AERA dot. 2021年10月31日付記事
「時代に追いつけない“紅白歌合戦”がそろそろ終わっていい理由 懐メロ&ジャニーズ路線も限界に」
https://dot.asahi.com/dot/photoarticle/2021102800038.html
筆者:宝泉 薫
今年も「NHK紅白歌合戦」が近づいてきた。
50回連続出場中の五木ひろしが「紅白引退」を表明したり、
ピアノユーチューバー・ハラミちゃんのゲスト出演がうわさされたりと、さまざまな話題が飛び交っている。
ただ、かつてほど視聴率が取れなくなり、国民的番組としてのステイタスが下がってきたのも事実。
はっきりいって、もう限界というか、
そろそろ終わっていいと感じている人もいるのではないか。
それもある意味、仕方ない。紅白の寿命はすでに、尽きようとしているのだ。
その70余年もの歴史を振り返るとき、現在は第3期といえる。
第1期はラジオのみでのスタート(1951年)から、
怪物番組としてのかたちができあがる第8回(1957年)あたりまで。
第9回(1958年)からは、大みそかの夜に2時間40分(のち、45分)
紅白20数組ずつが登場して歌うというスタイルが確立して、日本の風物詩となった。
このスタイルは第39回(1988年)まで続き、視聴率は最高で80%台、悪くても50%台だった。
これが第2期であり、いわば全盛期でもある。
しかし、第40回(1989年)に大きな改革が行われる。
放送開始が19時台となり、二部制が導入された。
音楽の好みの多様化や誰もが知るヒット曲の減少といったものへの対処でもあり、
これを機に懐メロが増え、ひと組あたりの持ち時間も長くなっていく。
また、本会場以外の場所からの中継や、本番当日のサプライズ出演、
さらには巨大衣装対決やけん玉でのギネス記録挑戦といった
歌とはあまり関係のないエンタメ要素も盛んに取り入れられるようになった。
この結果、その年の歌謡界で選ばれし者が集う真剣勝負という魅力は薄れたものの、
延命にはつながったかもしれない。
終盤に登場する歌手を若返らせるため、ベテランには第1部のトリを任せるという手法も編み出せた。
前出の五木も昨年、第一部の大トリで歌ったのを区切りに、紅白を去ったわけだ。
「本紅白」などとも呼ばれる第二部の視聴率は、50%台から40%前後に低下。
二部制導入後の第3期は、ゆるやかな衰退期でもある。
そもそも、全盛期を知る世代には、最近の紅白は別物にすら思えるのではないか。
そんな「別物紅白」が全盛期と同じくらい長く続いているのだから、そろそろ寿命が尽きても不思議ではない。
それでも、盛り返すチャンスはあった。いわゆるゼロ年代の半ばだ。
まず、第54回(2003年)において、危機感をあおられるような出来事が起きた。
毎分視聴率で計4分間、TBSの格闘技中継に抜かれたのだ。
相手は「ボブ・サップ対曙」戦。
紅白で歌っていたのは、長渕剛だった。
長渕といえば、二部制導入2年目の第41回(1990年)に初出場。
ベルリンの壁からの中継で16分間もマイクを独占して物議をかもした男だ。
いわば「別物紅白」の象徴的存在が13年ぶりに戻ってきて、歴史的屈辱の当事者になったわけである。
さらに、翌年7月、NHKの芸能番組を担当していた元チーフプロデューサーが
数年にわたって制作費などを着服していた不祥事が明るみに出た。
これが世間の批判を招き、最終的には当時の会長が辞任する事態となった。
こうした流れもあいまって、この年の紅白(第55回)では改革的な試みが行われることに。
毎年実施されている「紅白に出てほしい歌手」のアンケート結果を公表し、上位には出演交渉をすると宣言したのだ。
ちなみに、ベスト5には白組で氷川きよし、SMAP、北島三郎、五木ひろし、平井堅、
紅組で天童よしみ、宇多田ヒカル、柴咲コウ、坂本冬美、浜崎あゆみが入った。
このうち、辞退したのはSMAPと宇多田、柴咲で、
6位以下ではサザンオールスターズ(白組6位)や松田聖子(紅組12位)、Mr.Children(白組12位)も辞退している。
ただ、この試みもむなしく、この年の視聴率はついに40%を切った。
しかも、本番中には紅白衰退の原因を浮き彫りにするような発言が飛び出すことに。
審査員のひとりだった橋田壽賀子が感想を聞かれ、こう語ったのである。
「私、今まで歌ってくださったの、1曲も知らないです。
1曲も知らない、もういかに(自分が)時代遅れかわかりました」
タイミングとしては、56組中17組が歌い終わったところ。
実際、その時点ではその年のヒット曲らしいヒット曲は河口恭吾の「桜」くらいだったし、
誰もが知る懐メロも歌われていなかった。
彼女自身は自虐ネタのつもりだったはずだが、かなりの人が橋田に共感したのではないか。
「時代遅れ」というか、時代とズレていたのはむしろ紅白のほうだったのだ。
そんな状況を打開すべく、翌年の第56回に向けて、NHKはさらなる改革的試みを行った。
「スキウタ~紅白みんなでアンケート~」である。
戦後60年の歌を対象に、はがきや携帯電話、パソコン、データ放送を通じて
「紅白で聴きたい曲」を投票してもらい、
その結果を出場歌手や曲目の選考に反映させようとしたわけだ。
これはそれなりに注目されたが、大成功とまではいかなかった。
まず、中間発表の段階で組織票疑惑が発生。
たとえば、上位20曲に橋幸夫の持ち歌が3曲入ったりした。
とはいえ、彼も一時代を築いた歌手だし、
最終結果でも紅組22位に吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」、白組68位に「潮来笠」が残っている。
その気になって、着物を新調したともされるが紅白には呼ばれず、
「もう二度と出ない」とぼやいた。
他にも、紅組上位20曲に2曲が入った中森明菜が落選するなど、
アンケート結果がそれほど反映されていない印象がもたらされることに。
しかも、これについてプロデューサーは
「全部リクエスト曲にすると『あなたが選ぶスキウタトップ100』みたいになり、
紅白でやる必要がなくなってしまう」
と説明した。
こうして、制作側の思惑もしくは事情と視聴者側の期待のあいだに
「ズレ」があることも垣間見えてしまったのだ。
また「ズレ」といえば、こんなこともあった。
司会者が発表された際、白組司会の山本耕史が「スキウタ」について質問され
「何?スキウタって…」とリアクション。
紅組司会の仲間由紀恵が「視聴者から聴きたい歌を選んでもらうアンケートですよね」
とフォローしたのである。
このあたりのゆるさが紅白っぽいともいえるが、このゆるさが「スキウタ」のその後にも発揮された。
NHKはこの試みを一度きりでやめてしまったのだ。
これはもったいなかった気もする。
たとえば、この試みによって、第56回には渡辺美里が出場した。
「スキウタ」の紅組25位に「My Revolution」が入ったことがきっかけだ。
このように、世間の好みを探る意味ではけっこう有効だったわけだ。
さらに、数字のとれなくなった大物を切り捨てる言い訳にも使えたはずだし、
何曲かを秘密にしておき、当日もしくは本番で発表すればサプライズにもなる。
何より、視聴者の好みに寄り添おうとする姿勢が伝わることで、
業界とのしがらみうんぬんという批判もかわせるし、
世間の紅白への思い入れももっとつなぎとめられたのではないか。
そういう意味で、せめて3年、あるいは数年おきに3回くらいは続けてもよかった。
やっているうちに、アンケートの取り方もうまくなっただろうし、
こうした試みを一度きりでやめたことにはちょっとガッカリさせられたものだ。
そのかわり、紅白は別の方法で視聴者の好みに寄り添おうとした。
ジャニーズの重用だ。
比較的幅広く支持されているSMAPをメインにして成果を上げたことから、
そこに匹敵する嵐に目をつけ、新たなメインにしたのである。
このジャニーズ路線も延命にはつながった。
ただ、SMAPは2016年に解散。
嵐も昨年、活動を休止した。
そう、人に頼るやり方は相手次第でもあり、かなりおぼつかないのだ。
それよりはコンテンツそのものを工夫したほうが長い目で見て得策だっただろう。
なお、紅白の衰退は時代の変化によるところも大きい。
「歌は世につれ世は歌につれ」、という感じでもなくなった今、
「国民的歌番組」を作ること自体、至難の業なのだ。
審査員やゲストの顔ぶれにはまだ世相を感じるものの、
肝心の歌をめぐる状況がこれでは気の毒にもなってしまう。
そんな怪物感を失いつつある紅白の姿は、今年引退した球界の怪物・松坂大輔にも通じるものだ。
彼がいくら腕を振っても110キロ台の直球しか投げられなくなったように、
紅白がいくら頑張っても取れる視聴率は絶頂時の半分でしかない。
紅白ファンを自認する筆者でも、
そろそろお疲れさまと言いたくなる、というのは大げさだろうか。
●宝泉薫(ほうせん・かおる)/
1964年生まれ。
早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て
『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。
著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』
『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など
-------------------------------------------------------------------------------------------------
自分も賛成である。
もう「国民的ヒット曲」が出なくなってしまった風潮になったからだ。
昔は紅白歌合戦も「夜のヒットスタジオ」も世代・価値観が違う家族でも
テレビの前に集まってヒット曲を共感できた。
“お酒はぬるめの燗がいい” と言えば八代亜紀の「舟歌」、
“わたし待ぁーつーわ” と言えばあみんの「待つわ」、
“やだねったら、やだね” と言えば氷川きよしの「箱根八里の半次郎」など、
フレーズでキャッチーな歌がかつてはあった。
また、小林幸子 VS 美川憲一の「大道具対決」も忘れがたい。
しかし、今は世代で完全に志向が別れてしまい、
当のNHKも従来の歌謡曲ファンも新規の音楽ファンを迎えられた「NHK歌謡コンサート」を終わらせてしまい、
ヤングファミリー層のための新しい音楽番組「うたコン」では世代間の壁が顕著になってしまった感がある。
この番組はイントロ・間奏・アウトロ構成もぶった切った暴挙を繰り返し、
ここからは新人歌手も育つ環境になさそうだ。
なにより歌謡曲の作り手・送り手がカラオケを意識するあまり新しいスタイルを開拓することもせず、
楽曲スタイルがマンネリ化してしまった。
数少ないチャレンジャー型だった外国籍歌手・ジェロも結局は歌手を無期限停止してしまい、
重鎮と新人・ポップス界をかき混ぜるスタッフも育たない。
無期限活動停止のジェロも、
髪を伸ばして演歌を脱皮した氷川きよしも、
「演歌」への限界と絶望を象徴していると自分は思います。
数少ない“育っている”三山ひろし氏(生前の父が大好きだった)は、
いつになったら紅白で正当に歌わせてもらえるのだろうか。
トリで三波春夫の「俵星玄蕃」を歌えるくらいの歌唱力と存在感があるというのに
けん玉ばかりやらされてたら、彼も紅白に背を向けてしまうだろう。
J-POPのヒットランキングやMVは“打ち込みのダンスミュージック”ばかりで、
サウンドや歌そのもので聴かせるものが表舞台に出られなくなってしまった。
ダメじゃん・・・
世界じゅうの放送で口ずさめる「日本の歌」が愛されてきたというのに、
当の日本のスタッフがマンネリ楽曲とダンスミュージックしか作らない。
音楽に疎い一般大衆が歌えないんじゃ「歌合戦」の意味がない。
このままでは、紅白歌合戦そのものが「要らない」ものとなるだろう・・・
-------------------------------------------------------------------------------------------------
類似記事としては、
AERA dot. 2021年10月19日付記事
「五木ひろし『紅白出場50年連続出場でストップ』報道に、視聴者の『紅白離れ』を危惧する声
https://dot.asahi.com/dot/2021101900010.html?page=1
もどうぞ。
もっとも自分は、MCが上手くないくせに、鍋奉行よろしく演歌番組を仕切る彼の姿には不快感もあるのだが。
「若者の視聴者をメインにした番組作りを考えているのかもしれないが、
そもそも若い世代は紅白を見る文化が根付いていない。
他の民放番組やYouTubeなど様々なコンテンツがある中で、紅白は“いち番組”に過ぎない。
でも高齢者層は紅白への思い入れが違う。
家族で見て年を過ごすのが代々継がれていた伝統だった。
五木さんの不出場は番組側が演歌を軽視していると視聴者にとられかねない。
ますます『紅白離れ』が進んでしまう恐れがある」(テレビ関係者)
テレビ朝日系列(大阪ABC朝日放送制作)「アタック25」の放送終了にしてもそうなのだが、
「若者に媚びる」テレビ業界の姿勢そのものが、テレビをよりつまらなくさせているのだと
私は思います。
「時代に追いつけない“紅白歌合戦”がそろそろ終わっていい理由 懐メロ&ジャニーズ路線も限界に」
https://dot.asahi.com/dot/photoarticle/2021102800038.html
筆者:宝泉 薫
今年も「NHK紅白歌合戦」が近づいてきた。
50回連続出場中の五木ひろしが「紅白引退」を表明したり、
ピアノユーチューバー・ハラミちゃんのゲスト出演がうわさされたりと、さまざまな話題が飛び交っている。
ただ、かつてほど視聴率が取れなくなり、国民的番組としてのステイタスが下がってきたのも事実。
はっきりいって、もう限界というか、
そろそろ終わっていいと感じている人もいるのではないか。
それもある意味、仕方ない。紅白の寿命はすでに、尽きようとしているのだ。
その70余年もの歴史を振り返るとき、現在は第3期といえる。
第1期はラジオのみでのスタート(1951年)から、
怪物番組としてのかたちができあがる第8回(1957年)あたりまで。
第9回(1958年)からは、大みそかの夜に2時間40分(のち、45分)
紅白20数組ずつが登場して歌うというスタイルが確立して、日本の風物詩となった。
このスタイルは第39回(1988年)まで続き、視聴率は最高で80%台、悪くても50%台だった。
これが第2期であり、いわば全盛期でもある。
しかし、第40回(1989年)に大きな改革が行われる。
放送開始が19時台となり、二部制が導入された。
音楽の好みの多様化や誰もが知るヒット曲の減少といったものへの対処でもあり、
これを機に懐メロが増え、ひと組あたりの持ち時間も長くなっていく。
また、本会場以外の場所からの中継や、本番当日のサプライズ出演、
さらには巨大衣装対決やけん玉でのギネス記録挑戦といった
歌とはあまり関係のないエンタメ要素も盛んに取り入れられるようになった。
この結果、その年の歌謡界で選ばれし者が集う真剣勝負という魅力は薄れたものの、
延命にはつながったかもしれない。
終盤に登場する歌手を若返らせるため、ベテランには第1部のトリを任せるという手法も編み出せた。
前出の五木も昨年、第一部の大トリで歌ったのを区切りに、紅白を去ったわけだ。
「本紅白」などとも呼ばれる第二部の視聴率は、50%台から40%前後に低下。
二部制導入後の第3期は、ゆるやかな衰退期でもある。
そもそも、全盛期を知る世代には、最近の紅白は別物にすら思えるのではないか。
そんな「別物紅白」が全盛期と同じくらい長く続いているのだから、そろそろ寿命が尽きても不思議ではない。
それでも、盛り返すチャンスはあった。いわゆるゼロ年代の半ばだ。
まず、第54回(2003年)において、危機感をあおられるような出来事が起きた。
毎分視聴率で計4分間、TBSの格闘技中継に抜かれたのだ。
相手は「ボブ・サップ対曙」戦。
紅白で歌っていたのは、長渕剛だった。
長渕といえば、二部制導入2年目の第41回(1990年)に初出場。
ベルリンの壁からの中継で16分間もマイクを独占して物議をかもした男だ。
いわば「別物紅白」の象徴的存在が13年ぶりに戻ってきて、歴史的屈辱の当事者になったわけである。
さらに、翌年7月、NHKの芸能番組を担当していた元チーフプロデューサーが
数年にわたって制作費などを着服していた不祥事が明るみに出た。
これが世間の批判を招き、最終的には当時の会長が辞任する事態となった。
こうした流れもあいまって、この年の紅白(第55回)では改革的な試みが行われることに。
毎年実施されている「紅白に出てほしい歌手」のアンケート結果を公表し、上位には出演交渉をすると宣言したのだ。
ちなみに、ベスト5には白組で氷川きよし、SMAP、北島三郎、五木ひろし、平井堅、
紅組で天童よしみ、宇多田ヒカル、柴咲コウ、坂本冬美、浜崎あゆみが入った。
このうち、辞退したのはSMAPと宇多田、柴咲で、
6位以下ではサザンオールスターズ(白組6位)や松田聖子(紅組12位)、Mr.Children(白組12位)も辞退している。
ただ、この試みもむなしく、この年の視聴率はついに40%を切った。
しかも、本番中には紅白衰退の原因を浮き彫りにするような発言が飛び出すことに。
審査員のひとりだった橋田壽賀子が感想を聞かれ、こう語ったのである。
「私、今まで歌ってくださったの、1曲も知らないです。
1曲も知らない、もういかに(自分が)時代遅れかわかりました」
タイミングとしては、56組中17組が歌い終わったところ。
実際、その時点ではその年のヒット曲らしいヒット曲は河口恭吾の「桜」くらいだったし、
誰もが知る懐メロも歌われていなかった。
彼女自身は自虐ネタのつもりだったはずだが、かなりの人が橋田に共感したのではないか。
「時代遅れ」というか、時代とズレていたのはむしろ紅白のほうだったのだ。
そんな状況を打開すべく、翌年の第56回に向けて、NHKはさらなる改革的試みを行った。
「スキウタ~紅白みんなでアンケート~」である。
戦後60年の歌を対象に、はがきや携帯電話、パソコン、データ放送を通じて
「紅白で聴きたい曲」を投票してもらい、
その結果を出場歌手や曲目の選考に反映させようとしたわけだ。
これはそれなりに注目されたが、大成功とまではいかなかった。
まず、中間発表の段階で組織票疑惑が発生。
たとえば、上位20曲に橋幸夫の持ち歌が3曲入ったりした。
とはいえ、彼も一時代を築いた歌手だし、
最終結果でも紅組22位に吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」、白組68位に「潮来笠」が残っている。
その気になって、着物を新調したともされるが紅白には呼ばれず、
「もう二度と出ない」とぼやいた。
他にも、紅組上位20曲に2曲が入った中森明菜が落選するなど、
アンケート結果がそれほど反映されていない印象がもたらされることに。
しかも、これについてプロデューサーは
「全部リクエスト曲にすると『あなたが選ぶスキウタトップ100』みたいになり、
紅白でやる必要がなくなってしまう」
と説明した。
こうして、制作側の思惑もしくは事情と視聴者側の期待のあいだに
「ズレ」があることも垣間見えてしまったのだ。
また「ズレ」といえば、こんなこともあった。
司会者が発表された際、白組司会の山本耕史が「スキウタ」について質問され
「何?スキウタって…」とリアクション。
紅組司会の仲間由紀恵が「視聴者から聴きたい歌を選んでもらうアンケートですよね」
とフォローしたのである。
このあたりのゆるさが紅白っぽいともいえるが、このゆるさが「スキウタ」のその後にも発揮された。
NHKはこの試みを一度きりでやめてしまったのだ。
これはもったいなかった気もする。
たとえば、この試みによって、第56回には渡辺美里が出場した。
「スキウタ」の紅組25位に「My Revolution」が入ったことがきっかけだ。
このように、世間の好みを探る意味ではけっこう有効だったわけだ。
さらに、数字のとれなくなった大物を切り捨てる言い訳にも使えたはずだし、
何曲かを秘密にしておき、当日もしくは本番で発表すればサプライズにもなる。
何より、視聴者の好みに寄り添おうとする姿勢が伝わることで、
業界とのしがらみうんぬんという批判もかわせるし、
世間の紅白への思い入れももっとつなぎとめられたのではないか。
そういう意味で、せめて3年、あるいは数年おきに3回くらいは続けてもよかった。
やっているうちに、アンケートの取り方もうまくなっただろうし、
こうした試みを一度きりでやめたことにはちょっとガッカリさせられたものだ。
そのかわり、紅白は別の方法で視聴者の好みに寄り添おうとした。
ジャニーズの重用だ。
比較的幅広く支持されているSMAPをメインにして成果を上げたことから、
そこに匹敵する嵐に目をつけ、新たなメインにしたのである。
このジャニーズ路線も延命にはつながった。
ただ、SMAPは2016年に解散。
嵐も昨年、活動を休止した。
そう、人に頼るやり方は相手次第でもあり、かなりおぼつかないのだ。
それよりはコンテンツそのものを工夫したほうが長い目で見て得策だっただろう。
なお、紅白の衰退は時代の変化によるところも大きい。
「歌は世につれ世は歌につれ」、という感じでもなくなった今、
「国民的歌番組」を作ること自体、至難の業なのだ。
審査員やゲストの顔ぶれにはまだ世相を感じるものの、
肝心の歌をめぐる状況がこれでは気の毒にもなってしまう。
そんな怪物感を失いつつある紅白の姿は、今年引退した球界の怪物・松坂大輔にも通じるものだ。
彼がいくら腕を振っても110キロ台の直球しか投げられなくなったように、
紅白がいくら頑張っても取れる視聴率は絶頂時の半分でしかない。
紅白ファンを自認する筆者でも、
そろそろお疲れさまと言いたくなる、というのは大げさだろうか。
●宝泉薫(ほうせん・かおる)/
1964年生まれ。
早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て
『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。
著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』
『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など
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自分も賛成である。
もう「国民的ヒット曲」が出なくなってしまった風潮になったからだ。
昔は紅白歌合戦も「夜のヒットスタジオ」も世代・価値観が違う家族でも
テレビの前に集まってヒット曲を共感できた。
“お酒はぬるめの燗がいい” と言えば八代亜紀の「舟歌」、
“わたし待ぁーつーわ” と言えばあみんの「待つわ」、
“やだねったら、やだね” と言えば氷川きよしの「箱根八里の半次郎」など、
フレーズでキャッチーな歌がかつてはあった。
また、小林幸子 VS 美川憲一の「大道具対決」も忘れがたい。
しかし、今は世代で完全に志向が別れてしまい、
当のNHKも従来の歌謡曲ファンも新規の音楽ファンを迎えられた「NHK歌謡コンサート」を終わらせてしまい、
ヤングファミリー層のための新しい音楽番組「うたコン」では世代間の壁が顕著になってしまった感がある。
この番組はイントロ・間奏・アウトロ構成もぶった切った暴挙を繰り返し、
ここからは新人歌手も育つ環境になさそうだ。
なにより歌謡曲の作り手・送り手がカラオケを意識するあまり新しいスタイルを開拓することもせず、
楽曲スタイルがマンネリ化してしまった。
数少ないチャレンジャー型だった外国籍歌手・ジェロも結局は歌手を無期限停止してしまい、
重鎮と新人・ポップス界をかき混ぜるスタッフも育たない。
無期限活動停止のジェロも、
髪を伸ばして演歌を脱皮した氷川きよしも、
「演歌」への限界と絶望を象徴していると自分は思います。
数少ない“育っている”三山ひろし氏(生前の父が大好きだった)は、
いつになったら紅白で正当に歌わせてもらえるのだろうか。
トリで三波春夫の「俵星玄蕃」を歌えるくらいの歌唱力と存在感があるというのに
けん玉ばかりやらされてたら、彼も紅白に背を向けてしまうだろう。
J-POPのヒットランキングやMVは“打ち込みのダンスミュージック”ばかりで、
サウンドや歌そのもので聴かせるものが表舞台に出られなくなってしまった。
ダメじゃん・・・
世界じゅうの放送で口ずさめる「日本の歌」が愛されてきたというのに、
当の日本のスタッフがマンネリ楽曲とダンスミュージックしか作らない。
音楽に疎い一般大衆が歌えないんじゃ「歌合戦」の意味がない。
このままでは、紅白歌合戦そのものが「要らない」ものとなるだろう・・・
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類似記事としては、
AERA dot. 2021年10月19日付記事
「五木ひろし『紅白出場50年連続出場でストップ』報道に、視聴者の『紅白離れ』を危惧する声
https://dot.asahi.com/dot/2021101900010.html?page=1
もどうぞ。
もっとも自分は、MCが上手くないくせに、鍋奉行よろしく演歌番組を仕切る彼の姿には不快感もあるのだが。
「若者の視聴者をメインにした番組作りを考えているのかもしれないが、
そもそも若い世代は紅白を見る文化が根付いていない。
他の民放番組やYouTubeなど様々なコンテンツがある中で、紅白は“いち番組”に過ぎない。
でも高齢者層は紅白への思い入れが違う。
家族で見て年を過ごすのが代々継がれていた伝統だった。
五木さんの不出場は番組側が演歌を軽視していると視聴者にとられかねない。
ますます『紅白離れ』が進んでしまう恐れがある」(テレビ関係者)
テレビ朝日系列(大阪ABC朝日放送制作)「アタック25」の放送終了にしてもそうなのだが、
「若者に媚びる」テレビ業界の姿勢そのものが、テレビをよりつまらなくさせているのだと
私は思います。