ハンバーガーになるために
In order to be a hamburger
"Did you know Korean people kill dogs and eat them?"
"No way! How can they do such a cruel thnig? To kill and eat dogs!"
参考動画: https://www.youtube.com/watch?v=LCPNRsYij3o
https://www.youtube.com/watch?v=GwBNJ3pPBwQ
https://www.youtube.com/watch?v=SySqTQCdTvM
https://www.youtube.com/watch?v=isj-IYeCbnI
https://www.youtube.com/watch?v=adtjQDW9rVE
罪のない動物たちをこんな目に合わせなくてはならないものなのか、と何度も自問しました。
人間様にいずれ近い将来、必ず、「沙汰」が下るでしょう。
常々、思う事があります。
それは、「知っていると知らないとでは、えらい違いがある」と。
殺されていく動物達には申し訳ない事ですが、悲しい画像、有難うございます。
日本人に生まれて良かったと、改めて思います。
今夜は、眠れないかも?です。
おっしゃる通りだと思います。必ず何らかの行動の違いとして現れます。わたしはこの記事はぜひ子供に見せてほしいです。子供にも考えることができるはずです。日常にひそむ闇の存在を知ることで世界が広がるはずです。人間としての成長の糧になるはずです。
それとも、肉を食べることが非道徳的だと伝えたいのでしょうか?
それとも、そのどちらでもなく別の意図があるのでしょうか?
僕はある場の見学に行ったことがあります。そこでは牛を育てた人や牛をする人々には思いがあると感じました。牛が豊かに育つように環境を整え、殺めるときは迅速に処理する。誇りを持ったプロフェッショナルな人達でした。
ザウルスさんはこれについてどのような意見をお持ちですか?
まず、そこをはっきりさせてください。
画像にもあるように、まずはガンで頭蓋に穴を空け牛を側頭させ、その後首を切り血抜きをしていたようですが、その工程だけは牛の視界に僕たちが入らないよう仕切りをされていて見られませんでした。なるべく牛にストレスを与えないように、外で待機している牛たちに近づかないことも注意されました。
ベルトコンベアに吊るされた後の、四肢を落とす作業から、皮を剥ぎ、内臓を抜き、切り身にしていく工程は全て見学できました。
通常内臓は産業廃棄物として処理されるようですが、そこでは地元の方が内臓を引き取りドッグフードに加工していると言っていました。
見学後、地元の場の牛肉を扱っているハンバーガーショップでハンバーガーを注文して食べました。
僕が参加した見学では牛を放牧して、牧草と飼料を与えて飼育している所から、処理・加工()、加工・販売(ハンバーガーショップ)と、一連の流れをみることができました。
そんなものをはただの肉屋さんの見学と変りません。
を見ても見ていなくても、それは “見学” という名目の組織的染脳です。業に従事する多くの被差別マイノリティーの人々の権利回復、名誉回復と抱き合わせにした “肉食賛美” の染脳です。そういう地域では同和教育の一環に位置付けられています。
差別しちゃいけない → 肉食は必要 というこじつけの図式です。
今日の最新の栄養学では肉食は人間の食事に必要なものではなくむしろ、有害であることが明らかになっています。
戦後の栄養学では肉をアメリカからたくさん買うようにアメリカから押しつけられた栄養学でしたので、動物性たんぱく質の他にも乳製品(牛乳、バター、チーズ)、炭水化物(パン)などが “必要” というふうに日本人は長年 “染脳” されてきたのです。
そして、さんざん言われてきました、「バランス良くたべましょう!」 と。つまり、アメリカが上乗せしたものも全部食べろ、と。
牛肉などは、必要なものではなく、せいぜい “嗜好品” です。“タバコ” と変わらないのです。
そもそも、殺しておいて 「牛さん、ありがとう」 というのは偽善ではないですか。あとで「ありがとう」 と言えば、何でも誰でも殺せるのですか?
「ハンバーガーになるために」 の最後の動画を見ましたか?
そう言うあなたは見たのですか?動画ではなく、
される現場を目の前で見たのですか?
この記事を作っていて泣いたとの事ですが、
それは貴方がこのような惨状を記事作成以前には知らなかったと言うことでは無いのですか?
にもかかわらず、
Tsutenさんがこのような見学の際にのその瞬間を
見たか見てないかを見識の有る無しの
線引きにしていますよね?
だとしたら、あなた自身が処理の現場を
目の当たりにしていない場合、この問題に関して何らかの意見を表明する立場には無いのでは?
既に有るのだとしたら、上述の文と矛盾は無いのですか?説明を求めます。
”あとで「ありがとう」 と言えば、何でも誰でも殺せるのですか?”これはどういう事ですか?
問題提起の為とは言え、無茶くちゃな問いかけですね。
「何でも」は希少種を含めたあらゆる動植物を指しているのですよね?「誰でも」は当然人間と言うわけだ。
そんな訳無いのはあなたは知っているだろうに、諸々の利権団体の嘘に染脳(出た造語だ)され、自分で考えもしない食肉肯定派は感謝のような偽善的行為さえすれば、そんな事すら許されると貴方は考える訳だ。
つまり肉食肯定派は偽善的な愚か者と
決め付けているわけですね。
世間ではレッテル貼りと言う行為です。
それは貴方が思考停止に陥ってる証拠です。
「あなた自身が処理の現場を目の当たりにしていない場合、この問題に関して何らかの意見を表明する立場には無いのでは?」 とのことですが、
もし本気でそう思っているのなら、殺人という行為を実際に目撃したことがない人間は、殺人事件について論ずる資格が無い、ということになりますね。
「”あとで「ありがとう」 と言えば、何でも誰でも殺せるのですか?”これはどういう事ですか?問題提起の為とは言え、無茶くちゃな問いかけですね。」 とのことですが、
全然「無茶くちゃな質問」ではありません。
「見学後、地元の場の牛肉を扱っているハンバーガーショップでハンバーガーを注文して食べました。・・・僕が参加した見学では牛を放牧して、牧草と飼料を与えて飼育している所から、処理・加工()、加工・販売(ハンバーガーショップ)と、一連の流れをみることができました。」 といったこのような“教育的”な場見学では必ず「牛さん、豚さん、ありがとう!」となるのです。そうして、子どもたちは良心の呵責なくハンバーガーを食べることができるというしくみなのです。わたしは 相手に“感謝”しさえすれば、相手に何をしてもよいとは思わないだけです。
「つまり肉食肯定派は偽善的な愚か者と決め付けているわけですね。世間ではレッテル貼りと言う行為です。それは貴方が思考停止に陥ってる証拠です。」 とのことですが、
“肉食肯定派” だの、“偽善的な愚か者” というのはあなた自身による “レッテル貼り” ではありませんか? わたしのほうはどこにも “レッテル貼り” はしていません。“レッテル貼り” をしているのは実際はあなたのほうですよ。そもそも 「“偽善者”は貴方だ。」 という投稿タイトルじたい、誰が見ても立派な “レッテル貼り” ではありませんか?