作詩・作曲:さだまさし (1980)
万葉集に収められた防人歌のひとつから作詩された、
人間の命の尊さや愛おしさを歌った曲である。
死が終わりではなく、巡る生命の営みや再生への希望に共感して、ナターシャ・グジーが舞い散る桜の中で歌う。
The Third release from the New Project “FILM Kobzar”
"Sakimori no Uta" (Poetry & Song: Sada Masashi, Bandura Arrangement: Nataliya Gudziy)
Full length version!
This version is now available on the official website too. http://www.office-zirka.com/film/
This song was created from a Tanka, Japanese traditional style of poem,
selected in Manyo-shu (a collection of poems), expressing dignity and love for life and reincarnation.
Nataliya Gudziy sings in the falling cherry blossoms feeling that death is not an end but a part of circle of life in which always existing hope for rebirth in future.
防人の詩 ナターシャ・グジー / Sakimori no Uta by Nataliya Gudziy
歌詞:J-Lyric.net
http://j-lyric.net/artist/a0004ab/l002c1c.html
YouTube からのコメントをご紹介します。
田山淳一 さん
「仏教の四法印:諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 そして一切皆苦。
またこの世での人間の四苦八苦:生、老、病、死 と
愛別離苦、 怨憎会苦、 求不得苦、 五蘊盛苦。
しみじみと感じ入ります。」
Hirohii3 さん
「この曲聞くと思い出すのが
”唐衣 裾に取り付き 泣く子らを
置きてぞ来ぬや 母も無しにして”
(麻の衣の裾にしがみついて泣く子供たちを置いて往く事など出来るだろうか。
この子達には母親が居ないというのに。)
という防人として徴兵されていく農民が詠んだとされている万葉集の一首で、
これを小学校の国語の授業で習ったのが丁度映画「203高地」(1980)が公開された頃だったかなぁ。
何だかこう、
故郷に家族を残して遠く離れた戦場で戦う兵士達の心情を歌ってるのかなぁって感じだった。」
また、さださん本人が、この歌が収録されたCD『シングルス全集 第3巻』のために、こうも書き下ろした。
「 “教えてください”。
心から吐き出すように尋ねたいことばかり。
万葉集巻の十六に、無常を厭う歌として、次の歌が、いわゆる“詠み人知らず”で載せられている。
「鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許為 海者潮干而 山者枯為礼」
(鯨魚=いさな取り 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ)
“防人の歌” の骨格となった歌である。
何とまあ雄大で、切なくて、己の卑小さと、時の流れを
ため息の中に閉じ込めた悲しい歌であろうか。
実は、(映画)“二百三高地”主題歌を依頼されて、迷っていたことがいくつもあったのだが、
この歌に出会って吹っ切れたのは確かだった。
その骨格に僕なりの“ため息”をぶつけて作りあげたのだが、
悩んだ時間の割に、曲作りは15分というものだった。
(中略)
近年、この歌を聴いた少年少女は、この歌をエコロジーというジャンルで聴いたという。
まことに“無常”というものは深い。
自分でも気に入っている歌のひとつであるが、二百三高地のヒロインだった憧れの夏目雅子さんも、
偉大なる山本健吉先生(文芸評論家、1907-1988)も、既に亡くなってしまった。
まことに海は潮干て、山は枯れすれであるが、万葉のこの歌の作者も、
潮干た海が再び満つることや、枯れた山に再び新緑の訪れることを信じていたことは言うまでもない。
無論、僕もそうである。
“希望”は“絶望”が生み出す、最后の作品なのである。 」
万葉集に収められた防人歌のひとつから作詩された、
人間の命の尊さや愛おしさを歌った曲である。
死が終わりではなく、巡る生命の営みや再生への希望に共感して、ナターシャ・グジーが舞い散る桜の中で歌う。
The Third release from the New Project “FILM Kobzar”
"Sakimori no Uta" (Poetry & Song: Sada Masashi, Bandura Arrangement: Nataliya Gudziy)
Full length version!
This version is now available on the official website too. http://www.office-zirka.com/film/
This song was created from a Tanka, Japanese traditional style of poem,
selected in Manyo-shu (a collection of poems), expressing dignity and love for life and reincarnation.
Nataliya Gudziy sings in the falling cherry blossoms feeling that death is not an end but a part of circle of life in which always existing hope for rebirth in future.
防人の詩 ナターシャ・グジー / Sakimori no Uta by Nataliya Gudziy
歌詞:J-Lyric.net
http://j-lyric.net/artist/a0004ab/l002c1c.html
YouTube からのコメントをご紹介します。
田山淳一 さん
「仏教の四法印:諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 そして一切皆苦。
またこの世での人間の四苦八苦:生、老、病、死 と
愛別離苦、 怨憎会苦、 求不得苦、 五蘊盛苦。
しみじみと感じ入ります。」
Hirohii3 さん
「この曲聞くと思い出すのが
”唐衣 裾に取り付き 泣く子らを
置きてぞ来ぬや 母も無しにして”
(麻の衣の裾にしがみついて泣く子供たちを置いて往く事など出来るだろうか。
この子達には母親が居ないというのに。)
という防人として徴兵されていく農民が詠んだとされている万葉集の一首で、
これを小学校の国語の授業で習ったのが丁度映画「203高地」(1980)が公開された頃だったかなぁ。
何だかこう、
故郷に家族を残して遠く離れた戦場で戦う兵士達の心情を歌ってるのかなぁって感じだった。」
また、さださん本人が、この歌が収録されたCD『シングルス全集 第3巻』のために、こうも書き下ろした。
「 “教えてください”。
心から吐き出すように尋ねたいことばかり。
万葉集巻の十六に、無常を厭う歌として、次の歌が、いわゆる“詠み人知らず”で載せられている。
「鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許為 海者潮干而 山者枯為礼」
(鯨魚=いさな取り 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ)
“防人の歌” の骨格となった歌である。
何とまあ雄大で、切なくて、己の卑小さと、時の流れを
ため息の中に閉じ込めた悲しい歌であろうか。
実は、(映画)“二百三高地”主題歌を依頼されて、迷っていたことがいくつもあったのだが、
この歌に出会って吹っ切れたのは確かだった。
その骨格に僕なりの“ため息”をぶつけて作りあげたのだが、
悩んだ時間の割に、曲作りは15分というものだった。
(中略)
近年、この歌を聴いた少年少女は、この歌をエコロジーというジャンルで聴いたという。
まことに“無常”というものは深い。
自分でも気に入っている歌のひとつであるが、二百三高地のヒロインだった憧れの夏目雅子さんも、
偉大なる山本健吉先生(文芸評論家、1907-1988)も、既に亡くなってしまった。
まことに海は潮干て、山は枯れすれであるが、万葉のこの歌の作者も、
潮干た海が再び満つることや、枯れた山に再び新緑の訪れることを信じていたことは言うまでもない。
無論、僕もそうである。
“希望”は“絶望”が生み出す、最后の作品なのである。 」