久しぶりにNHKスペシャルを観た。
観ずにいられなかったからである。
NHKスペシャル「村人は満州へ送られた~国策71年目の真実~」
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160814
1945(昭和20)年8月、旧満州(中国東北部)。
ソ連の侵攻で軍が撤退、取り残された人々は攻撃にさらされ、逃げ惑い、
およそ8万人以上が犠牲となり、中国残留孤児など数々の悲劇を生んだ。
それが、植民地の治安安定や軍への食糧供給を目的に27万の人々が満州に送り込まれた『満蒙開拓』、
移民事業の結末だった。
農村から満州へ農民を送り込むために「農林省」がからむことになり、人数のノルマを課せられた。
さらには働き盛りの男性は戦場に派兵されて、女・子供だけが農村に残された。
太平洋戦争で戦況が不利になると密かに新京以南にのみ防衛線を張り、多くの農村地帯は無防備にさらされた。
やがて、土地を安く買いたたかれた中国農民の恨みを募らせた中、1945年8月9日のソ連侵攻が始まる。
長野県の一村長は村民を送りだして、敗戦後の惨状に心神耗弱となり、翌1946年7月に自決した。
しかし、中国残留孤児の帰還政策が始まった1981年当時、かつて満州へ農民を送り込んだ農林省の要人は
「大事な事をしたわけで、今も悪いとは思っていない」とインタビューに答えていた。
犠牲者の末路に哀しむと同時に、国策に関わった人間たちの無神経さに怒りがこみ上げた。
その国策は、戦後の今もかたちを変えて存在している。
高速道路・整備新幹線・ダム事業・そして原発。
それらは一度始まったら、まず止まらない。
そして、整備新幹線は街に過密と過疎の格差を生み出し、
高速道路は「生活の足」である地方ローカル線をより苦境に追い込み、
原発は東日本大震災で福島県に深刻な傷を負わせ、今も修復されていない。
にもかかわらず、日本の有権者は数年間の民主党政権であっけなく「自民党独裁政権」しか選ばなくなった。
安保法案や憲法改定を強引に閣議決定したのに、だ。
要するに、政府も国民性も(戦争反対の考え以外は)戦後71年間で何も変わっていない。
日本は、また過ちを犯すのではないだろうか………?
観ずにいられなかったからである。
NHKスペシャル「村人は満州へ送られた~国策71年目の真実~」
https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160814
1945(昭和20)年8月、旧満州(中国東北部)。
ソ連の侵攻で軍が撤退、取り残された人々は攻撃にさらされ、逃げ惑い、
およそ8万人以上が犠牲となり、中国残留孤児など数々の悲劇を生んだ。
それが、植民地の治安安定や軍への食糧供給を目的に27万の人々が満州に送り込まれた『満蒙開拓』、
移民事業の結末だった。
農村から満州へ農民を送り込むために「農林省」がからむことになり、人数のノルマを課せられた。
さらには働き盛りの男性は戦場に派兵されて、女・子供だけが農村に残された。
太平洋戦争で戦況が不利になると密かに新京以南にのみ防衛線を張り、多くの農村地帯は無防備にさらされた。
やがて、土地を安く買いたたかれた中国農民の恨みを募らせた中、1945年8月9日のソ連侵攻が始まる。
長野県の一村長は村民を送りだして、敗戦後の惨状に心神耗弱となり、翌1946年7月に自決した。
しかし、中国残留孤児の帰還政策が始まった1981年当時、かつて満州へ農民を送り込んだ農林省の要人は
「大事な事をしたわけで、今も悪いとは思っていない」とインタビューに答えていた。
犠牲者の末路に哀しむと同時に、国策に関わった人間たちの無神経さに怒りがこみ上げた。
その国策は、戦後の今もかたちを変えて存在している。
高速道路・整備新幹線・ダム事業・そして原発。
それらは一度始まったら、まず止まらない。
そして、整備新幹線は街に過密と過疎の格差を生み出し、
高速道路は「生活の足」である地方ローカル線をより苦境に追い込み、
原発は東日本大震災で福島県に深刻な傷を負わせ、今も修復されていない。
にもかかわらず、日本の有権者は数年間の民主党政権であっけなく「自民党独裁政権」しか選ばなくなった。
安保法案や憲法改定を強引に閣議決定したのに、だ。
要するに、政府も国民性も(戦争反対の考え以外は)戦後71年間で何も変わっていない。
日本は、また過ちを犯すのではないだろうか………?