” とは称していなく、ふくろうの森 と称している。実際、飲み物、食べ物の販売はいっさいない。せいぜい、ふくろうグッズ、つまりふくろうウの置物や縫いぐるみといったものが販売されているだけである。
一歩足を踏み入れて、驚いた。店に着くまで娘と「せいぜい2,3匹だろう」 と言っていたのであるが、フクロウはなんと14匹もいた。写真のように、店内は模造樹木の森になっていて、客が中を順に進むように順路ができている。そして、その随所にフクロウが模造樹木の枝にとまっているのである。よく見ると、どのフクロウも脚を丈夫なヒモで止まり木にくくりつけられてある。
正直言って、感動した。夜の森に潜んでいるはずのフクロウが、いま目の前に、止まり木にとまってじっとしているのである。それも何匹もいる。従業員の説明ではフクロウたちの頭を撫でてもいいのだそうだ。大人 600円、学割 500円 である。写真はフラッシュ禁止というだけであとは自由である。10種類近くの大小さまざまなフクロウを商店街の3階でつぶさに観察することができる不思議を感じながら、40分ほどいただろうか。店を後にしたときは、娘と感動を分かち合っていた。
しかし、家に帰ってきて、自宅の猫を見ていると、何とも割り切れない気がしてきた。
ここ36時間ずっと、フクロウたちのことが頭を離れない。あのフクロウカフェのフクロウたちはみな、大きいフクロウも小さいフクロウもただ止まり木に脚をくくりつけられているだけでなく、翼を羽ばたかせる腱を切ってある可能性もある。たとえ切っていなくても、羽ばたいて飛ぶ自由を奪われていることには変わりはない。鳥にとって、飛ぶという基本的な自由が奪われているのは、人間や犬や猫が歩けないように足を縛られているのと同じではなかろうか?
いわゆる “ふくろうカフェ” は “動物虐待”
さんざん考察したのち、わたしは、猫カフェ と ふくろうウカフェ は根本的に違う、 という結論に達した。
はっきり言って、ふくろうカフェ などと称する、鳥類、特に猛禽類を扱った商業施設は、動物虐待である。動物虐待を禁じる 動物愛護法 に抵触する。
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ペンギンやアザラシの場合を想像してほしい。ペンギンを自宅の浴室で飼育することは、決して不可能ではないが、ペンギンにとって生活の基本である自由に泳ぎ回れる広い空間を与えていないという意味において、明らかに動物虐待である。近所にそういうマニアックな住人がいたとしたら、警察に通報すべきである。
フクロウはたしかにおとなしく止まり木にじっとしている。それは単に脚を止まり木にくくり付けられて、自分が飛べない状態であることがもうわかって観念しているからである。「じっとしていておとなしい!かわいい!」 というのはたいへんな思い違いである。「かわいい!」 以前に、「かわいそう!」 であるはずだ。
ふくろうカフェのフクロウたちは、ヒモで繋がれたまま一生を終るのである。羽ばたいて飛ぶという、人間でいえば足で歩きまわるという、当たり前のことも許されずにである。
ふくろうカフェでなくても、個人でフクロウなどの猛禽類を自宅で飼うひとが昨今増えているようだが、ほとんどが似たような運命ではなかろうか。猛禽類を個人で飼育していて、犬の散歩と同じように飼っている鳥たちを毎日のように自由に空を飛ばさせているひとがどれだけいるだろうか。飼い主のエゴを満たすための “虐待の一生” に終わっているケースがほとんどであろう。
はっきり言おう。“フクロウを飼う” のは 体育館規模の巨大なケージ に入れるのでない限り、すべて “動物虐待行為” である。
フクロウやハヤブサを室内で飼うのは、ペンギンやアザラシをマンションで飼うのと変わらないのだ。
遺伝的にすでに組み込まれているはずの基本的な生活能力を発揮できない環境で飼育することは、それだけですでに “動物虐待” にあたると言えるのではないか?
猫はいいのか?犬はいいのか?
ならば、猫はいいのか?犬はいいのか? という声が聞こえてくる。
動物学的な知識に疎いひとたちのこういった素朴な問いもいちおうそれなりに意味がある。
まず、猫や犬は5千年から1万5千年もの長い間、人間に“家畜として”飼育されてきているという歴史的背景がある。そして、それによる彼らの側の遺伝学的適応がある。もはやDNA的には野生動物ではないのだ。
彼らは人間に依存して可愛がられて生きるようにDNAも変わってきているのである。つまり、今や猫や犬をまったくの自然環境の野山に放り出すことのほうが、むしろ動物虐待になるだろう。
フクロウは野生動物
それに対し、フクロウには人間の家畜としての歴史も背景も皆無に等しいではないか。フクロウはれっきとした野生動物である。
フクロウが野生動物だから動物虐待になる、と言っているのではない。そもそも動物虐待なのだが、“ましてや” 野生動物だ、と言っているのである。野生動物か家畜かで虐待か否かが変わるわけではない。
犬や猫はもっぱら地上を移動するだけの動物で、その点、人間と共通している。地上や床という平面での生活に適応しており、飛ぶための翼も泳ぐためのヒレも持っていないのは人間と同じである。
しかし、フクロウは鳥であり、翼があり、空中が彼らの生活空間である。森の中のその本来の生活空間から引き離して、室内の止まり木に一生くくりつけているのは、かなりの虐待であると言えないだろうか?
フクロウやハヤブサたちに飛ばさせないのは、犬や猫に歩いたり走ったりさせないのと同じである。
ふくろうカフェ は禁止すべき
ものを言わないフクロウが飛んでいかないように止まり木にくくりつけられているのを見て、 「カワイイ、カワイイ!」 と言って感動しているだけでいいのであろうか?ふくろうカフェを出たあとで、後味の悪さを感じないだろうか?
欧米ではおそらくこうした商業施設は動物虐待とみなされて摘発の対象となり得る。事業者は処罰を受けるはずである。
悲しいことに、日本人はどうも “自由を奪われている者への同情” が希薄である。
北朝鮮による多くの拉致被害者たちをいつまでも救い出さないでいるのも そのあたりに原因がありそうだ。
“飼うこと” イコール “大事にすること” とはかぎらないのだが、多くの人は 飼うことは可愛がることであって、とうぜん虐待の反対の行為だと思って疑わない。しかし、そもそも “大事にすること” とは、“相手の自由を尊重すること” が大前提ではなかろうか?
ちゃんと温度管理もし、清潔な環境で高額なエサを与えているから虐待なんかではないと思っている飼育者もいることだろう。しかし、それは人間の側の勝手な理屈である。いくら高額なエサを十分に与えていても、それによって虐待が帳消しになることはない。
わたし自身、ふくろうカフェで初めてフクロウをまじかに見たときは単純に感動していた。しかし、帰って来てから後味の悪さにさいなまれた。やはり、同じ動物としての、同じ生き物としての “憐みの気持ち” を忘れてはいけないのではなかろうか。簡単に言えば、「可哀そうじゃないか!」 ということである。
わたしは いわゆる “ふくろうカフェ” は動物虐待であって、他者の自由を奪うことを是認している点で教育上も好ましくなく、日本では禁止すべきである と考える。こういった流行を放置しておくと、日本の捕鯨を批判する海外の人々にさらにまた恰好の批判材料を与えることにもなりかねない。日本は “動物虐待天国” だとして叩かれることになるだろう。
地方自治体は昨今急増している “ふくろうカフェ” なるものの実態を調査し、しかるべき措置を取るべきである。
「動物をどう扱うかによってその国民の道徳的レベルがわかる」 "The greatness of a nation can be judged by the way its animals are treated." Ganghi ガンジー (2015.12.29 追記)
フクロウの本来の姿
「わたしたちは“ふくろうカフェ”に反対します」 反ふくろうカフェポスター No.1
“可愛いきゃ何でも許される?” 反ふくろうカフェポスター No.2
“カワイイ” 以前に “かわいそう” 反ふくろうカフェポスター No.3
”鳥がしゃべれたら・・・” 反ふくろうカフェポスター No.4
「真似してフクロウ飼わないで!」ハリポタ作者の声 反ふくろうカフェ ポスター No.5
ロンドンのふくろうカフェ、日本との違い:“ふくろうカフェ”から日本が見える
好物のエサを与えて、遊んであげているんだから、「虐待」 なんかじゃないと思っているのです。
そこに欠落しているのは、相手の自由を尊重する気持ちです。いくら相手の自由を奪っても “大事にして可愛がって” あげているんだから問題ない、という “一方的な支配” を疑わない幼稚な心理に問題があります。
最近、YOUTUBEで梟カフェを見たのですが、梟が悲しそうな、ストレスを抱えているように見えたため、疑問を感じて、いろいろ検索していたところ、こちらのサイトを発見致しました。
その動画は日本の梟カフェを紹介する動画でしたが英語圏の人はほとんどが非難していました。
梟に限らず、動物愛護に対して、日本はとても遅れているなと思いました。
そうは言っても今日も都内にはたくさんフクロウカフェがあり繁盛しているようです。
悲しいですね。
犬でも猫でも、営業時間はお客さんたちに “ちやほや” されていますが、閉店後はおそらくケージに入れられて消灯して誰もいなくなってしまうと思います。定休日などは誰も来ないかもしれません。うちの猫だったら、すごくさみしがるはずです。犬だったらもっとかもしれません。
そう思うと、特定の人間とのパーソナルで継続的な関係のない、商業施設での動物利用はやはり問題があるように思います。ただ、いわゆる “譲渡型” の猫カフェは許容できると思います。なぜならば、そこの猫たちには、もらわれていく可能性が常にあるからです。
本当に可哀想だと思います。そこは水飲み場もなく、ずっと短い紐で止まり木に止まらせられているようでした。値段は50~100万で販売。お金があったら飼って上げられるのに・・・となんともやるせない気持ちで一杯です。日本には他にもフクロウカフェなるものがあるんですね。悲惨な状況の店もあることを知り、何で経営していられるんだろう?!と経営者の気持ちが計り知れません。こんなカフェ、早く無くなって欲しいです。猫もいましたが、人間になついており猫が一番幸せそうに見えました。
猫以外の動物カフェは動物のためにやめてあげてほしいです。リクガメもかわいそうでした・・・。
花粉症が起きないようにするためには、日本中のスギの木をすべて伐採しますか?
エゴでない人間の行動がありますか?動物を飼うことも、結婚することも、子供を育てることも、ここのコメント欄に書き込むこともエゴではありませんか?
あなたはひょっとして中学生ですか?
不幸な動物はいなくなりますよ。飼うことがすでにエゴなんですから。
ウィルスも細菌も目には見えませんが、たしかに野生動物にの体内や体表(羽)には潜在的に多くの病原体や寄生虫が巣食っていると考えるべきでしょうね。
見かけの “カワイさ” によって無防備に近づいて接触し、目に見えない “バイオハザード” に身をさらしている可能性が大いにあります。
おっしゃる通り、見かけに惑わされず、冷静にリスクを考慮すべきでしょう。
「襲撃」 までしなくてもいいかとは思いますが、、大いに改善の余地がありますね。
私は動物園もどうかと思います。地元の動物園ではフクロウや珍しい鳥を狭い檻に閉じ込めていまし、ヒクマやライオンは同じ場所を往ったり来たりの異常行動をしておりました。ああいう場所が必要だった時代もあるとは思いますが、現代のまともな人間の価値観からすれば、露悪趣味になりつつありますね。
もう1年以上前からつきまとっている 異常性格者 で、このブログ以外にザウルスのYouTube 動画 のコメント欄にも出没して、嫌がらせを繰り替えしている。
いつもひとの記事や動画に寄生してはイチャモンをつけて憂さ晴らしをしている憐れな輩である。
以前に、イチャモンのコメントに対してきちんと反論したのを根に持ってつきまとうようになった 悪質なストーカー である。ネット世界は、こうした異常性格者が百鬼夜行している。皆さんもご注意されたい。
ヌヌ = 阿部 雅 = ネットストーカー = 寄生虫 = 異常性格者
ヌヌ = 阿部 雅 = ネットストーカー = 寄生虫 = 異常性格者
ヌヌ = 阿部 雅 = ネットストーカー = 寄生虫 = 異常性格者
ヌヌ = 阿部 雅 = ネットストーカー = 寄生虫 = 異常性格者
ザウルスさんの言うように、ちょっとアブナイ人という感じがします。
その理屈が通るのならば、生まれてから教育も受けさせられず、あなたのような異常な親によって檻に入れられて育てられた子供も、トーゼン同情に値いしないことになります。そういった子供もそれがふつうの生活だと思いこまされ毎日エサをもらっていれば、幸せそうな顔をして、エサをくれる “飼い主” になついていることでしょう。
この世界にはそういった異常な支配欲を満たすために自分の子供や他の人間を犠牲にするような狂った犯罪者が実在します。
けっきょく、「当事者が不幸と感じなければ許される」 と思いこんで、何ら疑っていないようですね。相当病的で、しかも重症ではないですか? そのうち何か犯罪を犯す可能性すらあると思います。
その上で私は家から出ないことを例えに出して話しました。
”「当事者が不幸と感じなければ許される」と言っているに等しいですね”
逆に伺います。許されないのですか?また誰に許されないのですか?
「自由を奪われているものへの同情が軽薄」と本文で仰っていますが当事者が「自由が奪われていて不幸」と感じていなければ同情はありません。南米の山で暮らす先住民に対して「パソコンがなくて可哀想」などと同情しても無意味なのと同じです。当事者がパソコンが無いことを何とも思っていなければ同情は無意味です。
本音が出ましたね。“当事者が不幸と感じなければ許される” と言っているに等しいですね。“動物もそうだ” と。
自分の道徳観、倫理観に重大な問題があることに気づいていないところが怖いです。
しかしながらフクロウカフェやペットショップで販売されるフクロウは生まれてきたときから室内で人間に接して暮らしています。
法的なことは抜きにして人間で例えるなら、ある家で生まれその家の中で三食きちんと出され階段などでの室内運動や暇を潰すおもちゃを与えられるという環境。
この環境で10年過ごしたとして当人は「自分が不幸である」と感じるでしょうか?
コメントでも特に批判的なコメントを書き込む場合は、コメント欄をすべて一通り目を通すのが常識だと思います。
森に赴き双眼鏡を片手に動物を観察して、極稀に警戒心がない動物が近寄ってきたりするだけでいい。
何でもかんでも思うようにっていう考えが気に入らない。
生きていく上で食べるなら別だが、見せ物にする為に縛り付けてそれを「かわいい」と満足感に浸るのは悪趣味すぎる。
ご返信ありがとうございます。
どうかご安心ください。
わたしが最も避けたいのは、ザウルス様が懸念されているような中途半端な文化相対主義です。
そういう方々が、留学経験者に多いというのは残念なことです。
何のために世界を学びに来たんでしょうね。
動物たちが置かれている過酷な状況を思えば、
一人の人間がすがっているプライドや名声なんて、はっきり言ってどうでもいいことです。
ザウルス様がこのブログに書かれているような、世界では当たり前の感情や価値観を、ごく自然に受け止めることができる読者の方も結構いらっしゃるので、
コメントを読んで安心しました。
まだ勉強途上ですが、少しでも世界の、そして日本の動物が、より不条理な世界から解き放たれることを願って、頑張っています。
ブログ、とても参考になります。
どうか頑張ってください。
それは、日本人は自分たちの異常な行動を変えるのを拒否するために、“文化の多様性” を持ち出す傾向があるからです。つまり、日本で行われている異常なことでも、日本には日本の文化がある。日本には日本のやり方があるのだ、と主張して何でも正当化する論理です。
そして、国際的な論争の最前線でそういった論理を駆使しているのが、いわゆる “留学組” なのです。そういった “留学組” は本来の目的や初志を忘れて、日本経済の “利益” の擁護のために “日本文化特殊性論” を振り回すだけに終わってしまうケースが多いのです。
あなたの言う 「日本の文化や歴史、価値観がそれとどのように違うのかを、世界の人が納得するように説明する。」 がそうならないことを祈りたいです。
ロンドンで繋がれているフクロウも、東京で繋がれているフクロウも同じ苦しみを味わっているのです。日本文化の特殊性によって現状を正当化したい不断の誘惑があることでしょう。そしてそうした貢献によって同じ日本人に感謝されたい誘惑もあることでしょう。日本人や外国人ではなく、何も語ることのない地球の動物たちの代弁者になってください。
お願いします。
だからこそ動物の生理や生態について知り、そうかこうすると苦しいのか、痛いのか、それはかわいそうだ、ならとこうしようと、分かったことから改善することしかできない。
動物の痛みや苦しみを知っても、それを心で感じ取れなければ、かわいそうとは思えない。
かわいそうと思えない人は、かわいそうと思う人の心理が理解できないので、ここで苦しむだろう。
そういう苦しそうなコメントが、たくさん見られる。
世界的な基準を、日本にもってくるのはおかしいと言う人がいる。
しかし、ここで議論されているのは、煎じ詰めればアニマル・ウエルフェアの話だ。
世界標準の考えを、そのまま鵜呑みにするのではなく、日本の文化や歴史、価値観に合わせて検討する。
それは悪くないだろう。
しかしそのためには、世界的な基準がどのようなものかを知っており、日本の文化や歴史、価値観がそれとどのように違うのかを、世界の人が納得するように説明する。
反論するためには、そういうことが(本当に大変なことだけど、)必要なんですよね。
私はそれで今、勉強しにイギリスに来ています。
勉強、本当に大変です。
けど、動物のために頑張ります。
その面フクロウは観念しておとなしくしている様子でしたが、明るい日中に無数の人たちに触られまくっているのを見て、居たたまれずに足早にその場を離れました。
夜行性でひっそりと闇の中で暮らしているはずの生き物を白昼、大勢の人に触らせているというのはもう犯罪と言えるほどの動物虐待だと思いました。
店員に「フクロウは止まっていることが仕事なので繋いでても辛くないんですよ」と言われましたが、どの子も尻尾がボロボロで、帰ってから調べたらストレスバーという症状でした。
あの、人混みの街にある、そこにいるはずのない動物がいることの異質さはすごかったです。本当に解放されてほしいです…
「金儲けは命より尊い」みたいなとこありますね!日本は!
酒を廃止すれば交通事故や喧嘩で無駄死にすることも減ると思うのに根源を断つという話にならない。
フクロウカフェも同じでもてはやされているうちは法律の改正などできないのでしょうね。
一方で残念なのは、日本の動物愛護団体や野鳥保護団体の動きがほとんど見られないことだ。今の日本の社会には、ひとの金儲けに差し障りがありそうなことはできるだけ触れないようにしようとする傾向がある。金儲けの方が生命の尊重よりも大事な美徳なのである。
「営業妨害だ!」 が殺し文句になっているのだ。
内容に本当に大賛成です!!!
現在、殺処分が日常になっている日本では、犬や猫をペットとして飼うことが、犬猫を助ける手段になっています。(ペットショップで購入以外…)
本当は、野放しにしてあげたいですが、保健所に迷子としてつれていかれれば殺処分対象になるでしょう。
しかしフクロウカフェは違います。
人間のエゴと金儲けのために行われています。
私の地元の新潟市にもできる予定らしく本当にやめてほしいです。動物園も大反対です。
動物園をつくるために莫大な税金が必要で、儲かる人のところにお金がいく仕組みです。
また、政治の票も集めやすいと理由から政治家たちが協力しようとしています。
もう、人間の金儲けのために動物を利用することをやめませんか?
もし、自分が捉えられて、足に縄をつけられて、見世物になったとしたら…みんなに考えてほしいですね。
微動だも全く動けない状態で、あれは残酷すぎます。直ちにふくろうのカフェなんてやめるべきです。森に住んでいる動物なのに、ペットには向いていないと思います。
人間の欲望だけで飼育するのは直ちにやめるべきです。野生のふくろうはペットにできないはずなのに、外国から輸入してきて繁殖して飼うなんて、方法も選ばずに人間のやる事ではありません。
人間が絶滅しない限り減少は止まらないでしょう。
そもそもザウルスさんは猛禽類を飼うことに反対しているので繁殖なんてもっての他です。
絶滅種を無くしたいのなら人間がいなくなるのが一番です。自分は生きたいのに他人の生きる術を奪うのはどうかと思います。
それよりもふくろうを手なずけ人間と一緒に暮らし、共に幸せを感じられるような未来を夢見たいと思いませんか?住む場所を奪われたふくろうに住む場所を与え、共に暮らす。
愛情を注いで育てれば放し飼いにしてもふくろうは帰ってきます。
理解できました。これからも猛禽類飼育反対運動頑張ってください。
物事を論理的に考える習慣がないようだが、学生だったらもっと本を読むことをお勧めしたい。
ちなみに、 わたしは、ドリトル先生のシリーズは、小学生の時にすべて読破している。
正直ザウルスさんの言っていることは支離滅裂です。直接訪れた猫カフェは肯定するが、フクロウカフェは直接訪れていない、また今後オープンするであろうフクロウカフェまでも否定しています。
まずはご自分でご自分の意見をまとめてみたほうがいいと思います。
わたくしは動物の気持ちはわかりません。エサのためにお手をする犬。エサのためにすり寄ってくる猫。本能ではそんなことせずに自由に狩りをしたいと思っているかもしれないのに。
動物の言葉がわかるドクタードリトルみたいになりたいものですね。そうすればお互い良い条件で共存できると思うのですが。
「動物を所有し自分の言いなりにしたいのも人間の本能なのではないのでしょうか?」 だから人間はどんな動物も好きなように支配してかまわない、と言いたいようではないか。それを言うのであれば、ここのブログを読む必要は全然ない。
わたしは猫カフェ一般を肯定してはいない。ちゃんと読んでいただきたい。読解力に問題がありそうだ。わたしが良しとしたのはわたしが直接訪れた近所の特定の猫カフェである。他の猫カフェは知らない。
「そもそも動物の気持ちがわかる人間なんて一人もいないと思いますので。」 とのことであるが、少なくともあなたがわかっていないことはたしかだ。始めから、わかろうとしていない。
とありますがこれは今の里親探しの猫カフェと同じで放鳥してしまったフクロウを捕まえてフクロウの里親探しのフクロウカフェをやればいいんじゃないでしょうか?
「食物連鎖の頂点」
とありますがフクロウはそんな頂点にはおりません。夜行性と言われるのも昼間は他の鳥に攻撃されるから夜に行動するしかないのです。
鳥が空を飛ぶのが本能ならば動物を所有し自分の言いなりにしたいのも人間の本能なのではないのでしょうか?
私にはザウルスさんが猫カフェを良しとしフクロウカフェを良しとしない理由がいまいちわかりません。ほかのペットにしても人間に飼われる必要があるのかどうかもわかりません。すべて人間の都合で作られ売られお金になってきたと思うのですが。そこに動物の気持ちは関係なく飼育していると思います。
そもそも動物の気持ちがわかる人間なんて一人もいないと思いますので。
猛禽類の世界的権威であるバージニア州の猛禽類管理局の Kent Knowles 氏は言う。 「諸悪の根源はけっきょく、どんな野生動物も可愛ければペットにできると思う精神構造です」 「日本のふくろうカフェは、自然の生命とどう関わるかということについてのまったく誤ったメッセージを発しています。」
「おめめが大きくて、おとなしい」 という見方は実に無知で幼稚である。流行も過ぎ、飼いきれなくなって、隠れて “放鳥” する人間がこれから出てくることが懸念される。かつてのアライグマブームのときのように。
フクロウを飼いたいとも思います。ですが、家や家族の事情で飼えません。見るだけです。
いつかフクロウカフェに行き触れ合いたいと思っています。それまではフクロウカフェが無くなってほしくないです。
そして鎌倉のお店(このページで知った情報)はフクロウを思いやる気持ちが足りていないと思います。フクロウにじゅうぶんな休憩を与えず展示してフクロウにストレスを与えていると思います。
僕が見に行くところではショーもやっていますが、一日に一回出てきて同じフクロウはその日は出てこず展示もされません。
なかにはストレスなくショーをこなし展示されているフクロウもいるようですが。
ここはそれぞれのフクロウが個室になっているので紐でつながれておりません。鷲・鷹・隼もおりますがそれらはつながれています。
以下は僕の意見です。
現在フクロウの人気が高まっているのは猛禽類なのに意外と人に慣れる、もしくは懐くからではないでしょうか?
しかしまだ飼う人も少なく正しい飼育の方法が確立できていないのが現状でしょう。
犬や猫に関しても大昔に人に懐きやすい易い個体どうしを掛け合わせ今現在ペット界のツートップにのし上がったと言えます。
フクロウも今がその時なのかもしれませんね。フクロウも近い将来には犬や猫をしのぐペット界のアイドルになっているかもしれません。
ちなみに鳥には刷り込みといって人間に育てられた個体は自分も人間だと思い込み繁殖しなくなると言われています。
犬や猫の去勢の事を考えるとペット向きなのかもしれません。無駄に増えないので。
そして犬や猫の団体がたくさんあるようにフクロウの団体もたくさんできて、いろんな試行錯誤を繰り返し、紐につながなくてもむやみに羽ばたかないフクロウを国内で繁殖し、室内の一定の広さの場所で飼育できるようになるといいですね。
これはフクロウに限らず他の動物もペットにできたらいいなと僕は思います。
ザウルスさんはこんな僕の意見はどう思いますか?
また一般人に対する啓蒙活動も大切だと思います。
今の日本では、動物の権利や動物の自由を出来る限り尊重するという気風に欠ける気がしませんか。結局はひとの心です。法律で規制すること以上に、啓蒙活動が重要ではないかと思います。このブログでの記事や皆さんの投稿がそういった面で貢献できればと思います。
確かに、営業時間中ずっと表に出てふれあいをしているのは、フクロウのストレスを考えていないと私も思います。
様々な生き物を飼育してきた私から言わせてもらいますと、その子その子で人が好きかどうかが違いストレスのかかり方が違います。
その子に合わせた飼育の仕方、ふれあいの仕方をしているのか疑問です。
ですが、フクロウカフェをなくせと言っても無理です。
人間の手で育てられた子は、野生に返せません(生きていけません)
お店側としても、経営してお金を稼がないとふくろう達のエサ代すら賄えないところはあるでしょう。
今あるものは、展示方法を変えて頂き
新しいフクロウカフェができないよう動かなければなりません。
私が訪れたフクロウカフェは休憩中という札がついてる子は写真のみで触ることも手乗せもできません。
また、手乗せも一人1羽までと制限がありました。
他のフクロウカフェさんは何羽でも手のせ出来たり、休憩中という札もなかったり、というところがあるようです。
少しふくろうに配慮している店もあれば、そうでない店もある様です。
少しずつではありますが、変わってきているのかなとも感じます。
(最近猫カフェは保護猫カフェが増えてきましたがまだ一部です。)
流行とはひどいもので余剰動物やひどい飼育をするブリーダー並びに店が増えます。
もっとよく考えて調べてから生き物を飼うように、
また、適正な飼育方法で生涯飼育できる飼育者が増えて欲しいものです。
日本が遅れているとはよく聞きますが、こういう点が遅れる原因でもありますよね。
拉致かといわれたらちょっと言葉が違うと思います。
フクロウは卵の時から人間の手で育て、一番最初に見たものを親だと思うので、その子にとっては人間が親ですし・・・
カフェをなくすのは無理なので、
一羽でも多くのフクロウが良き飼育者のもとに行けますように・・・
猛禽類マニアはえてして、ネコもフクロウも同じだ、インコもフクロウも同じだと言って、エキゾチックアニマルをコンパニオンアニマルの中に混ぜて、話をうやむやにする傾向があります。
鳥飼いさんは、このまやかしをきちんと明らかにしてくれています。
一方で、現に存在しているふくろうカフェの抱える問題についても、フクロウにとっての全体的な福祉の観点から非常に現実的で有益な意見が頂けたと思います。
動物と人間との無理のない共存を心がけるのが、本当の意味での “動物好き” なのではないかと思いました。
貴重なご意見、ありがとうございました。
他の動物カフェもあるじゃないかというコメントも見かけましたが(まともな人が経営していること前提で) 猫カフェの場合だっこ禁止追いかけ回すの禁止、猫の嫌がることは禁止されています、基本的に部屋でくつろぐ猫に餌やおもちゃで人間が構ってもらいながら適切な距離間でもって楽しむものです。
小鳥カフェも基本は飼育スペースにいる鳥たちを眺めながらお茶をして、オウム・インコなど人に慣れている、人が好きな種類以外は触ることができないのが普通だと思います。(ちなみにインコやオウムなどは手を出せば自ら進んでそこのつかまります)
特に猫カフェは捨て猫の救済という面も持ち合わせているもで好意的に受け取る方もおおいのではないでしょうか?
その点フクロウカフェは否応なしに触れ合わせているところが引っかかってしまいます。
そもそもペットにはコンパニオンアニマルとエキゾチックアニマルがいます。コンパニオンアニマルは長年人に飼いならされてきた動物たちで犬猫などがが筆頭、エキゾチックアニマルとはペットとして飼われ始めてからの日が浅かったり、輸入などではないと手に入らないような珍しい動物のことです。
フクロウはエキゾチックアニマルの部類に入り飼育書などに人には慣れないと明言しているものばかりです、犬や猫と同列に語るのはおかしい思います。
ペットを飼ったことがない人、犬猫などコンパニオンアニマルしか飼ったことがない人はわからないかもしれませんが、いくら人に育てられようと人に慣れない動物はいます。私も今まで様々なペットを飼ってきましたが3年たっても飼い主になれない小動物もいれば、買った初日から飼い主の手で眠るような鳥もいました(ちなみにセキセイインコですw)動物といってもその種類は多種多様、同じ種類であってもビックリするくらい性格が違うことだってあります。
「○○が大丈夫なのだから○○も大丈夫でしょ」と一緒に考えている方は一度飼育方法や生態などを調べてみて欲しいです。
実際フクロウカフェの映像などで、出演者の腕に止まるのを嫌がり短いリードのせいでうまく飛べず地べたでもがいているフクロウの様子を何度も見たことがあります。とても可哀想で見ていられません。(実は今日のお昼の情報番組でフクロウカフェの似たような場面を見てしまいここにたどり着きましたw)あれで人に慣れている大丈夫と言われても説得力はありませんし、動物の嫌がることをしておきながらストレスはないというのは通らない道理だと思います。
動物園でも珍しい動物とのふれあいコーナーを設けているところはあると思います。でも大体時間が決まっていますよね?動物のストレス体調面などを考慮して短い時間にしているのだと思います。
実際どれほどのフクロウカフェがそのような調整をおこなっているのでしょうか?
ペットを飼うこと自体虐待ではないかと書かれている方がいましたが、このような動物側に立っての気遣い、調整を行うか否かが虐待かそうでないかの違いなのではないでしょうか?
うちでは今鳥を飼っています、綺麗なケージと新鮮な青菜、水浴び大好きなので毎朝綺麗にしてやっています、1日中部屋のなかを飛び回らせてやりたいですが人間の都合もありそうもいきません、なので1日1時間を目途に放鳥しています。それに大きい音や急な動きにもとても敏感なので静かな場所にケージを置き急に動いてびっくりさせないようにしています。
ペットの習性を勉強し、出来る限りのことをするそして最後まで面倒をみる、それをするのなら虐待ではないと私は思います。
昔はちゃんとしたフクロウカフェもあったかもしれませんが、いまでは他の店に負けまいとサービスがどんどん過激になっているように思います。先日雑誌でみたフクロウカフェでは一席に1匹ずつ小型のフクロウを置いてそこで客がご飯を食べたり、写真を撮ったりするものでした。完全に生き物ではなく商品、モノとして扱っている状況に憤りを感じました。
完全に無くせ!つぶせ!というのは無理かもしれませんが、もう少しフクロウの側に立って無理のない経営をしてもらいたいものですし、可愛い!触りたい!という気持ちもわかりますが、入る前にその店はどういう風にフクロウを扱っているか冷静に判断してもらいたいものです。
ここのコメントを読み、ついカッとなってと書いてしまいました((;´・ω・)長々と申し訳ありませんでしたm(_ _)m
しかし、「自分は大事に飼っているんだから虐待なんかではない」 とひとりで勝手に思い込んでいるようなひとの論理は、こじつけや話のすり替えだらけで、非常に混濁しています。正当化に根本的な無理があるからです。
ここの投稿を通して読んでみると、まともなひとならば、同意するはずです。
動物園にも、生まれすぎた動物を扱う売買仲介業者が居ることを最近知って驚きました。仕方がないことかもしれませんが。あと、池袋だったかな、ペンギンの居る飲み屋さんがあるはずです。飲食店なんてしょっちゅうすぐ潰れるじゃないですか、あれ潰れたらペンギンどうするの?って思うんです……。
それにしてもフクロウカフェの写真を目にしてショックでした。エゴイズム以外のなにものでも無いですよね。ココロが痛まないんですかね。私なんか写真見るだけでも苦しくなって息がちゃんと吸えなくなります。 なんだか取り留めない雑談みたいになりました。失礼しました。
フクロウを飼うことと猫を飼うこととの違いについては、ブログ記事に十分に書いてありますが、これすらも理解できていないようです。
フクロウを飼っている自分が批判されていると思って、必死になって反論しているようですが、フクロウを飼う人間の論理の甘さを露呈する結果になっているようです。
フクロウを家の中で放し飼いにするとケガをして危険だから繋ぐのだと言って、自分がフクロウにとっての安全性に最大限の配慮をしていると主張されているようです。だから “虐待” ではないということには全然なりません。“安全” の確保をしていれば、虐待ではないと言う理屈が通るのならば、フクロウやハヤブサをずっと死ぬまで鳥カゴに入れたり、猫や犬を死ぬまで檻に入れておくのがいちばん “安全” でしょう。
「ストレスを感じない生き物はいません!! 貴方の猫だってストレスを感じています。絶対。」 とのことですが、“だから” フクロウがストレスを感じたって問題にはならないと言いたいようですね。残念ながらその理屈は通りません。うちの猫は足を縛られることなく自由に家の中を歩き回っています。基本的な移動・活動の自由は奪われてはいません。飼育されている多くのフクロウは足かせをはめられて、基本的な移動・活動の自由を奪われているのです。この違いをうやむやにしようとしても無駄です。ふつうのまともな人間は、そんなまやかしに納得しないのです。
フクロウを飼っていますが
人それぞれ考えは違いますが
私はフクロウカフェが虐待ならば
ふくろうを飼っている私も猫を飼っているあなたも虐待していることになりますね。
野生化の生き物っとおっしゃっていますが
ふくろうも猫も元々は野生化の生き物ですし
猫も人間の手によって飼い猫が存在するのだから貴方も飼い猫として猫を飼われて家の中で飼っているのだからフクロウカフェさんとあまりかわらないのでは??フクロウカフェさんは足かせをしています。確かに何も考えていない方や何も分かっていない方は
虐待 と思いますよね。
ですがふくろうを飼っている私から言わせていただきますと、猫だって家の中だけで飼っているのだから変わらないと思いますし、実際に私も外出時はふくろうを繋いで飼っています。繋いでいるのは、その子の安全を考えたうえでこういった飼育方法をしています。
ふくろうはもともとジッとしている生き物です。
放し飼いにすれば、何か物音でビックリしたとき
飛んで障害物にあたってケガをしてしまったり外に飛んで行ってしまったり誤飲をしてしまったり・・・。
ふくろうをちゃんとしっかり考えれば放し飼いがどれだけ危険なことか分かります。
なので飼い主が見ていられるときは放し飼いにしていますが不在な時は繋いでいます。
なのでフクロウカフェさんはこういった危険を考えた上で繋いだ展示方法をしているのだと思います。
これが必ずしも正解とは限りませんが
そんなことを言っていたら猫も犬も同じです。
あなたの猫の飼い方が正しいとは限りませんよね。
ストレスを感じない生き物はいません!!
貴方の猫だってストレスを感じています。絶対。
ブログで書くならふくろうの飼育方法を理解した
上で書いた方がいいと思います。
あくまで個人の意見です。
人それぞれ考えは違いますが1人の意見を
鵜呑みしないよう気を付けて下さいね。
一方で、いろいろな理屈を並べて 「そんなにストレスはないですよ」 と言い張るひとたちがいる。ふくろうカフェブームで出てきた業者やフクロウ愛好家たちである。ビジネスとしている人間とマニアックな飼育家は必死になって正当化するであろうが、そういった人たちの相当にバイアスのかかった主張に惑わされてはならない。
フクロウの飼育にはかなり “無理” があるのだ。そもそも、どんな理屈を積み上げても、かわいそうなものはかわいそうなのだ。
最初は物珍しいのとかわいいのとで見ていましたが、店を出た後にいろいろと疑問がわきあがってきました。
短く繋がれたまま、飲み水も近くになく、これではかわいそうすぎると思いました。
夜行性なのに日中お客が来て触ったり、カメラで撮っていたら本当にストレスだと思うと、未だに後味が悪いままです。
動物愛護でひっかかるのではないだろうかと思い検索している所このページを見つけました。
なんとも動物への対応変えていきたいですね(´・_・`)
A 「生きるための餌を確保するために」飛ぶのがフクロウの生態なのではないかと僕は考えています。飼育下ではその餌も人の手で与えてやるため飛ぶ必要がない、と言われてしまえば、何も言い返せなくなりませんか?」
つまり、ちゃんとエサを確保してあげれば、問題ないでしょう」 と言っているのです。
B そして、よけいなストレスを与えているふくろうカフェは間違っていて、(そうしないようにしている)自分は正しい、と言うのがその2番めの主張です。
わたしは上記A,Bのどちらも誤りであると言っています。A 生き物は、エサを確保するだけのために生きているのではありません。人間もそうです。ネコもそうです。ネコを完全室内飼いするなら、飼い主は外飼いのネコ以上に一緒に遊んでやらなくてはいけないでしょう。
B “ふくろう好きさん” の主張の、ストレスを最小限にすれば問題ない、というのは一見ペットの立場のようですが、実は飼い主の側の自己正当化の勝手な理屈にほかなりません。どの飼い主も自分の飼い方はストレスをほとんど与えていないと思い込んでいるのです。
わたしは以上のことを、すでにきちんと指摘していますが、“ふくろう好き さん" は 「そうは言っていません」 を繰り返すだけで、まともな返事が頂けず、建設的な議論に発展しませんでした。
フクロウ好きさんも、フクロウカフェを肯定しているのではなく、単に人間側の感情だけで論じないで、実際にフクロウ自身がどういう状況だとストレスに感じるのかに視点を合わせるのが大切なのではないかという、別の角度からの投げかけでだと思います。建設的に議論しようというコメントに感じました。
それに対してのブログ主の応対は、フクロウ好きさんの主旨を汲んで議論するではなく、人間の少女監禁や拉致被害を持ち出しているのは強引な感じがしました。
自分と違う意見は聞く耳持たないのかなあという印象がして残念でした。
しかし、日本の野鳥保護団体、動物保護団体はどこも ふくろうカフェ について何の公式声明も出していないようです。日本野鳥の会の会員がふくろうカフェのファンになっているようなFacebook 投稿があるといったレベルです。イギリス、アメリカの動物愛護団体、野鳥保護団体が日本のふくろうカフェについて批判的な見解を公にしているのに、日本の団体ではほとんど動きがないのです。日本はまさに “放置国家” のようです。
もし、日本のNGOが ふくろうカフェについて何らかの公式の見解を表明している事実がありましたら、どなたでもぜひ教えて下さい。
「ハンバーガーになるために」 をごらんください。
http://blog.goo.ne.jp/zaurus13/e/f528dbc7fc9a6ae71900d1552d23a8fe
不快な思いをさせてしまい、すみませんでした。
ザウルス様の主張をもっと広めて、ブームに乗っかってるだけの人たちの目を覚まさせてあげてください。
ということは、「拉致被害者にも拉致されて連れ去られてから今はそこで幸せに暮らしているひともいるかもしれないから、拉致じたいは問題はない」 と言っているのと同じである。
ストレスがあるかないか、ハッピーかどうかは
ブラックボックスである。そこに逃げ込んで正当化しようとしている。
うまく手なづけてしまえば、何でもありだ、と言っているに等しい。
目を閉じて、片足を上げているフクロウはリラックスしています。
でも、きゅっと細くなっているフクロウや羽を広げて威嚇しているフクロウはストレスがかかっていると思われます。
リラックスしているフクロウは、フクロウとして、個体としてその状況に満足している可能性があると思うのですが、それも間違っていると思われますか?
フクロウの本当の気持ちは僕にも分かりませんし、しゃべれないので、誰にも把握できないと思います。
飛べる飛べないが問題ではないと思います。
どんな動物にとっても、リラックスできるか、できないかが重要だと思います。
もちろん、飛べないことでストレスを感じているフクロウもいるはずです。
でも、たとえリーシュに繋がれずに放鳥されていても別の理由でストレスを感じる子はいっぱいいると思います。
それが僕の「フクロウ側の視点」です。
ザウルス様が、あまりにも飛べないことだけに焦点をあてた言い方をされておられるので、せっかくいいことを発信されようとしているのに勿体ないと思いまして。
それだけじゃないと思うんです。
ストレスとなる原因は他にある可能性もあると思うんですが、ザウルス様はどう思われますか?
「ただ「繋いでるのが可哀そう」では、フクロウにいたっては説得力がありません。
普段は1か所に留まって動きませんから、「自由に」飛ぶのではなく、「生きるための餌を確保するために」飛ぶのがフクロウの生態なのではないかと僕は考えています。
飼育下ではその餌も人の手で与えてやるため飛ぶ必要がない、と言われてしまえば、何も言い返せなくなりませんか?」 とのことですが、つまり、エサを十分に与えていれば、飛び回る必要もないのだから “虐待” にはならないし、むしろフクロウのためになる、という理屈ですね。この論理はそのまま “女子中学生監禁事件” の犯人の自己正当化にも使えるかもしれませんね。共通した心理が根底にあるように思えます。
そして、「フクロウカフェに反対の方々にも、ぜひ、人間から見た感傷などではなく、フクロウ側の視点に立って発信していかれるといいのではと思います。」 とまで言っているのには驚きである。つまり、自分の世界に相手を取り込んで、餌付けし、手なずけて慣れさせてしまえば、それが相手にとっても幸せな “はず” だという論理である。それがこの “ふくろう好き” さんの言う 「フクロウ側の視点」 なのである。
おなかがすいて、餌を捕獲する時に飛び立ちます。
また、リーシュ(紐)に括りつけられてることを理解しているとは思えません。
移動したいときは、「あっちに行きたいのになんで行けないの?」と言わんばかりに何度も挑戦します。
じっとしているときは、ただそこにじっとしていたいだけなんです。
そんな時にリーシュをはずしてやっても、ずっとそこから微動だにしないんです。
もちろん、リーシュをつけようとすると、嫌がって足で蹴飛ばす子もいれば、自らすすんでケージに戻る子もいます。
個体によって好き嫌いがあるのかもしれません。
また、たとえば、カラオケボックスやライブ会場など、大騒音の中で飼育されるとストレスで亡くなってしまうフクロウも少なくありませんが、しゃべり声や自動車の音など、人間の生活音レベルには順応します。
朝夜逆転の生活にも慣れます。人と同じで、要は規則正しい生活ができていればそれに慣れてきます。
また、夏の暑さには注意が必要ですが、冬の寒さには耐えることができます。
飼育下のフクロウたちは、自分で餌をさばく必要がないので(人があらかじめ食べやすい大きさにカットするため)、くちばしを伸ばす必要はありません。
逆に伸びすぎると餌がひっかかったり、くちばしが欠けたりするので整えてあげる必要があるのです。
爪も、伸びすぎるとケガをする原因となります。
たとえば、手をグーにしてぎゅっと握ると自分の爪が手のひらに食い込みませんか?
止まり木に止まるときなど、自分の爪で自分の足を刺してしまうことがあるのです。
羽は切りません。小鳥ほど飛びまわる子たちじゃないので。
野生のフクロウを展示しているなら論外ですが、そもそもお店にならんでいるフクロウたちは刷り込みされているので、人を怖がらず、逃げ回らず、大人しい子ばかりなのです。
中には、「自分も人間」だと思っているフクロウもいるかも知れません。
フクロウたちにとって、フクロウカフェのすべてが「動物虐待」に繋がる行為だとは限らないのではないでしょうか?
犬も、遠い昔は野生のオオカミだったのを人の都合でペット化された経緯もありますし、現状のフクロウのペット化が悪だとは僕は思いません。
ですが、みなさんが仰ってるように、劣悪な環境での飼育、展示には大反対です。
羽につやがなく、元気のないフクロウを見かけると、あああ、って思います。
自分のフンのガスで病気になった子もいると聞きましたので、フンで汚れきった床を歩かされている子を見ると、泣きたくなってきます。
小型のフクロウは大型のフクロウの捕食の対象になり得るので、大型の子をじっと見て警戒している小型の子のストレスを思うと可哀そうで堪りません。
認可を取り消される動物園もある、とおっしゃってられましたが、フクロウカフェやその他の動物カフェもまったくその通りで、こういう現状のカフェをなぜ取り締まれないのか、不思議でしかたないです。
もちろん、フクロウの生態をきちんと把握して対処しているカフェもあると思いますが、カフェを運営する方々には、フクロウに限らず取り扱う動物のことをしっかり勉強していただきたい。
フクロウカフェに反対の方々にも、ぜひ、人間から見た感傷などではなく、フクロウ側の視点に立って発信していかれるといいのではと思います。
ただ「繋いでるのが可哀そう」では、フクロウにいたっては説得力がありません。
普段は1か所に留まって動きませんから、「自由に」飛ぶのではなく、「生きるための餌を確保するために」飛ぶのがフクロウの生態なのではないかと僕は考えています。
飼育下ではその餌も人の手で与えてやるため飛ぶ必要がない、と言われてしまえば、何も言い返せなくなりませんか?
でもそれが言えるのも、フクロウのための環境を整えてやってのことだと僕は思います。
人間の都合で彼らにストレスを与えてしまう行為は、やはり許せることではありません。
フクロウカフェで展示されているすべてのフクロウたちが、正しい飼育下で幸せな一生を送れるよう祈るばかりです。
わたしは、ブログでも紹介した5種類のポスターをを貼った立て看板を、近所の歩道に面して設置しています。駐車場の小さなスペースを借りて置かせてもらっています。駐車場の所有者にお願いしたところ、快諾してくださったのです。
見に行くと、通行人のほとんどは気づきません。しかし、学校帰りの小学生たちが、立ち止まっていっしょに読みあげているときがあります。「カワイイ以前にかわいそう!」 「真似してフクロウ飼わないで!」 「わたしたちはふくろうカフェに反対します!」 「可愛いきゃ何でも許される?!」 と大きな声で読んでいるのです。痛快です。
意見広告の立て看板なんてあまりないでしょうが、せっかく 「言論の自由」 のある国に生きているのですから、大いに合法的に表現する権利を行使したいと思っています。
わたしたちにできることはまだまだたくさんあると思います。おたがいにがんばりましょう!
当たり前なんですか、梟カフェって?
私が梟カフェの存在を知ったのはつい最近です。
友人がフェイスブックに載せていたのですが違和感と共にやはり後味の悪さが残りました。
小鳥とか犬、猫は良いのか、と言うご意見もありますが同じ土俵で論じていいのでしょうか。
梟は皆さんもう既に書かれていますが見世物にする動物では無いと思います。勿論個人的に飼われている方々は努力して可愛がっているとがます。私も全部が悪だと言っている訳ではありません。
ただ劣悪な環境下で見世物にされ本来は自由に飛ぶ「遺伝子」を持った鳥を閉じ込める、と言うのは如何なものだろうかと思うのです。
野生の鳥では無いから、人工的に産ませて育てずっと人間の元で育ったから問題無い?それは違います。論点がずれています。梟は猛禽類と言う事実は変わりません。
じゃあ小鳥はいいのかと仰っていた方がいらっしゃいますが。小鳥と猛禽類は違うのでは無いでしょうか。
動物園はどうだ?と言うご意見もありますが劣悪な環境の動物園は淘汰されているのではないでしょうか。
動物好きなら絶対に嫌な、とても嫌な感じがするのが「梟カフェ」
だと思います。私も何らかのアクションを起こしたいと思います。
追記..以前ショッピングセンター内のペットショップで羊が売られているのを見てしまった事があります。身動きが取れるか取れないかの空間で存在していたあの羊の眼。日本はペットに関してはとてつもなく後進国です。
長文失礼致しました。
海外でも現在日本の “ふくろうカフェブーム” をさまざまな動物保護団体が憂慮の念を抱きながら見守っています。うっかり批判すると日本側からヒステリックな反応を引き起こしかねないので、対応に苦慮している段階です。“金持ち日本” のご機嫌をうかがうほかない状況なのです。
日本国民の “民度” が問われているのに 「カワイイ!」 「なごむ!」 「癒される!」 で浮かれている現状を冷静な目で見直す必要があるように思います。
店舗に入った時は鳥肌もので感動しました。
しかし、店舗を二周した頃には、いたたまれなくなって早々に店舗をでました。やはり、頭をよぎったのが「動物虐待」ですよね。ブログの主様と全く同じ感情でした。
二度と行くことは無いと思いますが、切ない気持ちでいっぱいです。
私の方こそ同じ感覚の方がいらっしゃって安心していたところです。
バタバタしており、だいぶ遅れてコメントしてすみません。
前回は斜め読みで私の稚拙な文章で的確でない認識や表現もあり失礼致しました。
やはり鎌倉ですよね。
役所と保健所の方はコンタクトとって、管轄は違うのですが横浜の動物保護センター?(だったと思います)の方から調査員が派遣されるとのことです。役所からはまた連絡が来ることになっています。
少しでも多くの声を届ければ動かないものも動かしていけるのではと希望を持ちます。認可や許可業務の管轄の細分化の隙間でこういう重大な事が見過ごされるのかも。
動物取扱の有資格者がフクロウの生態など全く知らないトリマーだったりとか。。この辺を良く調べると今の惨状が理由がつきそうですね。
猫カフェも夜10時以降の営業禁止が猫にとって酷だという事で4月まで暫定で禁止されていたのがそのまま4月以降も禁止で決定しましたね。少しずつ問題化している証拠かと思います。
マイノリティの意見は徹底的に叩き、それが逆転するとそうそう、そういえば自分もそう思ってたんだよ、なんていうのが世の常かもです。
「気づき」の力が弱いのかと思います。
偏った情報収集、限定されたテレビの番組などの情報を鵜呑みにするなどが原因の一つかもしれません。商業的なイメージ操作の安易な受信も。
グリンピースのような過激な団体が動物保護の活動を難しくしている側面もあるかもですね。私もあの団体は辟易しますからね。
投稿者様のようなマスコミの情報を鵜呑みにせず色んな角度で情報収集し自分で判断できる力が必要だと思います。
いずれにしてもあの病院と同じフロアに排泄物垂れ流しなのによく許可がおりたものだとびっくりですよね。
色々応援してます!
応援は匿名希望で、批判は実名で。そんな教育を受けました。本来日本にはそんな風潮があったず。
ネット社会で便利になったけど大変だなあって思うことも多々ですよね。またまた長くなってすみません。
それでは。お互い頑張りましょう^ ^)
鎌倉さんの 「・・・行動を起こします」 に啓発されて、わたしも問題提起に終わらずにもう一歩先へ踏み出すことにしました。よろしくお願いします。
ハムスター可哀想って言うと、じゃあ牛や豚は可哀想じゃないのかと言う人がいて なんだかなぁという気持ちになりました ふくろうカフェも流行にのってドンドン増えて それが飽きたら今度は何カフェでしょうか?とても残念な気持ちになります
一緒にいた娘が行きたいと言うので今日行って来ました。
最初はおとなしいな、可愛いなと思って見ていたのですが、ほかの客が至近距離で写真を撮ったのに驚いたフクロウが驚いて翼を広げて飛び立とうとした時に脚を止まり木に括りつけられているのに気が付きました。しきりにくちばしで脚をつっついているので良く見てみるとその1センチの猶予もない位に縛ってある紐が飛び立つ度に脚に食い込むのでしょう、カサブタのようなものが出来ています。
別のシベリア原産と札の付いた大型の白フクロウは片方の羽根を半分広げたままで閉じられない状態でその羽根の関節のところに薬が塗られています。もっと大型のフクロウは既に止まり木にも止まれておらず ずっこけた感じで壁に寄りかかっています。
帰ってからネットで調べたら、フクロウカフェのフクロウ達は爪とくちばしも切られているそうです。
本物の木ではないフェイクのグリーンカーテンの中で夜行性のフクロウが一日中たくさんの人が来るワイワイガヤガヤの所でほとんど身動きも出来ず水を飲むことも出来ずに働かされる訳です。
注意書きには30センチ以内で写真を撮らないでとか、お腹や顔には触らないように書いていますが、スタッフは誰も注意しません。
子供にお腹を触られて驚いたフクロウがあちこちで翼を広げて飛び立とうとしますが囚人のように足かせをはめられているのですから、、、。
極めつけは、フクロウ達の真ん中に小さなケージがあってその中にはリスが飼われています。そしてカプセルに入って1個100円で売られているヒマワリの種を客が買ってリスに与えています。
私が見たときは設置された小さな巣穴の様な穴に入ったまま出てきませんでした。
猛禽類に囲まれたリスって、、、。どんだけ趣味が悪いのだろうと吐き気がする思いでした。
投稿者の言う通り、気になって夜眠れなくなってしまいました。
動物園も一緒ではないかという方が必ずおられますが、動物園はそれぞれの生態に合わせて人間が動物達のストレスを減らすべく少なからず努力をしています。(充分ではないでしょうが)
いずれにしてもこのフクロウ達の様にずっと動けないほどに拘束されている訳ではありません。
世の中には胡散臭い動物愛護団体などもあるので、この手の話は過剰に動物好きの人達が騒いでいるだけだと思われがちです。
マスコミ なども話題性だけを重視し、こぞって癒しという言葉を使い取り扱っているので猫カフェと同じじゃない?何をいちいち騒いでいるのという方もいるかもしれません。
ぜひ、ご自分の目で確かめて頂きたいと思います。
ただ可愛いだけで済んでしまうのか。
本質とは外れた議論をしても仕方がない、ネットで調べれば色んな現状がわかるでしょう。海外から見たらこのフクロウカフェは異常です。そしてこれを見て写真を撮って喜んでいる日本人は〇〇と言われています。
ペット産業にこれだけ甘い先進国は日本だけです!
あるフクロウカフェでは一日中水も与えずに脱水症状で口の開いているフクロウが何匹もいて通報されたそうです。
投稿者さま、私は自分の名前を明かさずに色んな事を言うサイトは好きではありません。
必ず誹謗中傷に近い書き込みで単純な正義を掲げていい放題なものを見かけるからです。
でも何でもいい、とにかくアクションを起こしたかったのですよね。
問題提起したかったのですよね。
でも場所が違います。
こんな所でくだらぬ理論を振りかざされている投稿者が可哀想です。
私もまずは良く調べて、微力ながらアクションを起こしていきたいと思っています。
まずは弱った人が来る病院の通路に玄関を開け放ったままで営業している事実。野生の動物は色んな菌やウィルスを保菌していますからね。そして飲食店が多く入っているビルの中にあるということ。先ずは保健所からでしょうか。そして各管轄下である行政の窓口、そして発信力のある個人や組織などなど。
こんなものがある様では、鎌倉は世界遺産登録など遠く及ばないですね。
色んなことをいう人がいますが、これ違うな、おかしいなって思うことを行動を起こしてみることも大切です。
子供さんもいらして忙しいし、まあいいやと思いがちですが私もこれは看過するべきレベルではないと感じていて行動を起こします。問題提起して下さった投稿者を100%支持致します。
小さな力が物事を動かします。
虐待という仰々しい言葉を盛んにつかっているけど、健康被害もなく、ワイルド(野生)ではなく国内ブリードされた個体を、皆で愛して可愛がってあげることのどこが虐待なのかまったく分からない。
あと、小鳥のゲージ飼いについて言及したんですけど、都合悪くなったら露骨にスルーですか?
私が客観的報告にこだわるのは、一番大事なのはその動物が"実際にどう感じているか"ということだから。あなたみたいに人間の勝手な思い込みを動物に押し付けるのは感心しない。
科学的に証明されなければ、虐待ではないという理屈のようですね。その理屈を、ものを言えない動物にあてはめて、勝ち誇った気になっているあなたの人格のほうが問題だと思います。
それは動物学的見地に基づくことのないただの思い込みであり、妄想である。私は最初から言っているが、フクロウを室内飼いにすることによって、フクロウにストレスがかかっているという客観的・学術的な報告があるのか?
もし室内飼いがストレスなら、カゴの中で飼われているインコや文鳥などはあっという間にストレスで死ぬのでは?
今から動物ショップを巡り歩いて、「小鳥をかごで買うのは動物虐待だ!」と叫び散らすことをお勧めするよ(笑)
わたしの答えの核心はあなたのコメントの中にすでにあります。あなたは(笑)としながら、「ストレス解消のために飛んでるのか?(笑)」と言っています。
その通りです。“ストレス” は “苦痛” の1つです。10 秒飛べないことはゆうに“ストレス”になります。そして、それは“苦痛”なのです。ということは “虐待” なのです。
本来飛べるはずの鳥を飛べない状態にししてしまうことじたいも “虐待” の1つです。生まれた時からそういうふうに飼っているんだから、虐待ではない、というのは人間の勝手な理屈です。それは、“生まれた時から虐待に慣れさせている” ということであって、けっきょく “虐待” なのです。
生まれた時からずっと室内飼いなのに10秒飛べないことを苦痛に感じるわけ無いだろ?
フクロウはなんのために飛ぶ?ストレス解消のために飛んでるのか?(笑)
「何故フクロウだけが広大なテリトリーを必要とする?意味がわからない。」 とのことですが、
猫が10秒歩く距離とフクロウが10秒飛ぶ距離の違いが想像できませんか?
「飛べない環境でフクロウ飼うのは虐待? それはただの思い込み。根拠ゼロ。 例えば飛べないことによって寿命が縮んでいるとかストレスで病気になりやすいとかの報告があるなら確かに動物虐待。でもそうじゃない。(根拠となる客観的学術的証拠があるなら是非読みたいものだw)」 とのことですが、フクロウが飛ぶ自由を奪われるのは、あなたが歩く自由を奪われるのと同じなのです。
「歩けない環境に人間をおくのは虐待? それはただの思い込み。根拠ゼロ。 例えば歩けないことによって寿命が縮んでいるとかストレスで病気になりやすいとかの報告があるなら確かに虐待。でもそうじゃない。(根拠となる客観的学術的証拠があるなら是非読みたいものだw)」 と言っているのと同じであることがわかりませんか。
フクロウは野生動物だ」 とわたしが言ったのは、「“ましてや”、フクロウは野生動物だ」という意味だったのですが、「ならば家畜の虐待は容認するんだな」 と、とんでもない誤解をするひとがいるのは困ったことです。
わたしは野生動物であれ、ペットなどの家畜であれ、動物の虐待には等しく反対なだけです。もちろん人間の虐待にも反対であることは言うまでもありません。
飼い猫が広大なテリトリーを必要しないのは、外敵もなく餌も用意されており、狭いテリトリーでも生存繁栄に困らないから。それはフクロウとて同じこと。餌もあるし外敵もないのに何故フクロウだけが広大なテリトリーを必要とする?意味がわからない。
飛べない環境でフクロウ飼うのは虐待?
それはただの思い込み。根拠ゼロ。
例えば飛べないことによって寿命が縮んでいるとかストレスで病気になりやすいとかの報告があるなら確かに動物虐待。でもそうじゃない。(根拠となる客観的学術的証拠があるなら是非読みたいものだw)
フクロウは野生動物って言ってるけど、フクロウカフェや個人で飼っているフクロウはペット用に人工繁殖されたもの。これがダメなら犬猫飼うのも動物虐待。(ちなみに、猫も犬もフクロウも数代で野生→家畜化あるいは家畜→野生化が起きる。四千年の歴史は必要としないw)
自分は猫カフェも犬猫の飼育もフクロウカフェも非難しない。好きにすればいい。元来、人間なんて動物側の幸せなど考えもしない手前勝手な生き物なんだから。(遺伝的にペット向きに改良されていればいいはず、なんて見当違いのことを言う人が偉そうに動物愛護を語るくらいだからねw)
もし少しでも人間が動物のことを思いやる気持ちがあるならこの世に「ペット」など存在しえない。
と目くじらを立てていらっしゃいますが、あまりにも短絡的ではないでしょうか?
わたしは彼の1つの言葉を参考までに引用しただけです。
たとえば、「宗教は民衆のアヘンである」というマルクスの言葉を引用したからといって、マルクス主義がすべて正しいということになりますか?わたしがマルクス主義者ということになりますか?
ふくろうカフェだけでなく、猫カフェも動物虐待だとのお考えのようですね。それもありかと思います。ただ、実際に猫を飼った経験のない方の “乱暴な一般論” に聞こえます。
猫はそんなに広大なテリトリーを必要としていないのです。ふつうの一軒家の内部で十分なのです。トラやヤマネコとは違うのです。
ガンジーが言ったことは全て絶対なのか?
ま、俺に言わせれば犬を首輪と鎖で繋いだり、自由を愛する猫を家に閉じ込めるのは件のフクロウカフェと同等に残酷だがな。
野良猫を見よ。何と自由にのびのび生きていることだろう。
猫や犬を飼うということは、それによって"人間"が幸せ気分を味わえるというだけで、彼らの幸せなんて最初から考えていない、実に人間本意の行為である。
人間の好奇心や支配欲のためだけに動物の自由や生命を犠牲にするのはモラルに反するはずです。
「動物をどう扱うかによってその国民の道徳的レベルがわかる」 とガンジーは言っています。
我が家にも猫がいます。家中自由に動きまわり、今は炬燵の中にいます。
飼うと言うことは、責任が生じますよね。
餌をあげるだけではなく、愛情を注ぐことです。
足を紐でくくり、羽根を飛べないように切る…私も虐待だと思います。
「それにより人類が滅亡するのならば、それが「自然」なのだ」 とのことですが、実に皮相な単なるニヒリスト気取りです。
「同じ動物に“憐みの気持ち”を持つことは、意思を持つ人間特有のもので・・・」 “かわいそうだ、助けなくちゃ” という利他的な感情、行動は人間特有のものではありません。自分の産んだこども以外のこどもや仲間を捕食者から守ろうとする行動は広く見られ。現代の動物行動学では常識です。動物に対する理解の浅さに驚きます。
「ふくろうカフェに居る猛禽類たちは、「野鳥」の範疇に入らないという事実をご存知ですか? 」 知っています。わたしは野生動物のカテゴリーに分類されない動物は虐待されてもかまわないとは思わないだけです。
また、同じ動物に“憐みの気持ち”を持つことは、意思を持つ人間特有のもので、自然界の常態が弱肉強食であるのならば、その気持ちは、人間の傲りに他なりませんが、人間である以上、その“憐みの気持ち”も自然なのです。
ただし、ふくろうカフェに居る猛禽類たちは、「野鳥」の範疇に入らないという事実をご存知ですか? ペット用にブリードされ、狩猟用に調教され、日本国内の生態系を崩すという名目で日本国内で野生化させることを禁じられた外来種であるということを。
“憐みの気持ち”も大切ですが、このような記事をお書きになるのならば、もう少し綿密な調査を行うことをお勧めします。
個人的には、ブリードすることも調教することも生態系を崩すことも人間の意思で行う行為なのだから、自然な行為と考えています。
動物の権利を論ずる際に、一般論は時として、ほとんど建設的な議論にならないことがある。“動物” という種類の動物はいない。いるのは常に具体的なテナガザルであったり、オオアリクイであったり、イヌであったり、ハヤブサといった動物“種”である。みな棲息環境が違うのである。
わたしはここでネコとフクロウを比較して論じている。動物一般を論じているのではない。
「動物園でも動物を狭い檻に閉じ込めてるんだし、これが駄目なら動物園だって駄目なはず」 というのはあまりにも一般化した話で、ほとんど意味をもたない。
「公営の動物園が許されてるなら、これも私営動物園として認めるしかないでしょ?」 とのことであるが、世の中には動物保護条例に反するために摘発を受け、認可を取り消される動物園もあることをご存じないのだろうか?
これが駄目なら動物園だって駄目なはず
公営の動物園が許されてるなら、これも私営動物園として
認めるしかないでしょ?